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Market.iO 〜市場の8類型とその変数〜

昨年からインド南部のベンガルールに移住し、現地企業への投資及びクロスボーダーネットワークの拡充に従事している相良です。

昨今のスタートアップエコシステムの発展に伴い、VCと起業家の間に長らく存在してきた情報の非対称性も多くの面で解消に向かいつつありますが、未だ抜本的な変化が見られないテーマの一つに「市場」または「市場規模」に対する見立てがあると思います。

そこで本稿では、私たちが普段社内で使用している、市場仮説を素早く立体的に構築するためのフレームワークである『Market.iO(マーケットアイオー)』を公開することで、ブラックボックスになりがちな市場の見立てに対する彼我のギャップを解消し、よりオープンで健全なエコシステムに近づく一助に出来ればと考えます。

きっかけ

シードVCである私たちジェネシア・ベンチャーズの投資仮説は、人(創業者/創業チーム)と市場(事業アイディアとそれが生み出し得る付加価値の総和)の二要素から構成されますが、前者が人柄や経歴といった誰が見ても分かり易い変数から成るのに対し、後者は参入のタイミングやビジネスモデル、潜在需要の有無、Go-To-Market戦略など複数の変数が複雑に絡み合って有望性が判断されるものであり、この複雑性が「不確実性を呑み込んだ迅速な意思決定」を本分とするシードVCにとってアキレス腱になり得るということを、運用総額が270億円規模に育ってきたVCファンドのいち投資メンバーとして感じる機会が近年増えてきました。

他方で、マクロの「マーケットサイズ」だけでは良し悪しを判断できないのがスタートアップの(あるいはシード投資の)妙味であり、未経験の投資メンバーの数も増えてきた今、属人的暗黙知になりがちな「市場仮説」の共通言語化を試みることには意味があると考え、2022年の秋頃にMarket.iOを社内展開し、2023年の初頭からは実際に全ての社内投資メンバーがこの「共通のレンズ」で市場を眺め、見立て、共有するということを継続しています。

コードネームに込めた意味

社内のコードネームは『Market.iO』で、日本、インドネシア、ベトナム、インド4カ国全ての投資案件で運用しています。 目的は市場規模の大小を便宜的に測るためではなく、掴み所のない「市場」を立体的かつ多面的に、可能な限り素早く捉える訓練をすることで、本質的に意味のある事業の議論に有限の時間を集中させることです。

IT業界でよく使われるI/O(Input/Outputの略語。入出力の意)を連想させ、テックスタートアップでドメインに利用されることも多い”.io”を添えることで、型としての市場仮説にスタートアップの事業アイディアをInputすると、より立体的かつより大きなOutputに変わる、という意味を込めています。

InputよりもOutputの方が大きくなることを意図して、iは小文字、Oは大文字にしています。これはERP大手SAP社のアクセラレーションプログラムであるSAP.iOのネーミング由来に触発され、それに倣ったものです。

Market.iOとは何で、どう使うのか

内容と使い方について、以下に解説します。まず、市場を構成する要素を以下の3つに分解し(直観的な理解を促すために、川と船のメタファーを使用)、この3つの組み合わせから計8つの型を導きます。

  • 川幅の広さ:WIDE or NARROW
  • 船の数  :MANY or FEW
  • 流れの速さ:FAST or SLOW

8つの型から1つを選ぶと、検討すべきポイントが自動的に抽出される設計になっています。各々の分岐をどのように決めるかという点については多分にアップデートの余地がありますが、現状では簡易的に以下のフィルターを設置しています。

  • 川幅の広さ:
    調査機関出自の市場規模で5千億円以上 (WIDE) or 未満 (NARROW)
  • 船の数  :
    INITIAL/Crunchbase/TRACXN上の国内競合企業数が10以上︎ (MANY) or 10未満 (FEW)、グローバル事業の場合は100以上 (MANY) or 100未満 (FEW) ※実態としてはもう少し感覚的な運用
  • 流れの速さ:
    三つの変数で最も定量化が難しい要素につき定性的な判断を受容。一義的には顧客獲得の速度

8つの類型

以下、a~hまで8つそれぞれの型について概要とポイントを記載します。

a) WIDE-MANY-FAST

限られた期間内で大海原を目指すことを宿命とするスタートアップの航行パターンとしては最頻出の型。投資検討にあたっては、以下の点を注視します。

  • 速い川の流れを担保する因子は何か
  • ウォレットシェアの置き換えなのか併存なのか

<置き換えの場合>
– ユーザーが既存の製品上に持っている資産(惰性/慣性、コミュニティー、各種データ、移行作業の物理的/精神的工数など)を考慮しても尚、置き換えを遂行できるほどの強いバリュープロポジション and/or 潮の変わり目があるか
– その置き換えはどのようなサイクルで生じ得るか(常時可能なのか、周期的または不定期にしかウィンドウが開かないのか)

<併存の場合>
– ユーザーは併用に耐え得る予算規模を持っているか
– 景気悪化など何らかのきっかけで併用元の製品とパイの喰べ合いになった場合、競合→自社のキックアウト圧力と自社→競合のそれでは後者の方が強いと言えるか(またそれはなぜか)

b) WIDE-FEW-FAST

大きな市場に参入プレイヤーが少ないことは珍しいためaに比べると希少だが、稀に見られる有望型。ここでは以下の点を注視します。

  • 川幅の広さに対してなぜ船の数が少ないのか
  • 速い川の流れ(ユーザーの受容性)を担保している因子は何か。水面からは見えない岩盤が存在しないか(本当に?)

c) WIDE-MANY-SLOW

かつては勢いよく伸びていたが現在は停滞気味という市場構造。以下の点を注視します。

  • 流れの淀みを解消する構造的なスイッチは何か
  • (本流の淀みは解消されないとして)新たな川の流れ=支流を形成できる余地はあるか。あるとしたらその因子は何で、十分に強く持続可能なものか

d) WIDE-FEW-SLOW

参入障壁が高く、資本集約的であり、スタートアップの新規参入が容易ではない市場。この型においては、特に以下の点を注視します。

  • 豪華客船(先行/寡占プレイヤー)に対して戦略上の棲み分けは可能か。(仮に可能として)先行者にイノベーションのジレンマは存在するか
  • 横たわる岩盤(法規制)の影響を管理下に置けるか

e) NARROW-FEW-FAST

今はまだ狭く小さいが流れが急峻であり、山肌や岩肌を穿って大きな河川に合流できる可能性のある市場。起業家精神と市場のαの汽水域。以下の点を注視します。

  • 速い川の流れを担保する因子は何か
  • 川幅を大きく拡げる転換点があるとしたらそれはいつ、何によってもたらされるか
  • 後発の船に対して築ける岩盤/障壁があるとしたらそれは何で、十分に持続可能か

f) NARROW-MANY-FAST

eとaの複合型。ハイプサイクルの角度が非連続に上がり始める地点のイメージで、論点はeとほとんど同じですが、最後の項目を以下に変更します。

  • ウォレットシェアの置き換えなのか併存なのか(以下、aに同じ)

g) NARROW-FEW-SLOW

川幅が狭く、船は少なく、流れも遅い。売上数千万円〜数億円をコンスタントに見込める領域ではあるが、7〜10年で100億円の年商を目指せる市場ではない。VC調達をしないスモールビジネスが合う領域。論点はeと同じ(問いの答えとしてNoが続いた場合にgの型が導かれるイメージ)です。

h) NARROW-MANY-SLOW

gと合わせて、スモールビジネスが合う領域。fの論点にNoが続いた場合に導かれる型。論理的には導出できるものの、現実で遭遇する確率はほぼ0かと思います。

運用上の課題

以上、8つの市場類型の紹介でした。これらを社内で実際に運用してみた結果、感じている課題/留意点を挙げるとすると、

  • 川幅、船の数、流れの速さという三つの要素で最も重要である一方把握するのが難しいのは「流れの速さ」。基準の定量化余地については要検討
  • 一方で速い流れも大きな川幅も、満期内に出資者へリターンを返す必要があるVCのビジネスモデル上の要請であり、創業期の起業家に無理強いするものではない
  • 粗利も営業利益も異なる市場を、売上高の総和=「市場規模」が同じだからと言って横並びにすべきではない。Amazon創業者のジェフベゾスがかつて言及したのは”Your margin is my opportunity”ということであって、”Your REVENUE is my opportunity”では必ずしもない

あたりの点でしょうか。VCと面談を重ねる度に「TAM (Total Addressable Market) が〜、ビジネスモデルが〜」という指摘を受け、無意識の内に投資家が好む事業プランに寄っていき、気づいた時には熱意を全く注げない事業プランが出来上がっていたという逸話も耳にしますが、VCの利害や思考特性を予め把握することで防げる悲劇もあるのかなと思います。

また、VCから出資を受けて急成長を志向するスタートアップは、世の中の会社組織全体の中では寧ろ少数派であり、私たち自身が特異なゲームのプレイヤーであるという点には常に自覚的でありたいと考えています。

“Less is More.”

WIDE-MANY-FASTからNARROW-MANY-SLOWまで、各類型を図示したスライドのフッター部分に Less is More. という標語を付記しています。

この言葉は古くモダニズム建築の思想に由来すると言われ、その後他の分野でも広く使用されるようになった「簡潔であることは複雑であることに優る」、「(機能が)少ないことは(価値が)多いことだ」という意味を持つ英語ですが、スタートアップ投資の世界に当てはめてみても以下の点で重要な示唆を持つフレーズだと思います。

  • 少なく、かつ重要な論点に集中することができれば有限の時間を有効に使って良質な意思決定ができ、また起業家にとっての投資家体験も最大化できる
  • 競合が少ないに越したことはないが、裏を返せば「そもそも需要がない」、「需要があっても規模が出ない」、「規模が出せても利益が出ない」という構造的なハードルも推察され、却って多くの検討時間を要する
  • 一方で、未だほとんどの人が気づいていない、あるいは誰もが信じていない事柄に関する「隠れた真実」を人知れず見出し、市場を一から創出、または再定義する起業には計り知れない価値がある

私たちもアジア4ヵ国を跨にかけるシードVCとして、各々の市場で「少なくあること」に拘り、その一方で少なさの裏に潜むリスクをフラットに知覚し、未踏の挑戦を続けることを通じて社会に持続可能なインパクトを創出していきたいと考えています。

筆者

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