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【Connect Afya】新興国の平均寿命を先進国に近づける ーアフリカの地で一隅を照らす、「医療の仕組み」をつくりたい|Players by Genesia.

インタビュー

アフリカのスタートアップエコシステムは転機を迎えています。マクロ経済環境(高金利、インフレ、通貨切り下げ)の悪化により、世界的にスタートアップ調達環境は逆風を経験していますが、アフリカも例外ではありません。2022年に$6.5B(約9,500億円)に成長したアフリカスタートアップ資金調達額は、2023年には$3.5B(約5,200億円)へと約半減しました。

しかしながら、資金調達額は短期的に減少したものの、アフリカ経済が今後も成長を続けていくことは間違いありません。今回の市場環境の変化は、次なる巨大市場アフリカを牽引するスタートアップがどこかを明らかとする試金石となるでしょう。
※参照:https://partechpartners.com/africa-reports/2023-africa-tech-venture-capital-report

そんなアフリカの、医療・ヘルスケア領域で挑戦する日本のスタートアップがあります。規制も多く、変革もなかなか起こりづらい。でも、人の生命にかかわる、大切な仕組みである“医療”の領域。そして、不確実さあふれる“アフリカ”という土地。代表の嶋田さんは、その真っただ中にいる状況を「ぐらぐらする地盤の上で詰め将棋をしている感覚」と例えてくれました。そして、「そういう状況が好きだ」とも。さらに、「自分の成功が、チャレンジする人を増やし、本当にがんばっている人に適切にスポットライトを当て、“一隅を照らす”最初のろうそくの灯になることを目指している」とも。

Connect Afya(コネクトアフィア)は、アフリカ・ケニアで、新型コロナウイルスを含む検査ラボを運営しながら、新興国の人々の医療へのアクセスのしやすさを大きく変えようとしているスタートアップです。アフリカ・ケニアからConnect Afyaが照らそうとしているものは一体何なのか?

そのストーリーについて、担当キャピタリストの河野が聴きました。

  • デザイン:割石 裕太さん
  • 聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Relationship Manager 吉田
  • 以下、敬称略

アフリカでスタートアップ=変人?

河野:

真面目で物事の本質を捉える賢さがありつつ、とても変わっている人。それが僕から見た、嶋田さんの印象です。じゃないと、アフリカで医療ビジネスをやろうなんて思わないはず。普通に日本で仕事をしても大活躍できる人なのに、アフリカという日本から遠く離れた土地に行って、しかもスタートアップですからね。もう本当に変わってるというか、変人。何がそんなに嶋田さんを突き動かすんだろう?っていつもすごく気になってます。今日は、そのあたりをたくさん聴かせてください。

嶋田:

インターフェースは極力ロジカルであろうとか人に対して誠実であろうとかって意識していますが、やっぱり自分でも変わってるなって思うこともあります。山っ気のあることというか、地盤がグラグラしてて前提がどんどん変わっていく中で最善策を考えるというか、そういうことが好きなんです。

河野:

そんな嶋田さんの性質を象徴するようなエピソードってありますか?例えば、子どもの頃のお話とかで。

嶋田:

子どもの頃、ミニ四駆とかガンダムのプラモデルとかが流行ってたんですが、僕はそういうものを改造するのが好きでした。結果として全然速く走れなくなっちゃったり壊しちゃったりすることもよくあったんですけど、全く気にせず。飾ったりもせず。同じものを3台買って、全然別の改造を施したりしてました。速さにはそんなに興味がなくて、ベストセッティングを考えて毎日ひたすらいじり続けるのが楽しかったんです。

河野:

“永遠の未完”状態で、より優れたものを追い求め続けるのが好き、という意味ではスタートアップ的と言えるかもしれませんね。

嶋田:

何かが一個完成してそれで終わり・・っていうのはすごく気持ち悪いんですよね。

株式会社Connect Afya 代表取締役 嶋田 庸一

「世の中の仕組みをつくる」という軸

河野:

ご両親はどんな方々なんですか?

嶋田:

父親は、真面目ですかね。うちは代々、革製品を作る工場を営んでるんですが、もう70歳を超えてるのに朝5時から夜9時まで黙々と働いてます。超ハードワーカーです。母親は凄まじくエネルギッシュな人で、主婦業をしながら、自社の新製品が出たらいきなり展示会とかに売り込んじゃうみたいな、コミュ力の高いタイプ。スタートアップで営業とかしてたら、相当なパフォーマンスを出すんじゃないかなと思ったりします。そういう両親のもとで育ったことが影響しているかはわかりませんが、昔から、自分でビジネスを興すことへの抵抗感とかはなかったかもしれません。

河野:

ご両親から特に影響を受けた部分ってありますか?

嶋田:

父親が、スーパーで割引になった総菜をよく買っていたんです。僕も小さい頃は一緒に連れていかれていて、そこで「価値のギャップ」みたいなことを考えるようになりました。表面的な値づけと、その後に起こる値下げ。最初のプライシングと最終的なプライシングのギャップ。そういうものを理解して、どうすれば一番お得なものに辿り着けるのかってことを学んだり考えたりしていた気がします。中高時代は部活にも入らずに、ずっとヤフオクを開いて、いかに安く買うかといかに高く売るかをずっと考えていました。

河野:

ご兄弟もいらっしゃいますよね?ご兄弟からの影響はありますか?

嶋田:

親よりも兄と姉からの影響の方が大きいかもしれません。兄とは7つ、姉とは5つ歳が離れてるので、マンガや雑誌、ゲームなど、僕と同世代の友だちが触れてるものよりも対象年齢が高いものに僕もずっと触れていました。そういう、知らないものや新しいものに対する憧れは強かったと思います。比較的自由に振る舞う兄や姉の姿を見ていて、僕は、世間的に道を外れないようにしようということと、ある程度しっかりと勉強していたらそれがセーフティネットになるんだなということを学んで、独自のバランス感覚みたいなものを身につけた気がします。

河野:

そうしたご家族からの影響もあった中で、キャリアの軸はどのように持つようになったんですか?

嶋田:

キーワードは、「世の中の仕組みを理解して、つくる」ってことでした。そういうことにずっと興味があったので、それができるところを選んできました。最初は官僚志望だったんです。東大に行って官僚になって、将来的にはその延長で国際機関に行こうと。物事の仕組みを決めるポジションというのは、日本ではやっぱり政策を作る人たちだなと思ってたので。

河野:

世の中の仕組みをつくりたいって思ったきっかけは何だったんですか?

嶋田:

いろいろあるんですが、一つは、9.11です。テロリストがいきなりビルを破壊する光景には、やっぱり衝撃を受けました。そのこと自体もそうですし、背景には阻害された若者と宗教の話があったりして、そうした世の中の構造的な問題を理解して自分が解決できるようになれたらすごくいいなと思いました。その頃には医学部を志望してたんですが、9.11以降、一人一人の人間というよりも、その背景にある社会や経済の仕組みみたいなところに興味が移っていきました。

迷ったら、他の人が選ばなそうな道へ

河野:

世の中の仕組みを作りたいと考えて官僚を目指していたということですが、結果的にはコンサルティング企業に就職していますよね。スイッチが切り替わったのはなぜだったんでしょうか?

嶋田:

大学院一年生のとき、霞が関にインターンに行った経験が大きかった気がします。総務省の行政管理局っていう官庁全体の管理やデジタル化を推進しているところで、当時の僕は「行政のデジタル化を進めて官僚の人たちがみんな働きやすくなったら、もっと政策に集中できるようになって、日本はもっと良くなるんじゃないか」みたいなことを考えてたんですが、思った以上に壁は分厚かった。もう10年以上前の話ですが、そもそもデジタル化を推進するはずの部署が紙ベースで業務をしていて、大きな矛盾を感じました。そこで、民間の立場から社会の仕組み作りに取り組もうと考えて、内定を頂いていたコンサルティング企業に行くことにしました。

河野:

新卒で入られたコンサルティングファームはヘルスケア系だったと思うんですが、何かこだわりがあったんですか?

嶋田:

それは本当にたまたまです。官庁でのインターンで感じた違和感から、比較的小規模のグローバルファームを中心に就職活動をしていて、内定先からいただいたオファーが当時の僕からしたら破格の条件だったのと、官庁に行くかどうかをずっと悩んでた僕の意思決定を根気強く待ってくれたことが大きかった気がします。

河野:

仕事はハードでしたか?

嶋田:

最初はけっこうハードでした。純ドメからいきなり英語のコミュニケーションが基本になったことにも苦労しました。でも、仕事自体は、楽しかったです!医療やヘルスケアって規制産業なので、政策によって変わるビジネスの動向やそうした変数をいろいろと見ながらビジネスのことを考える必要がある。そういう複雑性の高い仕事はおもしろかったです。薬や新製品が世に出れば直接的に人の役に立てる可能性もありましたし、やりがいも感じていました。

河野:

当時は外資コンサルも就職先の王道ではなかった時期だと思いますが、他の選択肢を選ばれなかったのはなぜですか?

嶋田:

人と違うことをしたいっていう気持ちはあった気がします。だから、就職にしてもそれまでにしても、けっこう逆張りの意思決定をしてきたと思います。例えば、僕の地元には中学受験をする同級生がものすごく少なかったんですが、僕は小学六年生のときに「このままずっと地元にいるのがいいんだろうか?」と考えて受験しました。大学も、同級生は関西圏の大学や医学部に行くヤツが多い中で、「ゆくゆく海外で働くことを視野に入れるなら人や情報の集まる東京がいいのでは?」と考えて東京に行くことを選びました。今いる環境をメタに見て、迷ったら、他の人が選ばなそうな道を選ぶ。アフリカにいるのもそういう理由かもしれません。

株式会社ジェネシア・ベンチャーズ Principal 河野 優人

MBA留学とその準備期間を通じて得た、「生きやすさ」

河野:

コンサルタントの仕事を経て、MBAに行かれたのはどんなきっかけだったんでしょうか?

嶋田:

いずれは会社を辞めようってことと、新興国に張ろうってことは決めてたんです。ただ、タイミングを含めて具体的なことは何も固まっていなかった。そんな社会人2年目くらいのときに、知り合いから「アフリカビジネスの勉強会に来ない?」と誘われたんです。それがSENRIの永井さんです。そこで永井さんが「アフリカでPEファンドを作りたい」と言っていたのを聞いて、何の知見もなかったですが、おもしろそうだから手伝うことにしました。現地でいろんな人にインタビューしたりして、すごく楽しかったんです。ただ、そういう泥臭い地道な取り組みと、世の中の仕組みを作りたいという元々の想いとのバランスについてはずっともやもやと考えてました。
MBAに行くことを選んだのは、新興国に行く前に一度海外に住む経験をしたかったからです。僕のキャリアにおいてMBAや海外留学は全く必須ではなかったんですが、取れるなら取っておくかっていうくらいの軽いノリで決めました。結果的には、国ごとの文化の違いや、海外のチームビルディングやリーダーシップみたいなものの肌感覚が持ててよかったです。HEC Paris(École des hautes études commerciales de Paris)を選んだのは、アントレプレナーシップのようなカリキュラムを取り入れているスクールで、コンサルやMBA出身者とは少し違う層の人たちと会えそうだと思ったからです。

河野:

MBA時代はどんな生活だったんですか?特に影響を受けたことや学んだことはありますか?

嶋田:

僕も含めて学生の2/3くらいは寮に住んでいるので、よく飲んでよく騒いで、すごく楽しかったです。印象的な体験としては、留学先の友人とのエピソードです。彼は算数がめちゃくちゃ苦手だったんですが、ファイナンスを専攻していました。もう、死にそうになりながら勉強してました。だから、「何でわざわざそんな大変なことをするんですか?」って訊いたら、「こうでもしないと一生しないと思うから」って言ってて、ハッとさせられたんです。自分の強みを伸ばそうって話はすごく正しいんですが、一方で、やってみないとわからないことがあったり、苦手だってわかっていても一度は追い込んでみることが自分自身のブレイクスルーのために実はすごく大事だったりすることもあるんじゃないかなって感じました。僕自身もコンサルにいて、物事を筋道立てて考えることが得意だったので、思考がそちらに寄りがちだったり逃げがちだったりしたんですけど、本来的な「チャレンジ」ってそこにはないよなって。強みをアセットとして使うのはもちろんいいんだけど、ゼロから何かをやってみるとか、そのタイミングじゃないとできないことに飛び込んでみるとか、そういうことの大事さに気付かされたかなと思います。

河野:

その頃はもう起業することは決められてたんですか?

嶋田:

MBAに行く前には決めてました。MBAの準備中に、Excelで『自分史』というものを作ったんです。自分の価値観の棚卸目的だったんですが、それを作りながら、自分はもうどこかの会社に属して既存の仕組みの中で生きていくよりも、「50年後や100年後にまで残っていくような仕組みを作ってみたいんだ」と改めて気づきました。そう思った時に、消去法でもう起業するしかないなって感じたんです。
ちなみに、その『自分史』をチェックしてくれたエッセイカウンセラーの人がすごく突き抜けた人だったんです。その方と関わった影響もすごく大きかったです。

河野:

おぉ、どんな方だったんですか?

嶋田:

彼女は、人のポテンシャルを引き出して極限までストレッチさせることを超徹底している人でした。、彼女とやり取りしていくと、留学の出願書類を書くだったはずのカウンセリングが留学先の大学院入試の範囲を超えて、どんどん禅問答みたいになっていくんです。しかも、全く妥協がない。例えば、「今までで一番大変だったことは何か?」という問いに就職活動のエントリーシートのノリで「こういう体験があって、大変だったけどうまくいきました!」みたいに回答したところ、そのエピソードへのフィードバックは一切なしに、「おまえにとってのリーダーシップって何なの?」とか訊いてくるんです。「え!?着地どこなの!?」みたいな。思想や姿勢はめちゃくちゃ正しいんですけど、出願に向けて近視眼的になっている当時の僕にとっては超~つらかったです(笑) 同じ時期に同じように出願で彼女にお世話になった人たちとは、共感できることが多すぎてめちゃくちゃ仲良くなりました。

河野:

でも、その出会いと気づきの影響は大きかったんですね。

嶋田:

物事を本質的に考えることや、自分自身の根っこにある価値観みたいなものをしっかりと理解して生きることを学べた気がします。留学前後では、生きやすさみたいなものが大きく変わったなって思います。初めて彼女に会ったときに、「これまでこういうことをやってきて ⇒ これからこういうことをやっていきたいと思うから ⇒ キャリア形成としてはこうすべきだと思う」みたいな話をしたら、「あんた、それめっちゃくちゃ生きにくいやろ」「自分の価値観でいいと思ってることと、世間一般的にいいとされてることとのズレを無理に塗りつぶそうとしてる」「それってめちゃくちゃしんどくないか?」って言われて、あー・・その通りだな・・と思ったんです。傍から見ると僕って、東大に行って院に進んでコンサルに行って、そこそこ典型的ないい感じのキャリアに見えなくもなかったと思うんですが。でも、実態としてはコンプレックスまみれだった。いつでもどこでも何か勝ちきれない鬱屈感みたいなものをずっと抱えていたんです。何か違うかもしれないと思いながらも、周りから「すごい」と言われることをつい選んでしまうところがあったんじゃないかなって。そんな自分に気づいて軌道修正できたことに、すごく意味があったと思います。他人目線じゃなく自分目線で生きるようにスイッチが切り替わったのかもしれません。

河野:

具体的に行動や考え方がこう変わったってことはありますか?

嶋田:

より目的思考に、よりシャープに思考するようになったかもしれません。さっきは消去法という言葉を使いましたが、目的志向を土台にして起業を選んだということもあるかもしれません。あとは、以前の僕みたいに承認欲求で生きてる人を見ると、それがわかるし、しんどそうだなって思うようになりました。本人の幸せは本人が決めることなので、本人が問題視していなかったらそういうものかもしれないですけど。

河野:

自分にとっての幸せというか、自分を動かすドライバーの在処みたいなものを認識できているか、もしくは、それを意識せずに周囲の環境や別の誰かに設定されちゃっているのか、その違いってことなんでしょうか。

嶋田:

「キャリアアップ」って言葉があるじゃないですか。例えば、あれも一つの呪縛だなと思います。こういうキャリアを歩んできたんだから次はこうだよね、こうするのが妥当だよね、みたいな。そういう風に縛られちゃうと、自分の生き方をすごく狭めると思います。投資銀行とかに勤めてる友だちからたまに「スタートアップに興味あるんだけど」って相談受けることがあるんですが、結局彼らは「年収下がっちゃうの嫌なんだよね」って言っててたりする。別にそれって生活水準下げればいいんじゃない?って話なんですが、それができない人も多い。自分にとって「転職して新しいことをやることと生活水準をキープすることのどちらが大事か」っていう問いに対する整理がついてないからです。お金も大事ですが、結局は目的とそれに対するプライオリティの問題なので、それが考え切れなかったり決められなかったりしてとりあえず現状維持を選ぶ人もけっこう多いのかなと思います。

「人の役に立つ」ということのシンプルさ

河野:

ここまでのお話を踏まえて、二つ訊いてもいいですか?一つは、嶋田さんとして、逆張りし続けた先にこうなりたいというイメージがあるか?ということ。もう一つは、ソーシャルインパクトをどの程度重視するか?ということです。後者については、嶋田さんが世の中の仕組みみたいなものに目を向けるきっかけについては伺いましたが、そこには多くの人が介在するわけじゃないですか。人や社会との関係性についてどう考えているかをお聞きしたいと思いました。

嶋田:

一つ目でいうと、僕はアウトカム重視じゃなくて圧倒的にプロセス重視なんです。とにかくプロセスが楽しい。もちろん逆張り自体が目的でもゴールでもなく、ゴールというよりパーパスを持って行動している感じです。
二つ目については、結果として人の役に立つことも、その過程に対する誠実さもすごく大事だと思ってます。でも、究極的にはそれが自分のやりたくないことだったらやりません。そういう意味では、ビジネスはすごく自分の性に合ってると思います。何かしらの物やサービスを提供して、その対価としてお金をもらうシンプルな関係性なので。だから僕は、例えばソーシャルとかSDGsなどという言葉自体にはあんまり惹かれないんです。特に新興国にいると、それだけでソーシャルビジネスとかソーシャルアントレプレナーシップとか言われるんですが、あまりしっくりこないんです。結果として自分のやったことが世の中のためになることはすごく大事だし、それが前提にないとそもそもビジネスが成り立たないと思う一方で、僕はプロセスこそが好きなことだし、自分が楽しめるプロセスを前提とするからこそ持続可能にインパクトを出せるという感覚なんだと思います。
また、プロセスはどうでもいいとか見栄えだけがよければいいという人もいるかもしれませんが、地道に着実にしっかりとプロセスを積み上げている人にスポットライトが当たらないのはおかしいとも思ってきました。声は小さいけどしっかりとやっている人たちのためにあるべき仕組みが必要なんじゃないかなと思います。僕が実現したい仕組み作りの中には、そういう人たちにスポットライトが当たるようにするようなものも含んでいます。もちろん僕自身が世の中に対していいことができているのが大前提ですけど。

河野:

実際に僕たちConnect Afyaは、ビジネスでの課題解決はもちろん、アフリカにいらっしゃる人たちに対しても役立てることがたくさんあると思います。風呂敷を広げすぎかもしれませんが、アフリカで暮らす人たち、アフリカに来る人たち、一緒に働く人たち、みんなの輝ける場というか、目指している世界を実現できるような場にもなれるといいですよね。特に新興国って、政治やいろいろな複雑性によって、本当に頑張っている人とあんまり頑張っていないのに利益を得る人とのギャップが大きい傾向があると思うので。

嶋田:

現地で採用をしてる中でも思うんですが、格差がすごく大きいです。能力は一緒でも新卒でどこに就職するかによって、給料が5倍も10倍も違っちゃう世界です。日本でも世界中でもある話ではあるんですが、そういう極端な状態を目の当たりにするのはやっぱり気持ち悪いです。Connect Afyaで働く人に正当な評価とキャリアステップを与えられる環境を作ることも僕のミッションの一つだと思っています。

河野:

嶋田さんが『自分史』で棚卸された価値観のお話もすごく大事だと思います。「アフリカやアジアでいずれ何かやりたいんだけど」っていう人たちに、僕もたくさん出会ってきました。でもいろんな理由で行動に移さない人がほとんどでした。本気で調べて考えての決断ならそれでいいと思うんですが、そうでないとしたら、そういう人たちに価値観や生き方への向き合い方についても伝えられるといいなと思います。

嶋田:

たしかに安心感や安定感とは真逆ともいえる環境ですが、そういうギリギリの環境下で戦う中で得た経験は唯一無二のアセットにもなりますし、人口が減ってマーケットがどんどんシュリンクしていく日本では、外貨を稼げる人の重要性が高まる一方です。僕ら自身がそういうチャレンジを下支えできる場所にもなっていけたら嬉しいです。僕自身がアフリカインキュベーターの立ち上げに関わって起業を決めた経緯もあるので、そうした経験を次の人に還元していきたいという気持ちです。

河野:

そういったことを実現できる場所というか、本気でチャレンジできる場所って多くはないですよね。嶋田さんがイメージしている仕組み作りは、実現できたら、範囲もインパクトもめちゃくちゃ大きいですね。

ゼロから「自分の場所」を作るための起業

河野:

いろいろな学びがあった準備期間、そして、実際にMBA留学へ。その後について聞かせてください。

嶋田:

新卒のころから手伝っていたアフリカインキュベーター(現:SENRI)にジョインする話もなくはなかったんですが、やっぱり自分でやった方がいいなと思って起業することにしました。アフリカインキュベーターは2013年くらいから手伝っていて、投資事業のフィジビリティスタディやスタートアップ的なプロダクト開発など、いろいろなことを経験しました。その本当にごく初期の「何する?」っていうフェーズが一番関わりが深くて、楽しかったです。そういう過程を見ている中で、やっぱり結局は経営者にならないとわからないことが多すぎるし、経営者になった方がいじれる変数が圧倒的に多いと思ったので、自分は自分の会社=自分の場所を作ろうと考えました。

河野:

ゼロから作るのはめちゃくちゃ大変ですが、自分が理想とする事業も組織もゼロからデザインできますよね。

嶋田:

良くも悪くも初期の組織はファウンダーの色がすごく強いですからね。それを作るところにおもしろみがあるかなと。日本の会社の延長線上みたいにするか、本当の意味でのグローバルの会社にするか、という点などは初期にけっこう考えました。

河野:

2018年に法人を立てられて、最初は一人ですよね?

嶋田:

手伝ってくれる人が何人かいたので、そういう人たちと議論しながらやってました。でも、その人たちのコミットにもだんだん限界が出てきて、実質一人っていう状態で今に至っています。

河野:

新興国・アフリカでヘルスケア領域にチャレンジしようってことは決められてたんですよね?

嶋田:

留学中には決めてました。

河野:

アフリカのヘルスケア業界の全体像というか、マクロの課題をこう解決しようというプランがあったんですか?それとも、現地で目の前にある課題から解決していこうというイメージだったんですか?

嶋田:

河野さんはインドネシアやベトナムを見ているのでわかると思うんですが、新興国の生活周りなんて課題しかないじゃないですか。だから、ペインはたくさんあるなと思ってました。でも、実際に生活者がお金を払って解決したい課題かどうかは全く別の問題なので、そのギャップを探そうとしていろいろとリサーチしてました。構造化しながら考えてもいましたが、どちらかというと、マネタイズのしやすさみたいなところに注目しました。
その上で、ヘルスケアに決めた理由は二つあります。まず、「新しい事業既存の事業」「同じ場所違う場所」みたいな四象限のマトリクスで見ると、「新しい事業×新しい場所」は必ず爆死するっていうセオリーがあります。つまり、僕が土地勘のないアフリカで全く新しい事業をやるとすると、爆死パターンです。なので、身近なビジネス分野で、かつ、明らかに課題が大きいのに如実に後回しにされている感が強かったヘルスケア領域を選びました。現地の病院って、本当にすごいんですよ。例えば、ケニアの東大病院みたいなところに行くと、待合室から人がはみ出していて、みんな病院の周りでテント生活してるんです。数日待たされるのが当たり前なので、テントを立てて洗濯物を干して、そこで生活してるんです。そうしたペインの大きさを間近に見て感じるところはありました。日本人も含めて、そういうところに哲学を持って取り組んでいる人たちは既にけっこういます。でも、それが実際スケールしてうまくいってるわけじゃないので、もっとシビアにビジネス的にやったらどれくらい変わるかを試してみたい気もしました。

仲間を集めて、次のダンジョンへ向かうフェーズ

河野:

2018年の立ち上げからこれまでのご自分や会社のことをどう評価されますか?

嶋田:

今のConnect Afyaは、コロナ蔓延の期間を含めた試行錯誤を経て、ようやく次のフェーズに行く準備ができた段階だと思っています。一方で、まだまだ経営陣という意味では、勇者一人旅みたいな状態。つまり、勇者が死んじゃうと、すぐまた最初の町に戻されちゃう感じはしてます。だから、一緒に戦ったり治癒をしてくれたりする仲間たちを早く見つけて、もっと新しいダンジョンへ行ける状態にならないといけないなって強く思っています。

河野:

まさに、次のステージに行くにはチームを作らなければいけないと思いますが、これまでの道のりでいろいろな試行錯誤をされてきて、業界やクライアント、サプライサイド / デマンドサイド、マーケットなどに対する理解もすごく深まってきていますよね。次はどこのダンジョンに行けばいいかっていう地図も、もう手の中にありますよね。

嶋田:

良くも悪くも、コロナの検査を提供したことですごく売上が伸びたんですが、そこを超えた成長をまさに実現していくところです。見えてきたことはたくさんあります。アフリカは今、いろんな人がいろんなことをやろうとしているし、日本企業も流入してきています。そんな中で、ちょっと違う方法を試しつつ、成長を加速させていきたいですね。結局は「方法×インプットの投入量」なので、投入量をいかに増やして、世の中が変わるスピードをいかに速くしていけるかというチャレンジだと思ってます。『ヘルステックNIGHT』でテックドクターの湊さんもおっしゃってましたが、やっぱりスタートアップ的にスピーディに世の中を変えていくことは大事だって、本当にそう思います。

河野:

嶋田さんが目指す世界のイメージってありますか?

嶋田:

すごくシンプルな世界観で、「アフリカも含めた新興国の人たちの平均寿命を先進国に追いつけるようにする」ってことです。そのために、「必要な医療を必要なときに提供できるようにする」。その戦い方として、サプライチェーンを見ています。今はラボを開設してサプライチェーンの末端のサービスプロバイダーをやっていますが、それをどんどん統合していきたい。やっぱり新興国は業界が未成熟な分だけ、サプライチェーンとかを含めた統合の仕方がいろいろあります。先進国は分業制の世界ですが、そこを垂直統合していく世界観を実現できるのが、新興国ビジネスのおもしろさだと思っています。実際にそういう仕組みを作っていきたい。コロナ前から根を張っている僕たちには絶対にアドバンテージがあるので、既存のプレーヤーができないことをどんどんやっていく。そこに僕らがいる価値があるんじゃないかなと思います。単純に先進国をなぞるだけの話ではなく、“今ここ”にある課題へのソリューションや構造全体を含めてデザインしていくのがおもしろいんじゃないかなと思ってます。

河野:

一気通貫した、一つの街作りにも近いイメージですよね。決まった型や既存のルールがまだ明確にないからこそ、その国や地域にとって最適な、あるべき医療やヘルスケアのかたちをデザインしていける。そこで働く人の価値観とかまで含めたデザイン。それらを作っていく仕事は、まさに仕組み作りだし、今後もずっと残っていくインフラや土台を作るってことだと思います。

外を向くチャレンジを後押しできる場所に

河野:

今、Connect Afyaを取り巻く大きなトレンドというか空気感みたいなところは何か意識していますか?

嶋田:

コロナによる医療アクセスへの影響はやっぱり大きいです。お金がない人はもちろん、お金がある人のアクセスも変わってきています。お金がある人は、コロナ以前はいろいろな国で高度医療を享受してたんですが、コロナ後は渡航制限がかかって、それがしづらくなってしまった。それで、今までは海外に行かないと受けられなかった治療や診療・検査などのモメンタムや国内需要がすごく高まっています。そのあたりの機会はしっかりと捉えたいと思います。もちろん、人口成長が下支えになっています。東南アジアと比べたらまだまだですが、どんどん都市的な場所が増えている中で、最適なロジスティクスやソリューションの構築は大きなテーマです。成長と混沌の中でいろいろなサービスが生まれてきますよね。

河野:

やっぱり変化が激しいですよね。都市やインフラ自体が変化していくので、自分たちや会社自体もそれに適応しなくちゃいけない。そういうところはやっぱり日本とは違いますよね。

嶋田:

将来的には、リバースイノベーションというか、新興国ででき上がったソリューションを先進国に持ち込むような話もなくはないと思っています。だから、そこを下支えするようなインフラができればいいなと。

河野:

まさに、できることがいっぱいありますよね。しかも、変数がとてつもなく多い中で。

嶋田:

そこをどう捉えてどうやるかを考えるのがおもしろいところですよね。ただ、僕みたいに変数の多さとゼロイチのプロセスを楽しんで拡げられる人はもちろん楽しいんですが、一方で、一つ一つのプロセスを深められる人も必要。そのバランスはすごく大事だと思っています。新規事業も拡げつつ既存事業も掘り進めていくという、ある意味で二律背反的なことを両面でやっていけるチームが必要だなと思います。

河野:

メンバーが増えれば増えるほど固定化するのが組織の多くのパターンだと思うんですが、それに反するようなイメージですよね。変化の中で問題を解いていくのが好きな人にとってはきっと最高の環境ですね。

一番最初の「粗削り」を楽しむ

河野:

嶋田さんの根底にずっとあるのは、仕組み=インフラに近いところを作りたいという想いなんですよね。人を育てるということも含めて。それを、仕組みがまだほとんど整っていない場所で立ち上げようというチャレンジをしているわけですね。

嶋田:

ラクスルさんのミッションである「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」みたいに、仕組みをちゃんと作ればいろんなことが変わるだろう、一時的に物事が良くなったとしてもそれが続かないと意味がないだろう、じゃあ続かせる仕組みを作ろう、っていうような感覚をずっと持っています。

河野:

嶋田さんが好きな具体的な「仕組み」って何かあったりしますか?

嶋田:

例えば、僕は雑誌が毎週決まった曜日に出ることって心底すごいと思っているんです。出版に至るまでには編集や制作や印刷といったいろいろな仕組みの複合体があるわけですよね。それらがあるから、僕らは決まった日に情報を受け取れる。そして、それがもう当たり前になっている。ああいう、仕組みの複合体が当たり前に機能してる仕組みというか・・

河野:

関わる人たちの育成とかまで考えたら、本当にめちゃくちゃ長いプロセスですよね。

嶋田:

美しいですよね。原型みたいなものがたぶんどこかで生まれて、どんどん洗練されていって、ローカライズされた部分もあったりして、長い時間をかけてでき上がってるわけですよね。そうしたところまでデザインして礎を作る。そしてどんどん変化させる。そういうのっていいなと思います。
ブラックジャック創作秘話』っていう僕が好きな漫画があって、手塚治虫がブラックジャックを書く前後くらいの話を当時のアシスタントの方たちがまとめてるんですが、もうなんかめちゃくちゃなんです。仕組みがゼロの黎明期という感じ。そういうところから洗練された仕組みができ上がる過程って、やっぱりすごく楽しいし楽しそうだなって感覚があります。

河野:

一番難しいし、一番大変なところですよね。

嶋田:

僕の名前が残るとか僕が一番になるとか、そういうことはどうでもいいんです。ただ、自分が関わったことが、アウトカムとして仕組み化されていくような、そういうことができたらいいなと。初期の粗削りなものを作るところがいいんです。まだまだ仕組みが未成熟なアフリカ地域だから、それができると思ってるのが一番大きいですね、

河野:

なるほど。嶋田さんがアフリカにいる理由が見えてきましたね。最初の粗削りのプロセスを楽しむ・・クリエイターですね。

嶋田:

天台宗を作った最澄の「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」って言葉をよく引用しています。一本のろうそくの明かりが身近なごく限られた場所しか照らせないっていう意味なんですが、この続きに「万燈照国(ばんとうしょうごく)」って言葉もあって、ろうそくが増えると国全体を明るく照らす大きな光になるよね、みたいなことなんです。要するに、一人ができることには限界があるけど、その人がどこにどう明かりを点けるかによって、明かりの大きさは変わるということ。僕自身が一人でできることには限りがあるとしても、どういう風に周りに明かりをつけていくかによって、できることがどんどん変わっていくんじゃないかなって考えていますす。その影響が一番大きいところ / 大きくなるところをやり続けたいです。

※こちらは、2024/10/10時点の情報です

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