
AIはディープテックのバリューチェーンをどう変えるのか
研究・設計・製造が、一つの学習ループになる時代
従来のディープテック開発では、研究、設計、試作、評価、製造、市場開拓が、それぞれ独立した工程として進められてきました。例えば、研究者が製品の候補を設計し、実験担当者が試作する。評価担当者が性能を測定し、製造部門が量産条件を検討する。そして営業担当者が顧客へ提案するなど、それぞれの工程には高度な専門性が必要である一方で、情報は工程ごとに分断されやすいという課題がありました。つまり、各工程がバトンを渡すように順番に進む「直列型」のプロセスであるため、後工程で問題が見つかるたびに前の工程へ戻る手戻りが発生していました。
こうした直列型のバリューチェーンを大きく変えつつあるのがAIです。 近年では、市場で得られた顧客の声、研究データ、実験結果、製造データをAIが横断的に解析することで、顧客評価をもとに研究条件を見直したり、製造工程で得られた品質データを次世代製品の設計へ反映したりできるようになっています。つまり、データを中心に継続的に学習する「学習ループ」によって、バリューチェーンの在り方が大きく変わり始めています。

本記事では、ディープテックスタートアップが押さえておきたい「AI時代のバリューチェーン」について、実例を交えながら解説します。AIによって、企業の意思決定・組織・競争優位の源泉がどのように変化していくのか、そしてスタートアップとして自社のサービスにどうAIを活用すべきかを考える視点をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください。
1.候補探索が変わる
人の仮説中心から、広い探索空間と実験の往復へ
従来の研究開発では、研究者の知識や過去の論文をもとに候補を設計し、その中から実験可能な数に絞り込んでいました。
しかし、AIを用いることで、既知のデータがあれば候補を事前に計算し、「有望な領域を広く探索」できるようになります。
例えば、イギリスのAI × 材料科学企業であるCuspAIは、AIを活用して、コーティング、膜、触媒、半導体材料、電池材料などの候補探索を進めています。同社が2026年に打ち出した「AI Materials Foundry」では、AI企業だけでなく、実験機関、材料メーカー、半導体関連企業を結び、計算上の候補を実際の合成・評価へつなげる構想を掲げています。
重要なのは、AIモデル単体ではなく、AIによって、材料探索が「一人の研究者が順番に仮説を試す活動」から、AIと実験、人が協調しながら計算・実験・産業知識をつなぐプラットフォームへ変わり始めている点です。この変化によって、探索範囲が広がり、有望領域を効率的に発見できるようになります。

2.研究・設計が変わる
単一性能の逐次改善から、複数性能の同時最適化へ
ディープテック製品は、一つの性能だけが高ければ事業化できるわけではありません。例えば産業用酵素であれば、活性だけでなく、熱安定性・生産収率・保存安定性・溶媒耐性製造・製造コストなど、複数の条件を同時に満たす必要があります。
従来は、まず活性を高め、その後に安定性を改善し、さらに生産性を調整するというように、性能を順番に最適化することが一般的でした。
AIによるタンパク質設計を提供するオランダのAI×バイオ企業であるCradleは、活性、安定性、発現量など複数の特性を同時に考慮し、実験結果をモデルへ反映しながら次の候補を生成する仕組みを提供しています。同社は、産業用酵素において、研究室内の測定値だけでなく、発酵槽や最終製品で求められる性能を初期段階から複数の設計条件に入れることを掲げています。
重要なのは、AIによって「何を最適化するか」という設計思想そのものが変わり始めている点です。従来のように性能を一つずつ改善するのではなく、事業化に必要な複数の要件を初期段階から同時に考慮し、実験データを取り込みながら継続的に設計を更新していくー。AIは、研究・設計を「逐次改善」から「同時最適化」へと進化させつつあります。

3.試作・実験が変わる
施策を作って学ぶ開発から、仮想空間で絞ってから試作品を作る
半導体、航空機、自動車部品、エネルギー機器などでは、試作そのものに大きな費用と時間がかかります。従来から試作前のシミュレーションが行われていましたが、複雑な物理現象を高精度で計算するには、長い計算時間が必要であり、設計変更のたびに試行錯誤を繰り返すことが一般的でした。
イギリスのPhysicsXは、物理シミュレーションとAIを組み合わせ、形状や設計変更に伴う性能を高速に予測する技術を、半導体、材料、航空宇宙、自動車、エネルギーなどの分野へ提供しています。同社は、リアルタイムに近いマルチフィジックス予測によって、設計反復と最適化を高速化することを掲げています。
重要なのは、AIによって試作の役割そのものが変わり始めている点です。従来は実際に試作品を作り、その結果から学習することが中心でした。一方でAI時代には、まず仮想空間で数多くの設計案を評価・絞り込み、有望な候補だけを実際に試作・検証することが可能になります。試作は「探索の手段」から「最終的な検証手段」へと役割を変えつつあり、開発スピードとコストの両面で大きな変革が始まっています。

4.製造が変わる
製造は最終工程ではなく、次の設計を学ぶ工程になる
従来、製造工程で取得される画像、検査値、不良情報、設備データは、品質管理やトラブル対応のために利用されることが中心でした。問題が発生した後に原因を調べ、再発防止策を講じるという、いわば守りのデータ活用が主流でした。
米国の製造AIを提供するInstrumentalは、工場で取得される画像、テスト結果、工程条件を統合し、既知の不良だけでなく、これまで想定されていなかった異常の発見や原因分析に活用しています。異常の検出、根本原因の分析、検査条件の展開を一つの流れで扱う点が特徴です。
製造工程は、研究開発が終わった後に位置する「下流工程」ではなくなります。実際に製品を作ることで得られるデータが、次の設計精度を高める学習源になります。

5.ジェネシア・ベンチャーズ投資先事例
ここまで海外企業の事例を中心に、AIがディープテックのバリューチェーンをどのように変えつつあるのかを見てきました。こうした変化は、ジェネシア・ベンチャーズの投資先でもすでに始まっています。
特に注目したいのは、AIを材料探索、実験、分析といった研究開発プロセスそのものに組み込み、開発サイクルを高速化・自律化しようとしている点です。主な投資先事例は以下の通りです。
| 企業 | 事業領域 | 概要 |
|---|---|---|
| NanoFrontier | 候補探索/研究・設計 | AI×マテリアルインフォマティクス 熟練研究者の暗黙知をAIエージェント化し、材料開発を自律化する取り組みを推進 |
| メタセンシング | 評価・解析/製造 | AI×ラマン分光 ラマンセンサーと生成AIを組み合わせ、材料分析から実験・装置制御までを自動化する取り組みを推進 |
| Beff | 評価・解析/製造 | AI×電池開発 知識・技術探索と、リアルな材料・プロセス開発をつなぐ |
6.傾向とまとめ
AIを絡めたディープテック企業の事例を4社ご紹介しました。AI時代に起きている本質的な変化は、研究・設計・試作・評価・製造・市場という個別工程を、一つの学習システムとして繋げることにあります。
これまでのディープテック開発では、各工程が高度な専門性を持ちながらも、それぞれが独立した「点」として存在していました。しかしAIによって、各工程で得られるデータが相互につながり、次の意思決定へ継続的に活用される「学習ループ」へと変わり始めています。
この変化は、単に開発スピードを上げることだけを意味しません。どのデータを取得し、どの部門と共有し、どの工程へフィードバックするかというバリューチェーンそのものの設計が、企業の競争優位を左右する時代になっています。
だからこそAI時代に問われるのは、「AIを導入しているか」ではなく、「自社のバリューチェーンが学習する仕組みになっているか」です。
研究、実験、製造、市場。それぞれの工程で生まれるデータをどのようにつなぎ、次の意思決定に生かすのか。その設計こそが、これからのディープテック企業にとって重要な経営課題になるでしょう。
AIは、研究者やエンジニアの役割を置き換えるものではありません。人が問いを立て、AIが広い探索空間を探索し、実験がその結果を検証し、製造と市場が新たな学習データを生み出す。この循環をいかに設計できるかが、次世代のディープテック競争を決める時代が始まっています。

最後に
本記事では、ディープテックスタートアップがAI導入を検討する際に押さえておきたいポイントを整理しました。まずは、「自社のバリューチェーンにおいて、AIが学習する仕組みになっているか」を自問するところから始めてみましょう。全体を俯瞰するために以下のチェックリストも参考にしていただけたら幸いです。

著者
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