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【movus technologies】新興国で、Drive one Vehicle!! ―真にグローバルな社会課題解決を目指して|Players by Genesia.

インタビュー

起業家の方々を見ていると、明確にその人の“使命感”を感じることがあります。

幼少期から培われたものもあれば、起業と会社経営を通じて芽生えてくるものもあり、成功の必須要素ではないが、それを持ち合わせていることが、大きなビジョンや野望・長期目標を描くことに繋がっているような印象はあります。

最近私が読んだいくつかの本からもそんなことを感じていたタイミングで、今回のインタビューの機会がありました。


movus technologiesは、インドネシアにおいて、「タクシードライバーとして開業したいが、自動車ローンを組めない」という人たちに向けて車両を提供するモビリティプラットフォームを提供するスタートアップです。

代表の酒井さんは、学生時代・・ひいては幼少期から「海外・グローバル」「社会課題の解決」を意識して、人生の意思決定を重ねてきました。海外— 特に新興国での起業には、日本にいては想像もつかないような不確実さがつきもの。それだけでも大きなチャレンジだと感じますが、酒井さんは「母国以外でビジネスを展開しているというだけではグローバルとは言えない」と言います。

そんな酒井さんが、これからさらに“大きく成したいこと”とは?担当の鈴木(タカ)が聴きました。

※お二人は、インドネシアの民族衣装/正装であるバティックを着用されています

  • デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん
  • 聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Relationship Manager 吉田 愛
  • 以下、敬称略

「人を楽しませるのが好き」というベースが形成された幼少期

タカ:

酒井くんとは、インドネシアを拠点にするもの同士、けっこう頻繁にオフラインベースで会話してるけど、今日は改めて、酒井くんの“自分史”とこれからのビジョンみたいなものを聞かせてほしいです。あんまり聞いたことがないところからいくと、子どもの頃とかはどんな感じだったの?

酒井:

幼少期は意外としゃべらない子どもだったんです。

タカ:

今の酒井くんからは想像つかないね。

酒井:

親の友達にも心配されてたくらい無口だったんですよ。でも、幼稚園に入ってからなのか、しゃべるようになったらとにかくたくさんしゃべるようになったという。

タカ:

思ったより早めだった。

酒井:

幼少期は、けっこういろんなことを体験させてもらいました。旅行もそうですし、習い事も、アトリエ、水泳、日本舞踊とか幅広く。あとは、うちって周りから「ハッピーオーラがすごいよね」って言われるような家族で、特に有名だったのが、その年に流行したキャラクターとかのコスチュームを着て撮った家族写真付きの年賀状だったんです。「初笑いを各家庭に」っていうコンセプトで、僕が5歳くらいのときから25年かな?続けてました。そういったこともあって、幼少期から「人を楽しませるのが好き」っていうのはあるかもしれないですね。

偉人の伝記から得た「周りにいい影響を与えたい」という感覚

タカ:

酒井くんと言えば、一つは「野球」だけど、野球はいつから始めたの?

酒井:

小4からです。水泳とかサッカーとかバスケとか、どんなスポーツも小学生基準ではそれなりにできたんですけど、一番仲いい友達が野球をしてたので僕もって感じで始めました。

タカ:

それで甲子園手前までいくんだよね。

酒井:

甲子園には直結しませんでしたけど、母校が22年ぶりくらいに熊本市の大会で優勝できました。

タカ:

それから浪人して慶應の野球部に行ったのはどんな経緯だったの?

酒井:

母校である熊本高校に入ったのも同じ理由なんですけど、熊本高校が20年ぶりくらいに県ベスト8になったときにチームを率いた相澤さんっていうOBがいて、その人が慶應大学の野球部でキャプテンをしてたからっていうのが大きな理由です。相澤さんはハンカチ王子(元・日本ハムファイターズの斎藤 佑樹選手)に投げ勝ってたんですよ。熊本の片田舎の選手が甲子園のスターに投げ勝つって、それはもう夢でしかないなと。それで、大学も行くなら慶應だなって、ずっと目指してました。

タカ:

野球以外の学生生活はどんな感じだったの?

酒井:

学級委員とか生徒会長とかしてましたね。中学生の頃なんて、『タケ(丈)トンボ』っていう、僕が同級生に受験勉強を教える私塾みたいなものを作って、自分も受験で忙しくはあったのですが周りにも勉強を教えたりもしてました。小さなインパクトでもいいから、周りの人たちを巻き込んでいい影響を与えていきたいなみたいなことを思ってたんです。

タカ:

それは何でなんだろうね?影響を受けた人とかがいたの?

酒井:

小学生の頃、親によく伝記を読まされてたんです。エジソンとか、ライト兄弟とかナイチンゲールとか。それで、本を読む習慣と、偉人というか、周りにいい影響を与えられる人になりたいみたいな感覚が刷り込まれていったのかもしれないですね。その延長で徐々に、内閣総理大臣になって日本をより良くしたいと思うようになりました。

タカ:

総理大臣!それは初耳かも。

酒井:

政治を意識し始めた具体的なきっかけとしては、僕の通っていた中学校が熊本県の「税金を勉強する指定校」に選出されたことがありました。それで税金の勉強をして、税金のおかげで多くの人が救われている一方で、社会システムからあぶれてしまっている人も多くいることに気付きました。プロジェクトの最後にはテレビの取材が入って、自分たちの考えを発表する機会があったのですが、そのときアナウンサーの方に「君みたいな子が政治家になってくれれば、きっと世の中が良くなるね」と言っていただいて、政治家— 特に内閣総理大臣になれば、より大きな影響力を持って日本社会をより良くしていけるのかもしれないと感じました。

「歴史教育」「海外志向」・・今に繋がるご家族からの影響

タカ:

コスプレの家族写真につづいて読書と、ご家族の影響や繋がりが強い印象があるけど、ご両親はどんな方々なの?

酒井:

二人ともめっちゃ明るいですね。お笑いにも厳しいというか、オチがない話をするとオチは?って言われるので、貪欲にならざるを得ないような環境でした。両親や家族からの影響としては、「海外」への意識もそうです。『不毛地帯』「竜馬がゆく』『坂の上の雲』みたいな歴史小説も読まされてましたし、祖母が好きだったドキュメンタリー系の番組を通じて長崎での被ばく体験を知ったり、祖父に自衛隊勤務の経験があったことによる歴史教育みたいなものの影響もあったりしたと思います。世界の中の日本だったり国際平和だったりを常に意識するというか。小さい頃から「将来は海外に出なさい」「男たるもの、ことを成しなさい」みたいなこともけっこう言われてました。起業する選択をしてからも、グローバルでの挑戦っていうテーマは切っても切り離せなかったところはあります。

タカ:

今の酒井くんに繋がる強いメッセージを受け取ってたんだね。

酒井:

強いメッセージでいうと、上京するときに母親に言われたことを今でも覚えてます。まず「二つあります」と言われて。一つは「埋もれるな」。「酒井丈虎は酒井丈虎であれ」と。もう一つは「女の子は大切にしなさい」と。姉や妹にしてほしくないようなことは絶対にしてはダメだと。

学生時代から苦楽をともにした戦友=共同創業者との出会い

タカ:

もう一つ、酒井くんといえば「お笑い」ってイメージなんだけど、そっちはいつからなの?

酒井:

家族写真の年賀状の話もそうですけど、誰かを笑顔にすることはずっと好きだったんです。「お笑い」として明確にコミットしたのは、大学時代。野球部は部員が200人もいたし、怪我をしてプレイで貢献するのは難しくなってしまったときに、他に何かしらの軸やキャラクターみたいなを立てていかないと、チームにも貢献できないし埋もれてしまうなと思ったところからでした。そこで、お笑いしかないかなと考えて、Youtubeで徹底的に芸人さんのネタやコントを見まくって、ネタを書いたり漫才したりしてました。

タカ:

野球部でピッチャーとキャッチャーの関係でもあり、お笑いの相方でもあったのが、今の共同創業者の北口くんなんだよね。北口くんとはもともと、将来的に何かやるんだったら一緒にやろうみたいな感じだったの?それとも結果的に合流したかたち?

酒井:

後者です。北口は野球部の同期でもありながら、学部も同じ。一緒に教職課程も取っていたので、同期の中でも話す機会がかなり多い方でした。その教職課程の授業で、なぜか教授から漫才を披露するように話があり、2人でコンビを組んで漫才もしました。大学卒業後は、北口はもともと起業マインドがあってSansanに入った一方で、僕はどちらかというとまだ政治家志望でしたが、大学生のときに政治家の方から「ちゃんと経済のことを理解してから政治家になった方がいい」と言われたので、修行と捉えて就職しました。ただ、インターンしていたSLOGANでスタートアップやベンチャーを見て、世の中を変えていくのってこういうスタートアップみたいな存在なのかもしれないと思うようになって、いろんな変遷を経て、結果的に北口とスタートアップすることになった感じですね。北口とはずっと、慣れ合いの友だちっていうより戦友的な色が濃かったので、共同創業者としてぴったりだった感覚はあります。

社会を変える手段としての、政治家→スタートアップへの転向

タカ:

政治家になるための修行としては、どんなキャリアを考えていたの?

酒井:

元々は政治家に直結するようなキャリアを意識してたんですが、「政治家になるには一度、社会人になって経済界を経験した方がいい」という先述のアドバイスをもらって、就職活動をすることにしました。転機になったのは、やっぱりSLOGANでインターンをしたことですね。僕、一浪・一留年・一休学で、だいぶ遅れて社会に出たんですけど、大学の同期が一足先に新卒でSLOGANに入ってたんです。でも、忙しすぎたみたいで、いつ会っても大変そうな顔をしてた。それで、彼を救うためにインターンを始めました。健全な状態で離陸するまでは見守ってあげたいなと思ったんです。

タカ:

世話焼きだよねぇ。もちろんいい意味で。

酒井:

そこで明確に方向性が変わったんです。当時、SLOGAN代表の伊藤さんに「内閣総理大臣になりたいんですけど、どうしたらいいですか?」って話をしたら、逆に「酒井はどんな人に総理大臣になってほしい?」って聞かれて、「孫さんとか柳井さんとか三木谷さんとかだったら明確に社会が変わると思います」って答えたら、「その人たちって起業家だよね」って言われて、ハッとしました。総理大臣じゃなくても、ゼロから社会に価値を生み出していく人材になることができれば社会を変えることはできるんだって。政治家になりたいって思ってたのは、手段の目的化だったんだって。その気付きは大きなターニングポイントでした。

タカ:

本当にそうだね、政治家も起業家も世の中を変えるための手段だよね。

酒井:

そこで、より具体的に自分は何を実現していきたいのかを考えたときに、「グローバル×社会課題の解決」「+金融」みたいな文脈が浮かんで、それからはずっと意識してきました。「グローバル」文脈に関しては、子どもの頃から偉人に憧れていて、元々海外に出ていきたいという漠然としたWillがあったのと同時に、学生時代に『この国を出よ』という本を読んで、これからの時代は日本をより良くするためにも世界と接続することが必要不可欠だと感じたのが理由です。「社会課題の解決」文脈については、元々政治家を志すきっかけにもなった“社会構造の負”への気付きがベースにあって、「金融」文脈に関しては、それこそ僕自身が奨学金や教育ローンをフル活用して私立大学に入らせてもらったという経緯があります。大学での野球部をはじめとした経験が今にも繋がっている感覚が強くあるので、そういう意味でも、金融には人生を大きく変える力があると信じています。

ベンチャー→大企業での経験を経て、グローバルでの起業を志す

タカ:

その体験から、新卒ではグローバルで事業を展開するベンチャーに入ったと思うんだけど、その次のキャリアがソフトバンクだったのはなぜだったの?

酒井:

ベンチャーでの経験は一定積めた感覚があったので、今度は大企業も経験したいなって思ったからです。実は、ソフトバンクに入る前の2020年に一度、起業を試みてインドネシアに渡ってるんですよ。でも、まさにコロナ禍のタイミングで、全く何もできない状態だった。しかも、そのタイミングで仕事も辞めてしまってお金もないし、家も引き払ってしまって帰る場所もないし、と気持ちいいくらいに“ないない状態”だったんです。緊急事態宣言が出て実家にも帰れませんでした。それで、野球部の同期だった大西くんの家に二ヵ月くらい居候させてもらいました。彼には本当に足を向けて寝られません・・余談ですが、大学野球部に入ってから初めて漫才を組んだ相手がこの大西くんで、彼は大阪出身だったので、お笑いのイロハを教えてくれました。

タカ:

うん、ソフトバンクの話に戻ると?

酒井:

僕の人生のモチベーショングラフを書くとしたら、明確に大きな事件が二回あるんですけど、一回は、大学生の頃に肩を怪我したこと。もう一回は、このとき― 起業しようとしたけどやりきれなかったことです。それで、一度出直そうと転職の選択肢を模索し始めて、やっぱり一つの国のインフラを作っているような事業を展開している大企業の仕組みを勉強したいなと思って、ソフトバンクに行かせていただきました。

タカ:

ソフトバンクではどんな職種だったんだっけ?

酒井:

事業戦略統括部っていう、Excelを叩きまくる部署です。あんまり僕っぽくないですよね。ただ、それまではビジネス部門にいたので、管理部門の仕事も経験したいと明確に決めていて、「経営企画に行きたい」って言って転職活動してました。実際にソフトバンクでは、ブロードバンド事業のP/L管理とか戦略策定のための資料作成みたいなことをやらせてもらって、日本でトップレベルの会社がどんな経営をしているかを間近に見ることができました。ソフトバンクって、あの規模になっても皆さんがパワフルで、No.1を目指していこう!みたいなカルチャーがかなり強いんです。あの規模感でその状態が維持できている、孫さんの求心力も体感できました。その経験もあって、僕自身もこういう会社が作りたいと思って、また徐々に起業準備を始めていった感じです。自分で問いを立てて、旗を掲げて、仲間を集めてやっていきたいなって。

タカ:

そもそもインドネシアで事業やろうと考えたのは何でだったの?

酒井:

出張の機会があって、現地でのビジネスを経験したことが一番大きかったです。マクロで伸びてるのもそうなんですけど、インドネシアの熱気とか経済成長の勢いとか、人の優しさとかポジティブさとか、この人たちと一緒に働いたら楽しそうだなって印象があったので、インドネシアに決めました。もともと、先進国というよりは新興国で何かを立ち上げたり社会や国のグランドデザインを作っていったりすることへの興味も強かったので。

コロナ禍での挫折を乗り越え、インドネシアでの事業を開始

タカ:

共同創業者の北口くんとはどのあたりから会話し始めてたの?

酒井:

北口とは、社会人になってからも半年に一回くらいのペースで会い続けてたんです。周りは商社とかメーカーとかに就職した友人が多かったんですけど、僕らはお互いスタートアップに行っていて話しやすかったこともあって。で、俺インドネシア行くわ!って言ったら、めっちゃおもしろそうじゃん!って言って、僕が渡航した翌月には北口もインドネシアへの便を取ってました。でも、そこにコロナが直撃して、僕は帰らざるを得なくなり・・北口も入国できなくなり・・そのときは二人とも不完全燃焼で終わってしまいました。

タカ:

そこからはお互いに機を待ってたって感じ?

酒井:

何か自分たちの好きなスポーツビジネスとかをプロジェクト的に立ち上げてみようぜ!って言って、野球の動画版Yahoo!知恵袋みたいなものとか野球版RIZAPみたいなものとかをいろいろやろうとしたんですけど、ふとした時に、やっぱりより大きなマーケットにおいて本気で人生賭けられることをやろう!じゃあスタートアップ!しかもグローバル一本だ!?って方向性が一致して、そこからはもうグローバルでどんな事業をやるかを話し合ってきました。結果的に、2020年くらいはアイデア出し、2021年に会社立ち上げっていう運びになりました。

タカ:

僕と会ったのはいつだっけ?

酒井:

2022年の2月ですね。2021年の2月に会社は立ち上げたんですけど、渡航はまだできなかったので、僕も北口も会社に籍を残しながら、リモートでマーケティングや課題検証をしてたんです。で、ようやく渡航できるようになったのが2021年の年末くらい。2022年の1月にようやく現地で事業開始って感じでした。もちろんいろいろ大変でしたけど、初月にはお客さんも獲得できてサービスも提供も始まりました。そこから資金調達を始めた感じです。鈴木さんのことは、2017-8年くらいからTwitterでフォローしていて、満を持して会いに行きました。

タカ:

正直、最初は胡散臭いヤツだなって思ってたよ。

酒井:

僕、鈴木さんのSNSでのポストとかもめっちゃ覚えてました。それで鼻息荒く、あらかじめ質問リストを作って「鈴木さんのあの時のあの投稿の考えの裏には何があるんですか?」みたいに質問しまくったら、胡散臭がられるという・・僕と北口としては、インドネシアで起業する時点でジェネシアに出資してもらいたいってずっと言ってたんですよ。

タカ:

やたら人懐っこく質問攻めしてくるのも含めて、やや胡散臭さを感じてたってのも本音だけど、人の紹介だったしね。実はいいヤツなのかなって。

酒井:

シードVCの人たちって初回面談の9割は事業の話しかしないみたいなケースが多いんですよ。でも、ランチだったっていうのもあると思うんですけど、鈴木さんとはお互いの生い立ちだったり好きな本の話だったりって会話をさせてもらったのを、僕はよく覚えてます。鈴木さんって本当に「人」を大切にされる方なんだっていう印象が残りました。それで北口と、やっぱりジェネシア一択だねって話してました。結果的に、今もあらゆるタイミングでコミュニケーション取らせてもらってたり、ごはんにもよく連れて行ってもらってたりと、お世話になってます。

重要なポジションに優秀なメンバーを、という定石に忠実に

タカ:

組織は今何人くらいの規模になってるの?

酒井:

インドネシアのメンバーが90人で、日本人が10人です。本当に人数も多くなってきて、わちゃわちゃしてます。

タカ:

どんどん増えていくね。マネジメントは大変?

酒井:

求心力と遠心力のバランス、みたいなことを最近はよく考えてます。やっぱり大きな組織を率いてきた方々のお話にはそれらのキーワードがよく出てきている印象があって。いかにして軸の求心力を持ちながら、遠心力で拡大させていくか。創業者CEOとして組織全体に伝えるべきことはしっかりと伝えながらも、各チームのマネジメントは信頼できるメンバーに任せて、バランス取りながらやってます。

タカ:

もう少し解像度を上げると、初期はローカルの優秀なメンバーを登用して育ててたと思うんだけど、今は要所要所に日本人のメンバーも配置する方針で組織を創ってるじゃない?そのあたりの変遷ってどんな感じだったの?

酒井:

ボトムというよりトップラインから組織を創っていくには、やっぱり重要なポジションに優秀なメンバーに入ってもらうことが定石だと改めて感じたからでしょうか。会社の成長率が2‐3倍とかになっていくのに、現地メンバーの成長がなかなか追いつかなくてもどかしく思ったこともあったので、そこを採用で賄っていく方針にシフトチェンジしました。ローカルにこだわらず、国籍関係なく優秀な人を採用・配置しようと。ある程度のPMFが見えてきて、これから事業も組織も拡大していくタイミング― つまり、見えない部分を構築していこうというフェーズでは、やっぱりそこの経験やプレイブックを持ってる人とか、あるいはそれができる能力のあるような人を入れたい。その点、インドネシアのスタートアップエコシステムはまだまだ一周しきれていないので、日本で言うところの、例えばメルカリやSansanのOB/OGがスタートアップにジョインして体制構築をするといったことがありません。そういう意味では日本人の方が、一度スタートアップを経験していたり事業拡大のナレッジや経験を持っていたりする人が多いと思うんです。特に、東南アジアで現地スタートアップに勝つには、日本の強みである洗練されたオペレーションを多分に発揮することが重要で、それを実現するのにも、やっぱり日本にケイパビリティがあると思います。そうなると結果的に、日本での採用の方が手っ取り早いと考えました。だから、今後入社いただく方にも、洗練されたオペレーションをベースにしたスケーラブルな体制を作っていくこと、事業の変化点を作っていくことを期待しています。

タカ:

ローカルのインドネシア人と日本人の割合だとか、ポジションの置き方だとかっていうところに何らかこだわりは持ってるの?

酒井:

日本人が多くなりすぎても良くないと思っているので、いわゆる本社機能というか、コアや結節点になるようなポジションに日本側で採用したメンバーを置くことが多いです。ただ、やっぱりインドネシアの優秀人材も採用していきたいので、元起業家とか海外大卒MBA経験者みたいな方ともお会いしながら、インドネシアチームを作ってくれる人を採用しようとしています。マネジメントの4スタイル(ストラテジーマネジメント、フィロソフィーマネジメント、タスクマネジメント、ピープルマネジメント)の中で、特にピープルマネジメントにおいては、やっぱりローカルの要素が欠かせないと考えているので。いずれにせよ、日本人にしてもインドネシア人にしても、その人に何を期待するかをしっかりと組み立てるようにしています。

一枚岩になるために、Day1からValuesに紐づくカルチャー創りを意識

タカ:

チームビルディングの難易度はそこそこ高そうだけど、酒井くんなら楽しみながらやっていくんじゃないかなと思ってます。具体的に、これからどんなチームを創っていきたいか、movusらしいチームってどんなチームか、っていうとどう?

酒井:

会社のValuesに『Drive one vehicle』があり、“大を成すために結束していこう”というカルチャーはありますね。複雑なマーケット/事業領域ゆえに、業務が個人や単独のチームで完結することは少ないので、いかに上手く連携しながらやっていくかが重要です。日本よりもジョブ型雇用の風潮が強いインドネシアなので、そのカルチャーが浸透するまでにはハードルがありましたが、Valuesを通じて会社のカルチャーがいい方向に向かって来ている感覚はあります。会社のPromiseの一つに『Enjoy chaos』があり、みんなが前向きで“困難を楽しみながら乗り越えていこう”という姿勢も弊社らしさです。オフラインで業務をハンドルすることだったりお客さんの属性の観点だったりの難易度の高さはあるのですが、そういう時にお互いに「Enjoy chaos」と言い合える環境があります。インドネシアのメンバーはもともと根が明るい傾向がありますし、それに加えて、日本側で採用したメンバーも知的好奇心が高くカオスを楽しんでくれています。「無人島に漂流しても一緒にサバイブできる」ようなチームを作っていきたいです。絶望するような状況でも、常にポジティブにどう生き残るかを考えてアクションを実行していくようなチームをイメージしています。

そういう組織を作るために、Valuesに紐づくカルチャー作りを意識してやってきました。創業初期からValuesを作る/アップデートする時には会社のメンバー全員で考えるようにしてきましたし、毎週Valuesに基づくアクションを表彰したり、アクセスカードにValuesを記載したり・・いろんなアクションを通じて「認知→理解→共感→アクション→浸透」の体制を構築してきました。鈴木さんのTokopediaでのご経験とか、東南アジアでチャレンジしている先輩たち:KAMEREOの田中さん元Quipper→現nollの船瀬さん現WiLの笹川大和さんなどから、いろんなアドバイスをもらえたので、非常にありがたかったですし、心強かったです。

経営チームは“北風と太陽”、一緒にカオスを楽しめる人を求めて

タカ:

チームのバランスとしては?酒井くんは自分がどんな経営者やリーダーだと思う?

酒井:

僕には北口がいてくれてるので、北口が“厳しい北風”、僕は“あったかい太陽”みたいな役割分担ができてると思います。さっき挙げた先輩起業家の方々から「せっかく創業者が二人いるなら、Bad Cop Good Copを使い分けた方がいい」と言われたこともありましたし、このあたりはインドネシアで事業を展開しているからこそ、より大事なことだと感じる面もあります。就業意識の違いやアウトプット基準の低さみたいなものがどうしてもある中で、それを厳しく指摘するだけではなかなかいい方向に進みません。そんな中で、メンバーに対して経営チームの二人でバランスをとりながらコミュニケーションをしてきたからこそ、徐々に良くなってきた印象があります。北口には負担をかけてしまっているなと思いますが、本当に感謝しています。まだまだ至らない部分はありますが、会社の大きさは経営者の志やエネルギーの上限に比例するとも言われるので、僕はとにかく高みを目指して、チームにエネルギーを与えられる存在でい続けたいなと思います。株主の方々からの「いつも楽しそうだよね」というコメントも、会社のメンバーからの「とことん明るい」というフィードバックも、褒め言葉として受け取ってます。

タカ:

もちろん、褒め言葉だよ!経営チームの二人が本当に頼もしいから、今の成長率があると思ってるよ。その次のフェーズとして、そんなチームにどんな人が加わるとよりmovusらしくなるって考えてる?

酒井:

より大を成していくこと、より『Drive one vehicle』していくことを見据えて、変化点を生み出せる人を増やしていきたいなと思っています。まだまだ発展途上ではあるのですが、グローバルで投資している投資家の方々にもご評価いただけるくらいにはオペレーションの仕組みの精度やスピードが上がってきています。この成果は明確に、ここ1-2年で入社してくれたメンバーたちのおかげです。ただ、更に劇的にスケールしていく体制をつくるとか、既存のオペレーションを抜本的に変えたり次の仕込みをしたりしていく人を増やしていくのがネクストステップです。『Enjoy chaos』、そして、ラーニング/アンラーニングができることもMustです。実行力が高いカルチャーも非常に大切なことではある一方で、新興国で事業基盤が未整備かつバリューチェーンの長い複雑な産業領域でビジネスしようとすると、やっぱり仕組みや構造から考えたり、多くの変数をコントロールしたりするような部分が必要になってきます。優秀な人ほど知的好奇心が高いはず。僕らのような、日本とは大きく前提の異なる新興国マーケットでの事業は確実におもしろいと感じてもらえると思いますし、複雑な要素を紐解いて新しいソリューションを思考・実行する経験によって、ビジネスパーソンとしてのスキルやナレッジがさらに磨かれていくと思います。

グローバルで社会課題を解決したいという、一貫したビジョン

タカ:

movusとして目指すビジョンみたいなものは言語化してるの?

酒井:

僕の中でけっこう一貫している目標でもあるんですけど、やっぱり日本発グローバルで社会課題の解決に取り組んでいきたいです。もちろん、長い時間がかかるであろうことも覚悟しています。最近すごく響いたのが、SPARXの阿部さん(スパークス・グループ株式会社 代表取締役社長 阿部 修平氏)の言葉です。阿部さんご自身も71歳とかなんですけど、「でも、ウォーレン・バフェットは91歳だからな」ってことでした。やっぱりそのくらいの時間軸で自分のやりたいことを追究していけば、何らかのことが実現できるんじゃないかなって感じました。例えば、1980年代に生まれたソフトバンクが今、日本にとどまらず世界を代表するような会社になってる。GDPも5倍になってる。インドネシアのGDPは今が1兆ドルで、2050年には5兆ドルになるって予想されてます。つまり、僕らも今から堅実に成長していくことができれば、ソフトバンクレベルの会社になることも十分に可能なのかなって。2009年に設立されたシンガポールのSEAグループも、今や時価総額15兆円と日本の名だたる企業に匹敵しているのを見ると、この成長マーケットは大きな可能性を秘めていると思います。数字上の成長率はもちろん、インドネシアは国のグランドデザインや産業創出もまだまだこれからの国なので、日本では決して経験できないようなダイナミズムを体験できることもエキサイティングです。また、スズキとかホンダ、ソニーとかって創業者が亡くなってからもその企業のDNAが色濃く残ってますよね。自分が実行していくこともそうなんですけど、自分たちが死んでからも、事業やDNAが残り続けて、世の中の人たちをずっと笑顔にし続けられたらいいなって思います。日本発グローバルって言っても、日本人がインドネシアで事業してるだけだったら、グローバルじゃないですよね。だからこそ、ちゃんとグローバルでやっていきたいっていう気持ちもあります。

タカ:

例えば100年後とかに、アジアがどんな状態になっていたらいいなとかってありますか?

酒井:

僕の原点が“社会構造の負”への気付きにあり社会課題の解決を目指すようになったように、社会の不均衡がなくなって、アジアの人たちが自己実現とか本当に幸せな人生とかを掴めるような社会になっていたらいいなと思います。今の生活や将来に不安を感じずに、笑顔で前を向いて生きられる社会。インドネシアって今はまだ会社の生産性が低いので、結局は自分たちの実入りが少ないんです。だから、僕らはまず自社をより生産性の高い会社にして、メンバーやお客さまにしっかりと富の分配ができるようにしていきたいと思います。余暇を楽しめるとか、ゆとりある生活を享受できるとか、雇用の創出を通じて豊かになるとか。また、それをデファクトスタンダードにしていくことによって、社会全体の生産性が上がっていくような、たくさんの会社が真似したいと思う仕組み自体を創っていきたいです。そんな僕たちの成功事例を見て、新興国ビジネスにチャレンジする日本のスタートアップが増えたらいいななんて妄想もしてます。あとは、やっぱり一つでも多くの社会課題解決していくことを考えると、資本主義の中では実現できないこともあるので、ゆくゆくは別の軸も含めたいろいろな手段を使って取り組んでいきたいと思います。シンプルに、インドネシアが50年後や100年後にどうなってるかを見ることにも、純粋に好奇心をくすぐられます。これから出会っていくであろう仲間も含めて、みんなでそんな景色が見られたらいいなと。

※こちらは、2026/3/19時点の情報です

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