
【リチェルカ】Agentic ERPを通じて、すべての人をクリエイティブワーカーに —かいたことのない汗をかける“主人公”たちを生み出す|Players by Genesia.
「いいチームを創るためには、リーダーが自分の弱みを見せることが大切だ」と語った経営者の方を知っています。
私は同意できました。いいチームのためだけではなく、人との信頼関係や相互に助け合える関係を築くためには、自己開示が大切だと私自身も考えてきたからです。
では「弱みを見せる」とはどういうアクションでしょうか?
やもすると自虐的だったり卑屈になってしまったり、そんな自己開示の方法も浮かんできますが、今回のインタビューを通して、その一つは「素直にフィードバックを受け止めること」ではないかと感じました。
仲間が(多くは伝えることをためらってしまう)フィードバックを発しやすい環境や空気をつくる、そして、耳の痛いことを言われたとしても自己否定や反射的に湧き上がる感情を切り分け、まっすぐに意味を受け止める。自分の弱みや醜さ、コンプレックスと何度も向き合う長い長い葛藤の結果として、それが実現できるということも。
リチェルカは、生成AIを組み込んだ次世代のサプライチェーンマネージメントシステム『RECERQAシリーズ』を提供するスタートアップです。
徹底したAI-Basedなプロダクト・サービス構築、チーム創りが大きな特徴で、巨大なERPマーケットに対しての価値提供に真っ向からチャレンジしています。
そんな骨太なチームを率いる代表・梅田さんの、感情や弱みを差別化要因に替える経営スタイルと、AI時代のサバイブ戦略について、担当の黒崎が聴きました。
- デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん
- 聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Relationship Manager 吉田
- 以下、敬称略
人の目を気にしながら意思決定していた、少年期
このPlayersシリーズは、ゲストの価値観の源泉みたいなものを深掘りしつつ、その方の人となりや意思決定の軸などを言語化していくものなので、梅田さんにも、これまであまり語られてこなかった幼少期や学生時代のお話、この半生において印象的なエピソードなども伺えればと思っています。
小学生の頃の記憶ってあんまりないんですけど・・たぶん明るい子だったと思います。うちは、父が昔ながらのTHE営業って感じの人で、母は慎重というか少し引っ込み思案な人で、僕はどちらの性格も受け継いでる感覚があります。弟はどちらかというと母寄りで、繊細な感じ。
弟さんと言えば、今やリチェルカの中核を担うメンバーでもありますね。
明るいって言っても、小学校中学年くらいまでは、あんまり自信のない子だったかなとも思います。僕、小学校4-6年までソフトボールやってたんですよ。サッカーとか野球とかバスケとかが王道だと思うんですけど、そうじゃなくて、ソフトボール。なぜかっていうと、同じマンションに住んでたリーダー気質な友だちに誘われたから。それが嬉しくて、別にソフトボールに興味があったわけでもなかったけど始めたって感じでした。で、人並みにはやったんですけど、すごい才能があったとか努力ができたとかってわけでもなく、ぎりぎりレギュラー入りみたいなラインをうろうろしてました。守備位置にいても「こっちにボール来るな」とか、打席に立っても「振りたくない。ボール球来い」って思ってました。リスクを負いたくないし、失敗もしたくない。自分で何かをリードするというより、リーダーの後についていくタイプだったと思います。
今の梅田さんのイメージからすると、意外ですね。ちょっと臆病な性格だったんですね。
中学生になると、それがさらに顕著に表れてきました。それははっきりと記憶にあります。ソフトボール少年団に3年いたので、中学では野球部に入るのが自然な流れなんですけど、友だちから「野球部に入るかちょっと悩んでる」なんて聞いちゃったら急に不安になって「どうするの?」「決めたの?」「どこに入るの?」って聞きまくってた記憶があります。
自分自身に意思決定の軸があったというよりは、フォロワーだったんですね。
人の目をめっちゃ気にしてたんですよね。結局、ソフトボールをやってた主要メンバーがバドミントンやろうかなって言い出したので、彼らがバドミントン部への入部届を提出したことを確認した上で、僕もバドミントン部に入りました。

コンプレックスとの折り合いがつかず、もがいていた中学時代
中学生の頃はどんな風に過ごしてたんですか?
運動神経はまぁまぁあったので、ソフトボールでもバドミントンでも県大会に行くくらいのレベルではありました。でも、努力とかは全くしてなくて、いつもなんとなくこなしてる感じでした。当然、努力して結果を出す達成感とか目標を達成する喜びとかを知るはずもなく。むしろ、繊細さが卑屈の域まで達してしまっていたかもしれません。振り返ると中学生の頃って、ものすごくコンプレックスに悩んでた時期でした。例えば、体育館でバドミントンやってるときに、奥の方で待機してるヤツらが何かコソコソ話してると、自分の悪口言われてるんじゃないかって被害妄想が膨らんで、ついには本人たちを問い詰めちゃうくらいでした。やっぱり周りの目にすごく敏感だったなって思います。
何がそんなにコンプレックスだったんでしょう?
まず、自分の見た目が嫌いでした。例えば、修学旅行ってカメラマンの人が随行するじゃないですか。でも、僕が写ってる写真ってないんですよ。写真が本当に嫌で、「来ないでください」「僕は写さないでください」って言ってましたね。
元々の繊細さや慎重さみたいな気質に加えて、思春期だったり人間関係のイベントだったりが絡んでこじらせちゃったんですかね。
小学生の中では足速いやつが偉いし、中学生の中ではサッカーうまいやつが偉いじゃないですか。そのヒエラルキーの頂点にいないことが一番のコンプレックスだった気はしてます。頭は悪くなかったと思うし、部活もしてたけど、どちらかで飛び抜けてるわけでもなくて、中途半端だなって。自分としては、開成に行くような優秀な同級生とテストの振り返りとか勉強についての議論とかをする時間が楽しかったりもしたんですけど、そういうのって、ヒエラルキーにおいては下層というかマイノリティじゃないですか。目立ちたい、でもその手段がわからない。そんな感じで悶々としてたんだと思います。最終的には、おもしろキャラを目指してました。「あいつバカなことやってんな~」みたいに言われるポジション。振り返るとめちゃくちゃイタイんですけど。
差別化戦略とも言えますけど、人と比べてしまうってことは往々にして苦しいですよね。
なりたい像があったわけでもないし、何か努力してたわけでもないのに、比較対象のレベルだけが高くて、勝手にプライドをこじらせてたのかもしれません。

自由と責任について知り、自分を認めることができた高校時代
そうなると気になるのは、そこから今の梅田さんにどう近づいていったのかですね。
僕が、自分の人生のターニングポイントかなって思ってるのが、高校時代と大学、そしてワークスアプリケーションズ時代です。中でも、僕が今の性格にグッと近づいたきっかけは、高校と大学での経験にあります。高校は中央大学附属高校に行ったのが大正解でした。中学時代の成績はずっと良かったんですけど、あんまり勉強が好きってわけじゃなくて、進路選択にはそんなに強い理由があったわけじゃないんです。でも、大当たりを引いたと思ってます。生まれ変わってもまた行きたいってレベル。
どんなポイントで「大正解」って言えるんですか?
とにかくすごく自由なんです。ただ、「自由というのは先人たちが作ってきてくれたもの。それをおまえらは享受しているだけ。自由の反対側に何があるのかをよく考えろ」ってことだけをめちゃくちゃ言われたんですよ。要は、「法を犯すな」「自由は責任の裏返しなんだ」と。その考えが、僕の人格を矯正してくれたと言っても過言ではありません。たぶん、一生手放さない。自由を謳歌するために自分の責任を果たす、みたいな感覚を叩き込んでもらったんです。
そこまで言える思想に出会えたのは素晴らしいですね。
そしてやっぱり自由なので、もうみんなキャラがバラバラでごちゃごちゃだったんです。僕といえば、肩くらいまでの茶髪に14ゲージのピアス開けて、カラーシャツにフェンディのネクタイ締めて学校行く~みたいな感じ。入れ墨が入ってるようなヤツも、教室でギター弾いてるヤツも、無口に読書してるヤツも、誰かに咎められたりちょっかいを出されたりしない。お互いの違いを受け入れ合うみたいな雰囲気があって、すごくフラットでした。いろんな人と仲良くなりました。その中で、僕も自分を認めてあげることができたんだと思うんです。
コンプレックスやヒエラルキーから抜け出せたんですね。
僕自身はめちゃくちゃドメスティックなので、例えば海外生活や留学を経験した人たちはまた違う“自由”を知ってるのかもしれないですけど、僕にとって、価値観が変わったターニングポイントは間違いなくそこでした。いじめがあった中学生活と全くない高校生活、競争環境と共存環境、そんないろんな環境と価値観を、社会に出る前に学ばせてもらったと思ってます。

今も生活の一部であるバイクとの出会い、そして感謝
話を聴いているこちらも、これまでのもやもやした気持ちが晴れてきた感覚があります。
あとは、高校生のときに免許を取ってバイクに乗り始めたことも大きかったです。一学年500人のうちバイクに乗ってるヤツって4人しかいなくて、その希少性がアイデンティティに直結した感覚もありましたし、行動範囲がめちゃくちゃ広がりました。そういう変化も、自分の歪んだコンプレックスをなくしていくきっかけになったかなと思います。
今でも梅田さんのライフワークであるバイクとの出会いは高校時代だったんですね。
高校に入っても、最初はあんまり馴染めてなかったんです。部活をやってるヤツらも多かったし、やっぱりどこに自分の立ち位置を作ればいいかわからなかった。それで、バイトを始めたんですよ。時給750円で、ハンバーガーは80円。 超デフレの時代ですよね。週6でバイトに入って、残りの一日も事務所でマニュアル読んで勉強してました。クリアしたタスクのシールを名札に張っていけるって仕組みがあったんですけど、それを最短で埋めるくらい。努力できないことがずっとコンプレックスでしたけど、ハマったらとことんやり切るところもあったんです。働くことが楽しいと思ったのも、このときのバイトがきっかけだったと思います。その頃、バイトの先輩から「梅ちゃん、バイク乗ろうよ」って誘われたんです。バイトしかしてない時期でお金はあったので、それで免許を取ってバイクを買いました。
何かに没頭する感じとか、 人と違う路線に行く感じとか、梅田さんぽいなって思います。でも、始めからそうだったわけじゃなくて、そこに辿り着くまでにはいろいろなきっかけがあったんですね。バイクに出会ってからは、きっとまた違う景色が見えてきたんでしょうね。
さらに自由になれたって言ってもいいかもしれません。最初こそバイト漬けでしたけど、高校生の頃はいわゆるイケてるグループの一員でもあって、とにかくめちゃくちゃモテたんです。当時『前略プロフ』っていう、今でいうブログ的な、当時は「日記」ってものに毎日投稿していて、大抵デイリーランキングトップ 10に入るくらい影響力もあったんです。で、そのまま大学に進んで、大体同じグループの友だちはオールラウンドサークルって呼ばれる“飲みサー”に入るんですよ。それこそ、大学のヒエラルキーのトップみたいなグループです。でも、僕は入らなかった。新歓は行ったんですけど、遊ぶぞ!モテるぞ!みたいな雰囲気にちょっと辟易としちゃったんです。そういうのは高校時代にやり切っていて、言葉を選ばずに言えば、もう飽きてきていたのかもしれません。だから、僕はバイクサークルに入ったんです。 汚くて暗くてジメジメした地下みたいなところにある部室に、THE 陰キャみたいなヤツらが集まってるようなサークルだったんですけど、本当に楽しくて。そこから新しい人生が始まったって言ってもいいかもしれません。飲みサーの友だちは女の子と遊びに行く話とかをしてて、うらやましいなって思う部分ももちろんあったんですけど、でも、僕はバイクで全国を回ったりサーキットでスピードを競ったりしてるのが最高に楽しかった。どんどん速く走れるようになることが嬉しかった。もう嫉妬もコンプレックスもありませんでした。
感謝を感じられるくらい好きだと思えるものと出会って、それに没頭できる環境があって、どんどん自分を認められる状態に近づいてった感じなんでしょうね。それがバイクだった理由というか、バイクにハマった理由とかってありますか?
最初はもうシンプルに移動手段として、行動範囲が一気に広がったのが大きかったと思います。あとは、努力とその結果がわかりやすかったことも良かったのかもしれません。男って単純で、自分が一番すごいって思いがちじゃないですか?バイク乗りってたぶんそれが顕著で、自分が誰よりも速いって思いがちなんですよ。僕もご多分に漏れずでした。でも、初めてバイクサークルでツーリングに行ったときに、それこそTHE 陰キャっぽいリーダーの先輩(ごめんなさい)を抜き去ってやろうと思ったら、逆にその先輩に一気に車間を開けられて、心底びっくりしました。めちゃくちゃ速くて、衝撃でした。そのとき、「世界は広いな」「目標を追いかけるのって楽しいな」って感覚を初めて得た気がします。タイムで目標との差分みたいなものが一目瞭然だし、それを努力で詰めていけるっていうわかりやすさが合っていたのかなって思います。

デジタルやガジェットにのめり込んだ経験も、今に繋がっている?
他にハマったものってありましたか?
中学生の頃にハマってたのは、実はプログラミングとかホームページ作成とかでした。小5の頃に家にVAIOが来て、当時プレイしてたゲームボーイアドバンスのでロックマンエグゼってゲームの攻略サイトとかをPCで見てたんですけど、当時って本当にいろんな人のホームページがあって、掲示板とかチャットのコミュニケーションも盛んで、すごく盛り上がってたんです。で、いつしか僕も「作る側になりたい」って思うようになって。最初はテンプレを使って無料で作れるようなものから。 それをもっとリッチにしたくなって、HTML の分厚い技術書みたいなのを買って、自分でコードを書き始めました。そのうち、広告が表示されるのも嫌になったので、自分でサーバーを借りて広告を非表示にして・・と、ちゃんとしたホームページを作るようになったんです。
どんなホームページだったんですか?
ゲーム系ですね。『ゲーム島』っていうページだったんですけど、けっこうアクセスもあったし、常連さんもいました。当時流行ってたゲームを自分のホームページに移植してきて、ホームページでゲームが遊べるみたいなこともしてました。そしたら、中学校の同級生が僕のページで遊んでくれたりとかしてて。技術が好きってこともありましたけど、やっぱり人が喜んでくれるのが嬉しかったです。ゲームが好きってだけなら、他の人が作ったページのコミュニティに深く入っていくっていう手段もあったと思うんですけど、僕は「自分の世界を作って人を喜ばせたい」みたいな感覚があったのかなとも思います。
梅田さんの一つの居場所にもなったんでしょうね。ホームページの管理人はいつまで続けたんですか?
当時は、自宅サーバっていって、自分の家に物理サーバを建てることがゴールだったんですけど、もちろんそんなお金なかったですし、親のPCをサーバ化しようと思っていろいろ試してはみたものの、当時のPCの“電源を切る”っていう制約を超えられなくて挫折しました。HTML だけじゃなくてCGIとかPHPとかをいじったりもして、かなり熱中してたんですけどね。親から「PC触るな」って言われてたくらい。
そのあたりも起業家っぽいですよね。テクノロジーとかガジェットへの偏愛みたいなものというか。
学生時代は、携帯の中のチップとかも好きでした。IntelのCore 2 DuoとかQuad-coreとか、そういうものが出てきたときはめちゃくちゃ追いかけてましたし、プロセッサーから何から全部理解してました。大学生の頃に携帯販売の派遣のバイトしてたんですけど、めっちゃ売ってたので、一時は時給 5,000円くらいもらってました。その経験が営業のキャリア選択に繋がってるかもしれません。

学年一位を取り続けていた政治経済への興味を軸に、銀行に就職
そんな学生時代を経て、だいぶ自由に振る舞えるようになってきたのかなと思いますが、就職はどのように意思決定されたんでしょう?
僕が家を借りるとき、保証人として親の情報を書くじゃないですか。そのとき、父の年収がウン千万ってことを知って、父のことを急に尊敬し始めたんです。そして、やっぱり男として生まれたからには父を追い越さなきゃいけないんじゃないかっていう、謎の想いも生まれました。それで、まずは30歳で年収1,000万を超えるぞっていう、これまた謎の目標を立てたんです。
そこでもある意味、コミットしたい目標ができたんですね。
最初はバイクメーカーとかを見てたんですけど、やっぱり昇給が緩やかなのと、中の人たちが比較的おとなしめな印象だったので、ちょっと違うかなと思って路線変更しました。そのときに軸になったのが、ずっと好きだった政治経済でした。僕、高2高3のとき、あと一日休んだら留年っていうところまで追い込まれてたんですけど、そんな中でもずっと学年一位を取り続けて授業があって、それが政治経済だったんです。教科書を一切使わず板書しかしない先生で、第二次世界大戦敗戦からの時系列で今の日本の立ち位置を教えてくれたり、政治的・経済的な側面から国際社会のバランスを教えてくれたりして、めちゃくちゃわかりやすかったんです。先生側からもガンガン質問してくるめちゃくちゃ難しい授業でもあったんですけど、僕はそれが超楽しくて。いつも一番前の席で授業を聴いてました。僕が理解したことをみんなに教えて、みんなも楽しいって言ってくれるのを喜んでました。それで、政治経済を軸に就職を考えてみたときに、じゃあ金融かなって感じで、銀行、生保、損保とかを見始めたんです。結果、みずほ銀行に新卒で入社しました。
巡り巡って今、リチェルカとみずほ銀行に取引があるのは、縁が繋がっている感じがしますね。
銀行に就職してめちゃくちゃ良かったです。PLやキャッシュフローがわかることは、武器にはならないけど、基礎力だと思うんです。 勉強でも身につくけど、銀行でいろんなケースを経験することで身につくものはやっぱり一味違います。だからこそ、VCのデューデリジェンスにも銀行セッションにも全く苦手意識がありません。そのおかげで、CFO不在でもここまで来られたんじゃないかなと。お金を出す側のロジックがわかっていることが伝わると先方もオープンに向き合ってくれるので、そこはありがたいなと思います。

ベンチャーに就職した友人たちの成長速度に焦り、転職を決意
それからのキャリアを教えてもらえますか?
みずほでは、バイク好きが高じてなのか、ヤマハやスズキのある浜松に配属されました。頭取も輩出している大きな支店で、浜松はすごく楽しかったです。2年間、新人っぽく頑張ったと思います。
2年で転職ですか?
そうです。きっかけはいろいろあったんですけど、一番大きかったのは、新卒2年目の夏くらいに高校時代からの友達に会ったことでした。アメフト部だったそいつは、クラスによくいるお調子モノで、新卒でワークスアプリケーションズ(以下:ワークス)に就職してました。僕は学生時代、ワークスのことなんて大して知らなかったので、わけわからん会社に入るんだなくらいに思ってたんです。で、そいつに「今どんな仕事してんの?」って聞いたら、「大企業の財務部長に資金管理システムの提案をしてる」って言って、そいつが作った提案書を見せてくれたんです。そのときのショックは、相当なものでした。俺、負けてる・・?って、もう、冷や汗レベル。完全に僕よりアホだと思ってたヤツが、堂々たる仕事をしてる。その後、リクルートとかサイバーエージェントに行ったヤツらとも話したんですけど、やっぱりみんなめちゃくちゃ成長してて、大きい仕事を任されてる。僕は、銀行での仕事の方が世の中的に価値が高いと思ってたんですけど、あれ?劣後してない?って焦ったことが大きかったです。
何かアクション起こさなきゃ、みたいな。
ちょうどプライベートな事情とかも重なった時期だったので、休職して東京に帰ったときに転職活動を始めました。それで、かなり熱いオファーを出してくれる有名なグローバル企業の役員直下ポジションなんかもあったんです。でも、会社の格とか肩書とかで意思決定して、成長速度の緩やかさみたいなことに悩むとしたら、同じことを繰り返すんじゃないかと思いました。だからそこは振り切って、僕も“わけわからん”ワークスという会社に行こうと決めたんです。

それまでの自分が通用しない挫折、そしてセールスの師匠との出会い
銀行からベンチャーへ。かなり重たい意思決定だと思いますが、そこからまた新しい景色が見えてくるんですね。
実際、めちゃくちゃ人生が変わりました。ただ、最初は人生最大の挫折を経験しました。僕って、超エリートみたいな人たちにはかなわないかもしれないけど、みずほでも評価されてたと思うし、それなりに人生うまく運んできたと思ってたんです。たくさん遊んだしモテてもきたし、良いルートに乗ってると思ってたんですよ。でも、ワークスで初めて挫折した。それまでの自分が全く通用しなくて、自分の価値がわからなくなって、鬱っぽくもなってたと思います。それが最初の半年間でした。その後、組織改編で桐原さん(現:ナレッジワーク専門役員・桐原 理有氏)のチームに入って、潮目が変わりました。桐原さんは孤高の存在というか遊軍というか、ちょっととっつきづらさみたいなのがあって、僕は最初は嫌だったんです。地獄から地獄へ渡り歩く歩兵みたいな気分だった。でも、桐原さん自身もそれまでに積み上げてきたものをリセットして改めてやっていくぞというタイミングだったらしくて、そこに、桐原さんについていくしかない僕たちがうまく噛み合って、妙な一体感が生まれたんです。お互いに歩み寄れたというか、一つのチームになれたというか。友達っていうのは言い過ぎかもしれないけど、部活の先輩・後輩みたいな関係性で付き合えたと思います。銀行員ってプライベートと仕事が完全に分けられてる環境だったけど、桐原さんと桐原チームのみんなのおかげで、僕は解きほぐれていった感覚がありました。
桐原さんチームで、特に印象的なエピソードってありますか?
桐原さんは本当にセールスの天才です。それを間近で全部見ることができました。僕は、自分の商談で「いいな」と思うところには全部桐原さんを連れて行って、桐原さんがしゃべってる間もずっと「僕だったらどう言うか」を考えてました。桐原さんが僕のイメージと違う発言をしたら、全部メモして、商談の帰りに「何であれはああいう風に言ったんですか?」って質問攻めにして。2年間くらいほぼ毎日ずっとそんなやりとりを繰り返して、吸収したんですよ。だから、桐原さんのセールスの凄いところは僕が一番語れると思います。間違いなく、僕のセールスの師匠です。

今のリチェルカに繋がる、サプライチェーンマネジメントとの接点
その当時扱ってた商材が、今のリチェルカの事業にも繋がるSCM(サプライチェーンマネジメント)だったんですか?
当時は『COMPANY(大手法人向けERPシステム)』のリセールチームでした。SIerが情シスの方と相対している一方で、ワークスの営業の常套手段はユーザー部門に入り込むことでした。初期はとにかく人事を開拓して、まず人事部のシステムを入れ替えてもらうんです。その保守とかで情シスの方が入ってくるので、徐々に接点を増やして社内にワークスの影響力を広げて、会計システムやSCMを導入してもらい、 ERP 全体に染み出していくことがワークスのテーマでした。そのためにリセールチームが作られたんです。つまり、人事システムの顧客に他のシステムも入れましょうって提案するのが仕事。そこでSCMも扱ってた感じです。
そのあたりからSCMが絡んでくるんですね。
こちらが提供するのはSCMっていう一つのパッケージサービスでしたけど、業界や企業や工場などの営業先によって全く違う業務フローがあって、サプライチェーンは複雑怪奇。めちゃくちゃ難易度の高い営業がそこにはあって、楽しかったですね。 パズルみたいで。小手先の営業では絶対に売れない。コンサルティング機能がある会社は、コンサルが土台を綺麗に整地した上で営業するわけですけど、ワークスは営業が全部やりきって売らなきゃいけなかったんです。もちろん1‐10まで全部はやらないですけど、売るために必要なことは全部やりました。
それでコンサル以上のバリューも出せてたってことですよね。すごい。
そこはやっぱり別の軸を作る必要がありましたよ。必然的に発生したのは、ビジョンセリングです。SAPがいいのか、Oracle EBSがいいのか、ひいては、日本はこのままでいいのか?なぜ私たちはこれを使うのか?みたいな。そういう議論から入るわけです。でも、そういう、普通のことをしていたら売れないって環境が僕たちのポテンシャルを開花させてくれたと思います。

感情や無邪気さを使いこなし、能力を増幅させる“理想の社長像”
最初に、人生の一つのターニングポイントとしてワークス時代を挙げられていましたが、桐原さんとの出会いと難易度の高い営業の他にも何か印象的な体験がありましたか?
4年いたワークスでは、牧野さん(ワークスアプリケーションズ創業者/現・パトスロゴスCEO・牧野 正幸氏)という、僕の中の“理想の社長像”みたいな人との出会いもありました。一口に言うと・・一口に言えないんですけど、超パワフル&超パッションで、喜怒哀楽を全部出すキャラクター。喜怒哀楽という感情をうまく使いこなすんですよ。月に一回の全社集会で牧野さんの話を聞いてると、今日怒ってるなとか楽しそうだなとか、大変そうだな、しんどそうだな、みたいなことがひしひしと伝わってくる。そうすると、牧野さんがそれだけ言ってるんだから頑張ろうみたいな気持ちが自然と生まれてくるんですよ。
感情的というとネガティブなイメージがありますが、感情を使いこなすというのはすごいですね。
感情にはいろんな作用がありますけど、僕は「人間の能力のアンプ=増幅器」だと思ってます。僕たちはどう頑張っても、超天才集団とかノーベル賞を取るようなチームには敵いっこないんですけど、全身全霊をかけた戦い方っていろいろあると思っていて、その一つがまさに感情を利用した戦い方だと思うんです。たしかに感情って良くないものだって意見もあると思うんですけど、それってつまり、感情に飲まれていたり振り回されたりしてる状態だと思うんです。でも、感情をうまく使いこなせれば、能力を飛躍的に引き上げることができる。だって、楽しくてウキウキしてるときってすごいパフォーマンスが出るじゃないですか。悔しいときはめっちゃ努力しようって思うじゃないですか。悲しくて深く考えこむことで気付けなかったことに気づけるわけじゃないですか。感情には、普段の自分の能力を拡張する力があると僕は思っています。その使い方をしてたのが、牧野さんです。牧野さんが直接そう言ってたわけじゃないんですけど、僕は牧野さんを見ていてそれを学んだって感じです。
特に経営においては、感情はどちらかといえば抑えるべきものや制御すべきものと考えますよね。
もう一つ、牧野さんから学んだ姿勢は、お客さんに対する腰の低さです。ワークスだってそれなりの規模の会社です。それでもなお、相手が誰だろうと、牧野さんはお客さんに対してちゃんと頭を下げて「本当にいつもありがとうございます」っていう姿勢で接する。本当にお客さんを大事にしてることが伝わってくるんですよね。いつまでたっても、お客さんを大事にすることからビジネスは始まるんじゃないかって改めて実感させられました。
すごくいい学びですね。
あとは、無邪気さですかね。牧野さんって、見た目はめちゃくちゃワイルドでダンディーな感じなんですけど、中身は子どもというか無邪気なんです。その両面を併せ持つ感じがかっこいい。子供心って、なくしてしまったら絶対に戻らないんですよ。心の傷ついた部分がもうまっさらな状態には戻らないのと同じで。覆水盆に返らず。だからこそ、大人な面と子どもな面の両方を持ち続けていることに魅力が宿るんだと思うんです。そういう意味では、桐原さんもそうでした。僕はそういうタイプに惹かれるし、僕もそこに、その先に行きたいんだなと思うと、自分も無邪気さをなくさずに、うまく使える人間になろうって思ってずっと意識してます。
リチェルカのカルチャーや組織創りにおいて梅田さんが意識されていることそのものだと思います。
理性的だったり知的だったり高級感だったり、そういうコンセプトや振る舞いも大事だと思いますけど、それだけに寄ってしまうと没個性的というか、味気なくなっちゃう気がするんです。無邪気さや遊び心が差別化になるんじゃないかなという気もしてます。

激流の中で生き残ることで、AI時代が自分を育ててくれると信じること
先日、シリーズAの資金調達について発表しました。なかなか集められる金額じゃありません。ここからさらに、事業としても組織としても拡大フェーズに入っていくと思いますが、これからどんなチーム作りたいですか?
もう数年先には、ビジネスパーソンが生き残る条件は二つしかないと思ってるんです。特定領域におけるスペシャリストになるか、事業をつくるビジネスオーナーになるか、です。AIがどんどん賢くなってきて、プロダクト開発も営業資料の作成もKPI管理も全部AIがやってくれるってなったときに、僕らは必然的に、AIを働かせる事業部長にならなきゃいけないわけです。それくらいのバリューを発揮しないと、確実に人の価値がAIに劣後しちゃう。一人一事業を担うくらいのメンバーが集まる会社でないと、レバレッジが効かない。いかにAIを働かすことができるか勝負だと思うんです。今までは、人の頭数を集めるっていうゲームでしたけど、これからはリアルに、高い志とマネジメント力を持った人だけをどれだけ集められるかで勝負が決まってくる。そして、そうなると事業領域が急速に増えていくので、より大きなマーケットに打って出ていくことができる。
戦い方が、これまでとはまるっきり変わってきますよね。
一人の人が開発もセールスも管理も採用も理解して実行することって、少し前まではかなり難しかったと思うんです。でも、人間の時間価値がどんどん濃縮されて、できなかったことができるようになってきています。それは便利っていうことだけじゃなくて、人の努力がより一層必要になるってことです。今までよりもっともっと大変な時代になるってことです。印刷機とか蒸気機関車とか電気とか、過去に革命的だった技術はどちらかというとフィジカルに影響するものでした。一方で、AIは人の知能を代替するもの。動きや行動は変えられるけど、知能、つまり、使っていない脳の領域を使ったり思考の幅を深く広くしたりするのって、自然にできることじゃありません。めちゃくちゃ負荷をかけないといけない。スタートアップをプレイをするだけでも難しいのに、ここに10倍や20倍の負荷をかけて領域拡張する必要が、僕たちにはあるんです。もう、ついていける人の方が少ないと思います。
淘汰のスピードが圧倒的に変わりますね。
どこまで続くかわからないですけど、この先、 99%のスタートアップは死ぬと思います。ほとんどがグローバルで勝ち筋を持ったビッグテックの構造に飲まれていくんじゃないでしょうか。日本国内においては、IPOの基準が厳格になったので、EXITとしてIPOの数が一気に減っていく。M&Aがめちゃくちゃ増えてますけど、僕はスタートアップのM&Aはうまくいかないケースが圧倒的に多いと思ってます。意欲の高いファウンダーはみんな辞めていくからです。スタートアップのお客さんって結局ファウンダーやその夢に付いてきているわけで、新しいスタートアップが次から次へと出てくる中で戦っても勝てないケースが多いんじゃないかなと。スタートアップ同士がくっつくケースも増えていくでしょう。今や誰でも起業できる時代で入り口はかなり広いけど、出口がめちゃくちゃ狭い。サバイブは相当に難しい。
それはそうかもしれませんね。
僕は前職でCROとして上場を経験して、またニューゲームしようと思ったら、図らずもスーパーハードモードだったみたいな感じの気持ちです。でも、すごく楽しいし、前向きに捉えているつもりです。じゃないと、藤田さんとか三木谷さんとか、そういう人たちを超えていけないですよね。ITの時代がああいう名経営者を生み出したように、 AIの時代もまた僕らを育ててくれるはず。激流の中だけど、生き残っていれば鍛えられるし育ててもらえる― そう信じられる人しか生き残れないし、そういう人しかうちの会社にはいらないと思ってます。

ERPという巨大マーケットで、全てに応えるコングロマリットを目指して
AI時代にあって、単機能SaaSは厳しくなるかもしれないけど、ソフトウェア領域でも必ず生き残っていく領域があります。リチェルカが攻略しようとしているのも、すごく巨大で複雑性が高くて、既存プレイヤーも多い、極めて難易度が高い、そして高付加価値な商材だと思うんです。ホワイトワーカーのナレッジがコモディティ化していく中でも、独自のカルチャーをベースにしたハードワークなチームが、市場の風穴を開けていくチャレンジだと思っています。
まさに、一人一人がビジネスオーナー/事業責任者であり、リチェルカというコングロマリットがお客さんの要望の全てをカバーできるような、そういう会社にならなきゃいけないと思ってます。単機能はもう意味がないですよね。イメージがあれば誰でも5分で作れる。そんな状態だからこそ、これからはもう、かいたことのない量の汗をかいていかないと乗り越えていけないわけです。それくらいの強度を持った人と一緒に仕事していきたいです。いわゆるUp or Outじゃないですけど、本当に人生を変えられる環境を用意しているつもりです。大変だけど、確実にやりがいと成長を得られます。もちろん給料も。その土台には、ERPっていう残り続けるフィールドがある。そうそう、声を大にして言いたいんですけど、ERPマーケットは本当に大きいから!
そうです、えげつなくでかい。
そこはもう本当に、選んだ僕を褒めてって感じです。僕の実体験と営業力があるからこそ、スタートアップとしてここにチャレンジしていけるわけなので。
やっぱりマーケットキャップの大きさ・小ささはコントロール出来ないんですよね。挑戦するテーマ設定の前提が今のAI時代に合っていたというのは本当に大きいです。マーケット選定は、後から修正が効かないので。

環境は用意したので、あとはその中で僕たちのプレイを極限まで高め合える人に集まってきてもらうだけです。
今はどれくらいのチーム規模でしたっけ?
今は20人くらいです。ちなみに、ほとんどのメンバーは2025年に入社してきました。2024年からいるメンバーは、4人かな。合う合わないを厳しくジャッジしてきたから、正直出入りは激しいです。その代わり、これから入社する人たちも初期メンバーで、濃くて、厳しくて、つらくて、でもめちゃくちゃ楽しい、そんな経験ができると思います。僕自身、今はCEOというポジションですけど、この世界においてこのままの成長速度でいったら、たぶん数年後には一事業部長とかマネージャーレベルでしかないと思うんです。だから、今日また一つ上のフェーズに行ってやるっていう覚悟を持って生きてます。言動もどんどん変わると思うんですけど、それくらいの熱量とスピードで考えて動いているし、みんなにも求めます。軍隊じゃなくて、一人一人がスーパーな主人公みたいな組織になりたいから。

弱みを見せられること、その自信こそが差別化に繋がる
強いメッセージに、等身大のリチェルカを感じました。いろんな経営者の形があると思うんですけど、リチェルカはやっぱり梅田さんが等身大ですごく素直なところが大きいと思います。自分自身に厳しいし、だからこそ人のフィードバックを受け止める土台があるし、自分の弱みもオープンにできているんだと思います。今日のお話でも、たくさん弱みを見せてくれたと思ってます。
自分なんて別に大したことないんだから、何を見せたっていいじゃんって感じです。
そう思える人が意外と少ないと思うんです。起業家も、いろいろな責任とか見られ方とかがあるので、気負っちゃう人も多いのかなと思ってます。
かっこつけたいとか、承認欲求みたいなものもあるでしょうね。僕も昔はあったかもしれないけど、もうなくなったんですよね。おまえ俺よりバイク速いのかよって思えるので。あ・・でも、僕より速いヤツもうちの会社にいるんですけどね。
自分より強い人を採用できるっていうのも重要です。
たしかに、僕よりできる人が入ってくれるなら代表も代わっていいと思ってます。僕はけっこう嗅覚系で、それが今後マイナスになるかもしれないし。一方で、嗅覚系の経営者ってあんまり多くないと思うので、僕と相性がいい人もけっこういると思うんです。僕の逆側の能力を持って、コンフリクトを恐れずにパッションでぶつかってきてくれる人がいたら嬉しいです。
梅田さんと話してると、僕もすごく影響を受けるというか、梅田さんに引っ張られて成長してるなって思うくらいです。たしかに厳しいと思うんですけど、梅田さんにもやっぱりさっき言っていたような子ども心や遊び心がありますよね。
常にユーモアを忘れないのも、リチェルカの特徴ですね。部活みたいなんですよね。
最初からなんですか?
最初からですね。
そこの原点が変わらないってことは、それがたぶん皆さんのDNAなんですね。リチェルカのDNA。合う合わないがあるのは当然のこと。その分別はお互いにとっていいことだと思います。
最近よく思うんです。嘘つかずに生きてきて良かったなって。もちろん大失敗も大挫折もあるし、いろんな人に迷惑もかけてきたけど、割とオープンに生きてきたんじゃないかなと。それが今になって効いてきてるというか、キャリアとしても思考としても、一定の整合性が取れてるんじゃないかなと思うんです。素直にまっすぐ生きてきたから、自分の持つ縁にも自信を持ってます。だから、これから起こり得ることも新しい出会いも、きっと楽しめると思います。

※これは、2026年4月9日時点の情報です


