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【コノセル】学びは、たのしい ー「場と人」の中で見つける、本来的な教育のカタチーPlayers by Genesia.

PLAYERS

なぜ勉強するの?勉強すると幸せになれるの?

そんな問いかけに、あなたは何と答えるでしょうか?

いずれも、たぶん学校では教わらなかったこと。辞書を引けば、答えらしきものが書いてあるかもしれないけれど、なんだか手触り感がない。自分の考えるそれと、人のそれとは少し違うような気がする。時代によっても違う気がする。

そんな存在を、あなたはどう定義するでしょうか?そもそも、定義することに意味があるでしょうか?

変化がめまぐるしく、情報にあふれた時代。私たちは不確実性の中を生きています。それでいいのか?自分とは何なのか?迷うこともあるかもしれません。けれど、私たちもまた、環境と呼応しながら、常に変化し続ける存在でいいのではないか。その時々で未来を見つめ、なりたい姿を思い描き、そこに向かって今を生きる。目的地は変わることもある。自分が望むものを自分で決めればいい。それだけじゃないか。

そんなことを改めて気づかせてくれるインタビューでした。

コノセルは、デジタル教材とコーチングを取り入れた学習塾「コノ塾」を運営するスタートアップです。教育や勉強は、あくまで手段。前提となる“なりたい姿”を見つけ、それを実現する体験ができる場づくりを目指しています。

小さなころから、「早く大人になりたい」「自分で決めたルールで生きていきたい」「もっともっと強くなりたい」-そんなふうに考えてきた少年が今、自分自身の幸せや“なりたい姿”をどのように定義し、どのような教育の姿を目指しているのか。コノセルの代表・田辺さんと、担当キャピタリストの田島・河野の対談をまとめました。

他人のルールの中で生きたくなくて

田島:

私がVCではない領域で事業をつくるとしたら、「教育」は一つの大きな候補です。田辺さんの経歴を見ると、ずっと教育領域にいたというわけではないと思いますが、どうしてコノセルを立ち上げたのか、どんな未来を目指しているか、今日はぜひじっくり聴かせてください。まずは生まれ育ちからお伺いしてもいいですか?

田辺:

母の実家がある大阪で生まれて、“主に”川崎育ちです。3つ上の兄がいます。“主に”というのは、田辺家は転勤族だったので、6歳までを川崎、6.5歳までをアメリカのクパティーノ、10歳までをまた川崎、その後13歳までをドイツのデュッセルドルフ、14歳から国立(くにたち)と、拠点を変えながら過ごしてきました。父が商社勤めだったので、その仕事の都合でした。

田島:

どんな子どもだったのですか?

田辺:

とにかく、早く大人になりたいと思っていました。人の決めたものではなく、自分で考えたルールの中で生きていきたいという気持ちが強かったです。新しいところに行くのが好きで、自分では「旅」とか呼んでましたが、自転車でいろいろなところに出かけていて、あまり家にいなかったです。でも、腕時計を買ってもらったのがうれしくて、18時ぴったりにはしっかり家に帰っていました。

田島:

ルールの中で生きたくなかった、というところをもう少し詳しく教えてください。

田辺:

うちは、父が超理系で合理的、母は書道をずっとやっていた直感的なアート系で、僕は両方がミックスされてる感じなのかなと思っています。子どもながらに道理の通らないことは疑問を覚えていて、大人でもあまり筋の通っていないことを言う人がいると、「大人より俺の方がちゃんと考えてるじゃん」と思ったことがあったのを覚えてます。
小4~中1までの思春期は、ドイツの日本人学校で過ごしました。友達や好きな子もいたのに、親の転勤でまたいきなり引っ越しすることになって、どう生きるかは自分で決めたいと思っていました。

田島:

ドイツでは楽しく過ごしていたんですか?

田辺:

それはもう。自由に動けて、勉強しなくてよくて、友達付き合いが人生で一番楽しくて、みんながフラットで。自分に合っていたと思います。友達と自転車でコートまで行ってバスケして、帰りにインビスという軽食屋さんでフライドポテトを食べる、というドイツの完璧な小学生の一日を過ごしていました。
親の転勤で強制的にドイツから日本に戻ったので、絶対にもう一度自力でドイツに行ってやろうという想いも持ちながら、大学は交換留学制度が充実している一橋大学を選びました。

田島:

就職のときはどんなことを考えていましたか?

田辺:

普通のサラリーマン勤めは自分には向いていなそうだとずっと思っていて、文章を書くのが得意だったこともあって、新聞記者になろうと思っていました。ただ、新聞記者はテストがめんどくさいと聞いて、結局受けませんでした。記事を書きたいと思っていたけど、書かれる立場の方がかっこいいんじゃないかなとも考えて。社会人として価値を出していくための専門性がほしいと思ったのと、当時からお金を稼ぐというよりは世の中に価値のあることをしたいなと思っていたので、政府系の金融機関に就職することにしました。もっと給料の高い企業からも内定が出ていたんですが、そちらを辞退したそのときから、給料で職を選ばないというのは自分の中の指針になっています。
僕は自分が弱い人間だと思ってるので、お金や安泰に逃げるとそのままぬくぬくしてしまう。おさまってしまう。そういう意味では、自分を信じていないところがあります。

田島:

ぬくぬくするのはダメなことですか?

田辺:

ドラゴンボールの孫悟空みたいな感じですかね。より強い相手と戦いたいから、より強くなりたい。

株式会社コノセル CEO/Co-founder 田辺 理

正しい判断のために、正しく理解したい

田島:

就職してからはどうでしたか?

田辺:

新卒で入社したDBJは本当に最高で、今でもとても感謝しています。先輩たちがすごく優秀だし、若くても大きな仕事を任せてくれて、本当に勉強になりました。ただ、人事のローテーションだけはイヤでした。他人に人生を決められるのが本当に苦手なんですよね。
それから留学を経て、次に何をしようかなと考えていたときに、ファイナンスでの差別化は非常に難しいと思ったのと、お金は余っているけど事業機会を作る人は不足しているなという感覚があったので、事業側へ行くのがおもしろそうだと考えて、そのステップとしてBCGへ行きました。

河野:

僕と田辺さんの出会いは、DeNAの創業者でもある渡辺さんが創業したQuipperという教育系スタートアップに僕が大学生のときにインターンで入って、そのマネージャーが田辺さんというところからでした。Quipperへ入られたのはどんな経緯だったんですか?

株式会社ジェネシアベンチャーズ Principal 河野 優人
田辺:

新しい事業を作る人にならないといけないなっていう問題意識がすごく強くあったんですよね。きっかけになったと思っているのは、DBJ時代に、AI店舗などを作っている九州のとある会社に出資したことでした。けっこうブッ飛んだ二代目創業社長がやってる会社で、そこは、成長が速すぎて資本が薄くて、銀行目線では格付けが低くリスクの高い会社でした。でも、店舗に行くと明らかにお客さんが来ているし、雇用もどんどん増えていて、あぁこれが価値を生み出すということなんだなってすごく思ったんです。だから、そういうことをやっている人がいないとお金を使う先がないなっていうのが原体験としてあって、それをやりたいなという目線で留学から帰ってきて、BCGにしばらくいて、そこから、スタートアップを選びました。当時から教育を絶対にやるぞというわけではなかったんです。社会課題を解ける事業を作りたいというのが目標でした。

田島:

そのときに考えていた社会課題の定義って何だったんですか?

田辺:

それが、わからないんですよ。今もです。社会課題って、未だに定義ができなくて、結局は個人の主観だなって思ってるんですよ。例えば、ゲームのようなエンタメが社会課題の解決ではないのかって、難しい問いですよね。日常に彩りがほしい、刺激がほしいという課題をゲームというソリューションで解決してます、人を幸せにしてますっていうのは、社会課題の解決って言えるじゃないですか。となったときに僕が思ったのは、生活や衣食住・教育の一定のラインが自分の中にあったとして、それを下回ってると感じるところを戻すことに僕は興味があって、一定ラインを超えたところに彩りをつけるみたいなことは仕事でやらなくていいや、消費者でいいやって思ってます。たぶんそれが定義といえば定義ですかね。

田島:

田辺さんの、わからないことを素直にわからないっていうところ、素敵ですよね。社会課題って何ですかって訊かれたら、それっぽく説明つけたくなるじゃないかですか。でも、わからないって言えるってことは、そこまで考えてきたってことですよね。

田辺:

社会課題については、今お話ししたくらいの解像度の答えが自分なりにあって、たしかにそこまで考えてきたのかもしれません。でも、シンプルに、わからないことはわからないって言った方がいいですよね。健康診断と同じだと思ってるんです。健康診断に行かない人の気持ちって僕はわからなくて。悪いところがあるならさっさと見つけてさっさと治せばいいじゃんって思うんですよ。同じように、わからないことはわからないってさらけ出した方がいいと思ってます。誰かが教えてくれるかもしれないじゃないですか。そしたら賢くなるじゃないですか。今この瞬間の自分を賢く見せるよりは、明日の自分が賢くなってる方がよくないか?と思ってますね。そうじゃないと、辿り着くものにも辿り着けないじゃんって。同時に、正しく判断したいという欲求もあるので、正しく理解したいから、わからないことはわからない、知りたいから教えてほしい、となりますね。

人はストーリーで記憶を定着させる

田島:

ここまでお話を聴いてきて、「(子どもの頃から)早く家を出たかった」や「人に縛られたくない」といった部分に、田辺さんと今のコノセルを結びつけるものがありそうですね。

田辺:

そういう部分はあると思いますね。組織のルールに従うとか本当にイヤなんですけど、でも一方で、人に育ててもらったということもすごく感じています。DBJもそうでしたし、高校のときの古文の先生が仙人みたいで印象的で。構図としては、僕たち高校生と50歳ぐらいのおじさんなんですけど、先生は「君の考えを尊重する」と言ってくれたりして、そういうのはすごく好きでした。
集団のために個人が犠牲になるのはイヤだし、違うと思うんです。本来、個人が輝くために集団があるんですよね。社会のルールだって、縛りつけるためではなくて、個人が幸せに生きていくためにあるはずなんです。教育領域を選んだ理由にも、その本来の、「個人が輝くために何をするか」というテーマに向かった部分はあると思います。
ただ、これまでのキャリアにおいての悩みとしては、公共性だけを追いかけてビジネスが成り立たないと、関わってくれたみんなが不幸になるということ。資本主義のルールで勝負しているからには、そこはしっかりしなくちゃいけないと思っています。公共性って、自己満足で終わることもあると思います。自己満足で終えないということは、持続可能性というか、多様な人に評価されることかなと。だから僕は、現実的なソリューションへの落とし込みというところにこだわります。
ただそれが、こうして田島さんがインタビューして引き出そうとしてくださっている、企業や組織の哲学やタグラインなどを考えるときの足枷になっているような気もします。想いの言語化みたいなことがどうも苦手で。会社の中でいくつかの役割を兼務しているので、どういう自分を出すかという綱引きで思考がうまくいかないと感じることもあります。こういう機会はありがたいです。

田島:

ソリューションの前には間違いなく、田辺さんの想いがあるはずです。人には、自分自身を突き動かす想いというものがあると思います。ソリューションだけでなかなか、起業というアクションはできません。そして、その想いの前には体験や経験、そこから感じたことや考えたことがあるはずです。言語化しきれない部分もあると思いますが、田辺さんの想いというのは、これから強いチームを作っていくときに仲間たちに伝え続けていかなければいけない、求心力になる部分でもあります。少しでもそのメッセージづくりのきっかけになればと思っています。
ただ、田辺さんとお話ししていると、普段からすごくセルフコーチングされているんだなと思いますよ。お話の中に「それがなぜかというと」というコメントが何度か出てきていましたし、自分に常に問いかけているんだなと。僕もコーチングを学んで、セルフコーチングができている人に最近気づくようになりました。

株式会社ジェネシアベンチャーズ 代表取締役/General Partner 田島 聡一
田辺:

セルフコーチングといえば、Quipperが買収されたリクルート時代に2年間くらい、仲間とコーチングし合うってことをやっていたんですけど、そのときに、お互いセルフコーチングできちゃってるねというフェーズになったことがあったんです。ただ、じゃあもうコーチングし合わなくていいよねとなったかというとそうではなくて、コーチングしまくってると、その人の質問の癖がわかってくるんです。つまり、セルフコーチングの質問も偏っているなとわかるんです。でも、質問のバリエーションって実はもっと広いじゃないですか。例えば、けっこう着実な質問しかしない人だったら、じゃあその制約が全くなかったとしたらどうしたいですか?みたいな質問は意外と出てこないとか。セルフコーチングや内省って、自分のパターンでしかできないっていうのはあると思います。問いが大事ですよね。問いがあれば、今の時代、答えはある程度ついてくる。課題設定だなと思いますね。
ただ、課題設定と言っても、短いフレーズに昇華しきっちゃうと陳腐化するリスクも感じています。例えば、教育について、課題設定を突き詰めると、非常に似てきてしまいます。「一人一人に合った~」とか「生徒主体の~」とか。なので、「なぜそう考えるか」という課題設定のストーリーにした方がおもしろくなるんだろうなと考えています。これって、会社のビジョンミッションとかも似た構造なんじゃないかと思います。タグラインにしちゃうからこそのつまらなさ。タグラインが響くのって、そのストーリーを知った後の、思い出のタグラインだから響くんじゃないかなと。抽象化することって、一方では陳腐化しやすいとも言えるので、そこに具体を乗せるのが大事なんだと思います。ストーリーがないと逆に上滑りするというか。ストーリーがタグラインを地面に結び付けるというか。

田島:

たしかに、ビジョンやミッションが浸透しないという課題ってありますけど、なぜ浸透しないかというと、ビジョンやミッションの言葉というのは、あるストーリーの一部を抽出したものだから。だから、その具体的なストーリーも知らないと、その中の一番濃度の高いところを抽出したものがこれだというふうに認識しないと、たしかに伝わっていかないですね。スタートアップでも、初期の創業メンバーや、CIの策定に関わった人はそこまでしっかりと理解しているから一体感があるけど、それ以降に入社してきた人に浸透が足りない・・みたいな話って、前提となるストーリーの共有が足りないってことかもしれないですね。

田辺:

それって僕たちが作っている教育動画ともすごく似ていて、理科や社会の暗記って、暗記だけだとダメで、動画でそのストーリーを付与すると定着するんですよ。構造としては一緒ですね。どんな本を読んでも、人にはストーリーが強く残る。聖書がストーリーで取るべき行動を規定してるのも、結局ストーリーじゃないと浸透しないからなのかなと感じますね。

社会と上手に付き合う力、社会に還元する力

田辺:

僕には、人生で3つ、ずっと追いかけたいと決めていることがあります。

1つめは、自由(Independence/独立)
2つめは、成長(curiosity/好奇心)
3つめは、ソーシャルインパクト

()内は自分の解釈です。ソーシャルインパクトについては、自分自身はラッキーで恵まれた立場にあると思っていて、どうせ生きているなら他の人にも何かお返しできることをやりたいなという気持ちがあります。なぜそう思うに至ったかはよくわかっていません。

田島:

ソーシャルインパクトについては、私もよく考えます。例えばこれは、ファンドレイズのときに投資家の方々とのコミュニケーション用に作った資料の一部ですが、やもするとソーシャルインパクトと投資パフォーマンスの両立って少し難しい印象を持たれがちなんですよね。でも、個人的にはソーシャルインパクトと投資パフォーマンスは掛け算になり得ると考えているし、個人としても、ジェネシア・ベンチャーズとしても、私たちの意思として、ソーシャルインパクトはこれからもしっかり意識していきたいと思っています。

田辺:

僕が世の中や社会を意識したのは、ドイツに行ったことがきっかけです。ドイツは、リサイクルやリユースなど、環境意識が高い国です。また、ヨーロッパにいると、自分たちが社会の一員であるという意識の植え付けがある気がして、たぶんそこで初めて「ソーシャル(社会)」を意識したのかなと思います。

田島:

ソーシャルには、多様性という概念も自然と含まれていると思います。「ビジネスをビジネスとして成り立たせるには、持続可能性や、多様な人に評価されることが必要だ」というお話もさっきありましたね。また、田辺さんのお話には「専門性」というキーワードも出てきました。多様性と専門性、このあたりの関係性などを考えるきっかけは何かありましたか?

田辺:

ドイツから国立に帰ってきたとき、地元の公立中学校に転入し、新しい友達に恵まれました。でも、受験期になって、当時の僕と仲良くなった友達グループでは価値観が合わず、関係がうまくいかなくなってしまいました。それが中学生の僕には大きなショックで、そのときに考えたのが、自分は友達にすごく依存していたということでした。それで、「友達が(離れていってしまうのではなく)寄ってくるような人間にならんとダメだ」「突き抜けた強さがあれば、人が寄ってくるだろう」、つまり「何かに依存せずに生きていくためには、突き抜けた強さ=専門性が必要だ」「人は人と関わらなくちゃ生きていけないけど、その関わりに依存せずにいるには、専門性=強さが必要だ」と、そういうことを当時は中学生の言語で考えました。

田島:

専門性は多様性を受容する、みたいなイメージですかね。専門とは言いつつ、それは何かに固執するということではなくて、多様さを受け入れる、そうした交わりのきっかけになるというか。そして、交わりが増えるということはある種、豊かさにつながる部分もあり、その多様性が持続可能性につながるというか。

田辺:

たしかに、近い感覚を人にも求めている部分はあると思います。
より自由に生きていくためには、自分を強くする必要があって、そのために広く社会を知って、社会に利用されずに社会と上手に付き合うことが大切だと思います。一方で、社会に何かを還元するための力をつけていくこともとても大切なことだと思っています。しかも、意固地な強さではなくて柔軟な強さをもって自分を変えていくことができれば、いろんな人との出会いがあって、支えてもらえる。例えば、僕も起業するなんて思っていなかったですけど、起業したことでいろんな出会いがあって、いろんな素敵な人が支えてくれていると思っています。つまり、教育というのは、自分を成長させ続ける(その術を知る)ツールで、それって素晴らしいよなと思っています。僕が教育を好きな理由です。だから、そういうきっかけになるようなサービスを作りたいんです。

河野:

「自由(集団に縛られない)」と「ソーシャルインパクト(集団との干渉)」は相反するようですが、自由を手に入れた上で、集団や社会へグッドインパクトを還元する、というふうに捉えるといい循環に思えますね。日本では、ソーシャルインパクトすらも、極端にエコなどに寄っていたりルールになっていたりするような部分があると思っています。一方で、ドイツはもっと主体的な印象があります。

なりたい自分になるためのセルフマネジメント

田島:

また話を戻しますが、Quipperを経て、コノセル設立まではどういった経緯だったのでしょうか?

田辺:

Quipperでは6年間働きました。リクルートに買収されたこともあって、スタディサプリという、日本ではおそらく最も成功している教育アプリに関わることができました。そして、そこで気づいたいくつかのことが、コノセルの着想になっています。
一つは、デジタル教材というのは、まず生徒を主語にして考えた場合に絶対に正しい、明らかに生徒が自分に合った教育を受けるために活用すべきである、ということ。何かを覚える、インプットする、というときに、紙の情報って文字情報か画像情報しかありません。そこにテクノロジーを使うと、動画と音声が足せて、難しい概念の行間を補ってわかりやすく理解することができます。これが一つの大きなメリットです。あともう一つ、アウトプットをするときに、生徒が自分で紙の問題集を取ってきてページ開いて適切な問題を選んで解いて丸付けしてやり直ししてってやるとすごく手間がかかるんですけど、そういうのをアプリが自動化してくれる。やっぱりそこまでできると、生徒一人一人にぴったり合った学習を提供するポテンシャルはあります。
ただ、教育の本質というのを考えたときにボトルネックになってくるのが、一人ではできないということです。僕の教育の定義というのが、「今できないことをできるようになる」「自分の限界を超える」、そのプロセス=教育と理解していて、自分の限界を超えるなら一人ではできないことが多いです。このときに、サポートしてくれる先生のような人だったり、一緒に勉強する仲間だったりがいる「場」みたいなものが重要になってくる。ただ、コノセルが目指す「生徒中心の授業」の思想が、既存の学校や学習塾のような教育機関とは異なることがあるので、単にサービスだけの押し売りだとうまく行かなそうだなと。でも、じゃあデジタル教材を今の学校や塾に卸せばいいかというと、今の学校や塾はいわゆる今までの紙のオペレーションや先生たちが一対多でしか生徒を見られない前提でのオペレーションがサービス設計の思想の根本にあるので、一人一人に合わせて一人一人を輝かせる教育が実はあまり得意ではない。だったら、OSから自分たちで組み替えて、生徒にとって一番いい状態を考えて、先生や場を持つことが一番いいんじゃないかなと考えて、その上で今ビジネスとして実現し得る最初のフィールドはどこだろうと考えた結果、学習塾をやっています。なので、究極的に僕たちがやりたいことって、「生徒一人一人に合った教育をテクノロジーを使って実現すること」です。そのために人と場が必要だったら、そのグランドデザインから自分たちでやって、今の時代のあるべき教育というのを新しく組み直していくということをやっています。

田島:

ちょっと別の角度から話していいですか?
私が最近考えているのは、教育って、「○○になりたい」を育むものかなということです。やっぱりその「○○になりたい」が自分の中で生まれたら、そこに欲求が生まれて、そこから持続的な努力につながるじゃないですか。その努力の部分だけをメトリクスとして切り取るよりは、その前の欲求をいかに持つか。やっぱりそこには探求心とか好奇心とか、学びに対する欲求が出てくると思うので。そういう教育のあり方みたいなところには私もすごく興味があるんですよね。

田辺:

僕も、それをどう位置づけるかなと考えていて、まず一つが、守破離的なところかなと思っています。なりたい自分を自由に思い描くのってけっこうレベルが高いんじゃないかなと。特に子どもは、未来のロールモデルが少ないから描けないんじゃないかなと。だから結果的に、みんなお花屋さんや消防士になりたくなる。だとしたときに、僕たちが「場」を持っている理由は、半歩先にいる先輩や数歩先にいる先生みたいな存在を持っているということで、なりたい自分のロールモデルをビビットに描くツールとして役に立つんじゃないかなと僕は理解しています。だから「場」が必要だと思います。田島さんがおっしゃるとおり、なりたい自分から逆算してモチベーションを持つっていうのは必須。ただ、そこの解像度が低い子どもたちに向けて、そこの解像度を上げる事例を「場」で提供しています。それを続けていくことによって、ロールモデルに出会う。それは、リアルかインターネットを介してかはわからないんですけど、そういうことを通じて、あとは、自分がなりたいところに向かっていく感覚がわかれば、誰でもどんなものでも目指せるようになっていくんじゃないかなと思ってます。
僕らが今やっているような5教科の教育で自分を成長させるということも、例えば宇宙飛行士になるために自分を成長させるということも、実はすごく似てるはずなんですよね。目標があって、今の自分がいて、何が足りないんだっけって分解して、モニタリングして頑張る、みたいな世界なので。そのモデルで小さな成功体験を持つということが、将来大きなものを目指していくための一つの基盤になるんじゃないかなと考えています。

田島:

最近、プロのサッカー選手に昔インタビューした子どもが自分もサッカー選手になったという話題を見ましたね。ああいうのいいですよね。
教育や学びは、目的ではなくて、あくまでも手段。そういうのが実現できるとすごくいいですね。

田辺:

僕のイメージとしては、目標を設定して、そこまで伸びていく、目標を達成する、ということの型を覚えてほしい。そういう、通用するものを得てもらった上で、コンテンツとして何を学ぶかっていうのは自由であるべきと思っています。教育関連のことをやっていると、「これからの教育は何を学ばせるべきですか?」みたいな質問ってあるんですけど、結局、何を学ぶかって人によって全然違うし、フェーズによっても違うから、それは何でもいいんだと思うんです。ただ、学び方と、自分は学んだら伸びるという実感を持ってくれれば、それでいいのかなって思ってます。あとは、それ(その想い)とお客様のニーズの交差点を探っていく。

田島:

学びって、なりたい自分に向かうためのツールですもんね。

田辺:

セルフマネジメントなんですよね。セルフマネジメントの中の要素として、ロールモデルがあり、コーチや教材がある、という感じです。

田島:

今の教育って、努力の部分をマネジメントすることばっかりに目が行き過ぎてて、なりたい自分を見つけることに対してのソリューションがあまりないと思うんです。最近けっこう、コーチングって言われてるじゃないですか。私も勉強したんですが、コーチングは、なりたい自分やありたい自分の解像度を上げることなので、本質的だなと思います。

田辺:

そこでですね、コーチングって誰にでも通用するかっていうと、実はそうではないと僕は思っています。コーチングって実は、ロールモデルの答えを持っているけど言語化できていない人には効くんですよね。なので、子どものコーチングの難易度が高い理由に、ロールモデルの欠乏はあると思ってて。

田島:

分母がないということですね。

田辺:

世間で批判される教育機関の姿って、成績を上げるためのHowから入っちゃっているケースなんじゃないかと思います。でも本当は、なりたい自分の定義を見つけるところから始めて、そのために成績が必要なら成績を上げるという順番。それがなぜか忘れられちゃった。で、なりたい自分っていうか偏差値だよねみたいになっちゃってて、そこがたぶん田島さんの感じている違和感だと思います。
僕らはどうしても年齢的にもビジネス的にもHowの部分からも入っていかざるを得ない部分はありますけど、重視しているのはやっぱりセルフマネジメントで成長していくという根本的な型の部分。それは変わらないと思いますね。

幸せの見つけ方を教える、そんな教育を

河野:

最近、教育について考えていくと結局、個々人にとっての幸せって何だろう?っていうところに辿り着いてしまう気がしています。教育も手段だと思っているので、子どもたちがそれぞれに幸せな人生を送るという未来を作るためのものかなと思ったときに、その未来のカタチってどんなものかなって。社会のデジタル化とかも進んでいく中で、変わってきているところもあるだろうし、そもそも幸せって何によって作られるのかとか考えちゃいます。

田辺:

僕はやっぱり、幸せとかは自分が定義するしかないと思ってる派なので、田島さんがさっき言ってた「なりたい自分」論に近いですね。なりたい自分を見つけられること/それを自分で決められること、そしてそれに近づくためのプロセスを知っていること、そして、自分が実現できると思うこと。この三つがそろってたら、おそらく幸せだと思うんですよ。「なりたい自分」とか、何に幸せを感じるかって、状況によって変わっちゃうし。それも含めて自分で認識して、そこに向かっていけることが大事なんじゃないかと。
このあたりがリンクし合っていたいですね、コノセルのサービスに関わってくれる人たち・仲間たちとは。

田島:

その部分って何から認識するのかって考えると、けっこう人との一期一会からなのかなと思います。

田辺:

人の影響はすごく大きいですよね。“周りにいる5人の平均が自分”という話じゃないですけど。僕がそれをすごく認識したのは、資金調達しているときでした。投資家の方とばかり関わっていたので、視点がすごく投資家寄りになってたんですよ。調達が落ち着いて、今は毎日教室の状況を見に行ってるんですけど、そうなるとやっぱり視点がサービス寄りになってます。結局、誰と向き合うかによってすごく変わりますよね。固定的な自分の理想なんてないと改めて感じました。人の影響や外部環境の影響を受けるから。そういうことを認めて、その都度で求めるものに対して素直であれれば幸せなんじゃないかって僕は思ってます。

田島:

例えば、半年間、テレビも見ない、誰にも会わない、インプットがない生活を送ったときにどう欲求が育つのかというのはすごく興味がありますね。

田辺:

今の緊急事態宣言下でずっと家にいられる人っているじゃないですか。家の中での生活とデジタルのエンタメで満足できる人。でも、僕は絶対無理なんですよ。だから、内発的に求める刺激の強さって人によって違うと思いますし、どういう刺激を求めるか(実際に人に会わなきゃダメなのか、アクティビティをすればいいのかなど)みたいなところで、そのタイミングでのその人の嗜好性というのは如実に表れると思いますね。それでアクションが変わるから、触れる情報が変わって、欲望が変わる、みたいなことが起きてるんじゃないかなと。(自分自身の内と外の境に)膜があるわけじゃなくて、半透膜というか。情報や刺激は入ってくるじゃないですか。だから、僕はそもそも自分が固定的なものとはあまり思っていないです。

田島:

同じ情報のインプットでも、受け取り方も違いますしね。AというインプットがあってBとして受け取る人もいればCとして受け取る人もいる。

田辺:

そうですね、本当に一人一人が違うから、幸せの定義にしてもこちら側で決めないっていうのは、教育事業者としては大事なんだろうなって。一人一人が違うということを認識して、その人にとっての幸せを見つけるお手伝いができるかどうかって考えないと、宗教になっちゃうと思いますね。そして、それができる人というのも、そもそも自分を認めてる人だなと思います。例えば、人にマウントを取りがちな人ってそもそも自己評価が低いんじゃないかなと。

田島:

リーダーシップ論みたいなことを考えていて思うんですけど、やっぱりすべてにおいてメンバーよりも自分の方が優れていないといけないっていう思い込みが強い人ってマウント取ってしまうんですよね。そうじゃなくて、自分が強いところがあれば相手が強いところもある、それでトータルでパフォーマンスを出すことがリーダーだってことに気づくと、そんな行動はなくなるわけですよね。

河野:

これからの教育というと、リーダーシップに目が行きがちなところもあると思っています。やもすると視点が上に行き過ぎてしまうというか、エリート層の人だけに視点が行き過ぎてしまうことも多い気がしていて。特に大学とかまでいくと、似たような属性の人との関わりが多くなっていきますし。でも、そうではない人たちがたくさんいるっていうのを意識した上で何を作っていくのかみたいなところが大事かなと思っています。

田島:

ベクトルの方向性が重要だということだよね。

田辺:

伸びてることが大事で、何で伸びてるかは別に関係ないよねってことですよね。余計なお世話ですよね、エシカルだSDGsだって、それをやりたい人やそれを好きな人がやればいいじゃんって。自分で決めたらいいじゃんって。

田島:

やもすると、ジャッジしがちですよね。幸せや成功の定義みたいなものを。

田辺:

僕は自分がジャッジされたくないから、人の幸せもジャッジしたくないです。幸せって自分の中でしか感じられないのに、他の人が決めるなんて完全におかしいじゃないですか。
僕たちは、コンテンツを何に切り替えても実践できるようなセルフマネジメントを根本的な教育と考えます。コンテンツを何にするか、何に興味を持つかっていうのは一人一人が決めるべきことであって、社会のトレンドがあったとしても、個人が決めるべきことだと思ってます。僕らはその中で、今自分たちがビジネスとしてきちんと成り立つものの中で一番いいものを提供できて自信のある領域をやっていますし、やっていきます。

※こちらは、2021/3/2時点の情報です
(デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上恭大さん、聞き手/まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ 吉田 愛)

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