
【Docquity】東南アジアの医療格差を「スマホ一つ」で打ち砕く― 51万人の医師を繋ぐ、命を救うためのプラットフォーム|Players by Genesia.
ジェネシア・ベンチャーズの創業期である2017年。ジャカルタで出会った2人のインド人起業家が率いる『Docquity(ドクイティ)』にシード投資をしてから、早いもので9年が経ちました。
現在、東南アジアの医師の4人に3人が利用するまでに成長した、医師向けナレッジプラットフォーム。インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム、シンガポール、台湾の7カ国に広がる51万人以上の医師ネットワークと、250以上の医師会との連携を誇る、東南アジア最大の医師に特化したサービスとなりました。
同社が向き合ってきたのは、この地域の医療が抱える切実な「格差」です。僻地にいても、都市部の専門医と同じ最新知見にアクセスでき、オンラインで医師免許の更新に必要な認定CMEポイントを取得できる。彼らが提供したのは単なるアプリではなく、「医療の民主化」そのものでした。
その波はいま、日本にも本格的に届き始めています。2025年6月には医師会員数7万4,000人超を抱えるオンライン医局『ヒポクラ(運営:エクスメディオ)』との提携を発表。米国医師免許試験で94%の精度を記録したAI臨床アシスタント『Dx(ディーエックス)』の提供を開始しました。
しかし、Docquityというチームの真の姿は、数字や実績だけでは伝わりません。その原動力は、驚くほど人間臭く、どこか「ロック」な匂いがします。
CEOインドラニルと、9年間ともに歩んできた担当キャピタリスト・河野の対話を届けます。
- デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん
- 聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Principal 河野 優人
- 以下、敬称略
「Deep Purpleのライブに行きたい」音楽に夢中だった少年時代
まずはルーツから聞かせてください。どんな子どもだったんですか?
インドのデリーで育ちました。とにかく音楽に夢中で、一時は家出してバンドをやりたいと思っていたくらいです。勉強は二の次で、保守的な親とはよく衝突しましたね。Deep Purpleがデリーに来た時、どうしてもライブに行きたくて父と大喧嘩したことは今でも鮮明に覚えています。高校の頃には自分たちのバンドを組んで、ギターとボーカルとしてステージにも立っていました。
音楽漬けの毎日から、どうしてビジネスの世界へ?
転機は、後に妻となるシヴァーニに出会ったことです。「彼女と結婚するなら、自分は何者かにならなきゃいけない」と目が覚めて、工学の学位を取り、MBAへ進みました。共同創業者のアミットに出会ったのは、そのMBAでのことです。

メタル・ミュージックが結んだ、20年来のパートナーシップ
アミットさんとは、そこで意気投合したんですね。
ある食事会で、彼も私と同じくらい熱狂的な音楽フリークだと知って驚きました。Iron Maiden、Metallica、Megadeth……好みが完全に一致していて。「こいつだ!」と思って、数日後には彼の家に転がり込んでルームメイトになりました。音楽が入口で、ウイスキーが絆を深め、やがて一緒に起業することになった。私たちの原点はそこなんです。
Docquityの前にも、彼と別の会社を起業されていましたよね。
2011年にNAVAMという会社を立ち上げ、電話で音声を吹き込むとFacebookに投稿される仕組みを作りました。でもその後、Facebookの方針転換でビジネスモデルが崩壊してしまった。そこから学んだのは、「他社のプラットフォームに依存してはいけない」ということ。自分たちでプラットフォームを持ち、パートナーシップを築く。その教訓がDocquityの土台になっています。
「階段に8時間座り込み、医師を待つ」泥臭い営業哲学
お二人はインド出身ですが、Docquityの初期市場はインドネシアでした。なぜ東南アジアだったのですか?
緻密な戦略というよりは、「偶然の重なり」でした。Docquityの立ち上げで何よりこだわったのは、医師の「本人確認」です。実現には医師会との連携が不可欠でしたが、母国インドでは門前払い。一方、インドネシアの医師会は門戸を開いてくれました。2016年にタイで開催された各国の医師会会合で、インドネシア医師会が「素晴らしい事例がある」と紹介してくれたことで、数珠つなぎに信頼が広がっていったんです。
異国の地で医師会に深く食い込むのは、そう簡単ではなかったはずです。
新興国においては、膝を突き合わせて信頼を築くプロセスが欠かせません。アミットは、インドネシア医師会の古いオフィスの階段に、朝10時から夕方6時までずっと座り込んでいました。出入りする医師全員に声をかけ、一人ひとりと関係を作っていったんです。どれだけテクノロジーが進歩しても、最後はこうした「顔の見える」信頼の積み重ねがすべてだと、今でも信じています。
その圧倒的な熱量こそが、最終的にデジタル上の強固な医師コミュニティを作り出す基盤になったわけですね。Docquityのチームは成果への執着が本当に強いと感じています。デジタルプラットフォームの成否は、実はこうした『泥臭い信頼の総量』で決まるのだと、改めて確信しました。

「給料が払えない。もう終わりだと思った」10年間で最も過酷だった夜
10年を超える歩みの中で、一番の「ハードシングス」は何でしたか?
2018年、ある投資家との間に起きたトラブルですね。タームシートに署名まで済ませていたのに、入金直前で一方的に条件を変更されたんです。手元資金が底を突くタイミングを見透かしたような要求でした。提示されたのは、給料日のわずか数週間前。正直、その日の夜は「もう終わりだ」と絶望しました。
あの時は本当に極限の状況でしたね。私たちのチーム内でも驚きはありましたが、Docquityの事業・組織に対する信頼は厚く、どうにか支えられないかと考えたのを覚えています。
まさにその時、ジェネシアともう一社のVCが追加投資を即断してくれたことには、本当に救われました。あの一手がなければ、今のDocquityは存在していません。
そしてもう一つ、今でも忘れられない決断があります。現在COOを務めるアビシェクを招き入れる際のことです。当時は彼の年俸を賄える資金すら手元にない状況でしたが、あえてあのタイミングで、「組織を強化するには彼が絶対に必要だ。そのためにあと10万ドル出資額を上乗せしてほしい」とジェネシアにお願いし、採用することができました。彼は、僕とアミットの突き進もうとする勢いを冷静にコントロールしてくれる「錨(いかり)」のような存在。あえて最も厳しい質問を投げかけてくれる、最高のパートナーです。

COVID-19がもたらした光と影、そして「脱・一本足打法」
コロナ禍の影響も大きかったですよね。私たちのソリューションへの需要が高まる一方で、組織的な課題にも直面しました。
あまりに強烈な変化でした。広告案件は飛躍的に増えましたが、組織が急拡大しリモート中心になったことで、メンバー間に埋めがたい距離ができてしまった。さらにロックダウンが明けると、反動でデジタル投資が急減し、収益も落ち込みました。
ただ、あの痛みがあったからこそ、それまでの「広告モデル一本足」から、現在の「データ&インサイト」という事業モデルへ大転換できた。いま手にしているプロダクトや事業基盤は、あの苦い経験があったからこそ、辿り着けた成果だと思っています。
市場の急変を敏感に察知して、プロダクトやビジネスモデルを即座に作り替えていった。その圧倒的なスピード感と、痛みを伴う決断をやり遂げる経営陣の「意思決定力の高さ」もDocquityの大きな強みだと改めて感じています。

日本市場への賭けと、動物医療への広がり
日本では、動物医療のA’aldaとの提携も大きな動きになっていますね。
はい。私たちのAI技術とA’aldaの臨床知見を掛け合わせた獣医療従事者向けのナレッジプラットフォームを2025年9月にローンチしました。2,800万件以上の医学論文を学習させているのですが、日本の獣医師国家試験で95%の正答率を出すなど、精度には自信を持っています。
実際に現場で使われ始めている実感はありますか?
驚くべきことに、開始3ヶ月で累計の質問回数は11万件を超えました。単なる検索ツールではなく、日々の診療に不可欠な「知のパートナー」として受け入れられ始めている手応えがあります。匿名化された臨床知見を共有できる機能も実装し、業界全体のナレッジを底上げする仕組みも整えました。日本だけでなく中東での展開も推進しており、世界中で役立ててもらえるプロダクトを目指しています。
「私たちは医師のための会社」不変の軸とDocquity 3.0
最後に、今後の展望について教えてください。
東南アジアでのポジションをより強固にすると同時に、日本や中東での事業をしっかりと育て上げていきたいと考えています。私たちの掲げる「医師のための会社(For Doctors)」という軸は、これからも不変です。
現在は、学ぶ(Learn)、調べる(Search)、そして日々の診療で使う(Utility)という3つの価値を統合した『Docquity 3.0』を開発中です。これからは「医師にとっての真の価値」を起点とし、そこに製薬会社のエンゲージメントが重なっていくという、本来あるべき姿を目指していきます。

Docquityのアジアの医療格差の是正という壮大な挑戦に伴走してこれたことを心から誇りに思います。これからの10年、Docquityがどのような未来を実現していくのか本当に楽しみです。今日はありがとうございました。
こちらこそ。昔のことを話していたら、当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。改めて、ジェネシアと共に歩んでこれたことを嬉しく思います。私たちはあの土壇場で生き延びたからこそ、いま、確かな勝ち筋を掴みつつあります。
※これは、2026年4月6日時点の情報です


