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【RemitAid】世界に挑む日本を支える -クロスボーダー決済でつくる、いい世界といい一日|Players by Genesia.

PLAYERS

「Butterfly Effect(バタフライ・エフェクト)」という言葉を思い出しました。

バタフライ効果(バタフライこうか、英: butterfly effect)は、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。[Wikipedia]

ある場所での蝶の羽ばたきが、地球の裏側の竜巻につながる。小さなできごとが、最終的には予想もしなかった非常に大きなことに繋がる。そういった現象を指します。

『私たち一人ひとりの“いい一日”が、“いい世界”をつくる』

そんな未来に期待したくなるようなビジョンを描くことも、スタートアップのシゴトなのかもしれません。

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RemitAid(レミットエイド)は、企業間海外決済プラットフォームを展開するスタートアップです。利用企業は、海外取引先への支払い/海外取引先からの受取りにおいて、法人クレジットカードを用いた決済を開発なしで簡単に利用することができます。

代表の小川さんと投資担当の河野は、大学時代から10年以上のご縁。そして今、起業家と投資担当として、新しいご縁を結んでいこうとしています。その先に二人が描く、企業間海外決済と日本経済の未来とは?そして、二人にとっての“いい一日”と“いい世界”とは?

小川さんと河野が、お互いのイメージを語りました。

  • デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん
  • 聞き手・まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ Relationship Manager 吉田
  • 以下、敬称略

大きな挫折と成功を味わった学生時代

河野:

小川さん、今日はよろしくお願いします。今日のこの場が、小川さんの想いをよりオープンにして広く伝える機会だったり、日頃から考えていることを言語化する機会になればいいなと思っています。小川さんと僕の出会いは大学時代なので、もう10年以上お互いのことを知っているわけですけど、こうしてお話しする機会はあまりなかったと思うので、すごく楽しみです。

小川:

こちらこそよろしくお願いします。

河野:

では最初に、小川さんのこれまでの歩みについて教えてください。まずは子どもの頃などを振り返ってみて、どうですか?

小川:

子どもの頃は、とにかくやんちゃだったと思います。学校が終わればランドセルを玄関に置いてサッカーボールと交換して、ずっと外で遊んでるような子どもでした。一方でまじめな面もあって、小学校の頃から生徒会にも所属してました。たぶんシンプルに言えば、”目立ちたがり屋”。ただ、とにかく何においても目立てればいいというわけじゃなくて、ちゃんと評価されたいと思っていたので、先生や親みたいな対大人であれば勉強を頑張る、対友だちや女の子であればスポーツを頑張る、みたいに人の目を意識しながら、結果的にいろいろ頑張れていた感じなのかなと思います。中学・高校時代もずっと生徒会とサッカーは続けていて、加えて部活で駅伝もやって、とかなり広く動き回ってました。でもそれなりに勉強もしてたし、やっぱり根はまじめなのかな。

ただその中でもやっぱりサッカーが大好きだったので、軸になってたのはサッカーでした。当時のコーチがU-19の元日本代表で、めちゃくちゃ怖かったんですよ。ミスするとめちゃくちゃ怒られる。でも、つらいときには本当にぐっと支えてくれる。そんな恩師のもとで、サッカーが好きって気持ちと怒られるのが怖いって気持ちを同居させながら、でも必死で頑張った経験が、僕のパーソナリティに大きく関わってる気がします。

河野:

サッカーと駅伝をかけもちですか?

小川:

そうです。放課後は部活で駅伝をやって、その後にクラブチームでサッカーをやる生活でした。

河野:

ハードですね・・!それで勉強や生徒会もカバーしてたなんてすごいです。成績はよかったんですか?

小川:

そこそこよかったです。なので、高校を決めるときには進学校も選択肢に入ってたんですけど、中学時代からクラブチームの練習場所だった高校の監督が「うちに来てよ」って言ってくれたので、スポーツ推薦でそちらに入りました。学校の先生たちには反対されましたし、その後の進路とかサッカーを本気でやることを考えていたらもっと別の選択肢もあったと思うんですけど、自分の意志を貫きました。今思うと、承認欲だったのかな・・やっぱり「来て」って言ってもらえたのがうれしかったんです。

でも、高校入学前の練習でアキレス腱を部分断裂しちゃって、入学前に行けるはずだった遠征にも行けなくなっちゃって。その後もゲーム感覚が全然戻らないことに焦りすぎて無理に練習を続けてたら、今度は骨化性筋炎っていうケガになっちゃったんです。肉離れしたところにカルシウムが入って骨になっちゃうっていう。それで高校に入ってから約一年間はサッカーができなくて、後輩も入ってきて全然レギュラーになれなくて。本当につらい時期でした。スポーツ推薦で入学してるので、部活を辞めるってことは学校を辞めるってことになるんですけど、本気でもう辞めようって考えてました。すごい挫折の経験。でも、そのときも中学校時代の恩師が「明日も休んだら殴りに行くぞ」って家から引っ張り出してくれて。救われました。最終的にはレギュラーになれて、高校サッカー選手権の千葉県の予選ではありますがベスト8にもなれて。メインスタンドにそれなりに人がいるスタジアムっていう晴れ舞台みたいな場所でサッカーをできたのは、すごい財産になりました。あれほど緊張したことはない。本当につらい挫折と、やりきった経験というか成功体験の両方を味わったのが高校時代ですね。

株式会社RemitAid 代表取締役CEO 小川 裕大

さらなる挫折と、挫折に向き合うマインドセット

河野:

人の目や評価を気にしていたってコメントがありましたけど、それはどういうところから来てたんでしょう?何かプレッシャーみたいなものがあったんでしょうか?

小川:

どうでしょう。両親はめちゃくちゃ自由にさせてくれてました。当時は「口うるさいな」って思うこともありましたけど、今考えると、僕がやりたいことをすごく尊重してくれてました。失敗もたくさんしましたけど、笑って「ドンマイ」って言ってくれるような両親です。例えば中学生のとき、僕が人に迷惑をかけるようなことをしちゃったことがあったんです。その場ですぐに謝って一応解決はしてたので言わなきゃバレなかったんですけど、僕も罪悪感があってか、帰ってから親にそのことを報告したんです。そしたら親は、笑いながら「一緒に(お詫びの)電話しよっか」って言って、一緒に謝ってくれました。やりたいことは自由にやらせてくれて、自主性を大事にしてくれる。その一方で、ケツを拭いてくれるというか、悪いことは悪いってしっかり示してくれる。ただそれは私たち(両親)の責任でもあるから一緒に軌道修正しよう、みたいなスタンスだったんだと思います。自分自身のパーソナリティをまっすぐ受け止めることを恐れなくていいんだよっていう教育だったのかな。

河野:

反抗期とかはなかったんですか?

小川:

なかったと思います。何かあれば親から監督に報告が行って、監督から怒られるのが脅威でした。

河野:

小川さんの中では、高校時代のサッカーでの経験が一番の挫折ですか?

小川:

いや、悩ましいですね。大学でサークルを立ち上げたときも、社会人になってからの一回目の起業の経験も、大きい挫折は高校卒業以降も経験してます。今思えば財産だと思いますけどね。

河野:

本当にすごいです。普通はサークル作らないし、普通は起業しないですよ。でも小川さんはやった。何がそうさせるんだろう?ってすっごく不思議です。

小川:

サークルの話はシンプルです。大学に入って最初に所属したサッカーサークルの朝練の時間が早くて、実家から通ってた僕はなかなか出られない。一年生のときは朝から必修の授業もある。でも練習に出ないと試合で使ってもらえない。それって構造的に理不尽じゃないか?じゃあ作っちゃおう!って発想でした。

河野:

誰かやってくんないかな?じゃないんですね。人が集まらなかったら恥ずかしいな・・怖いな・・とかって普通は考えちゃう気がするんですけど。

小川:

何か根拠のない自信があるんですよね、きっと。その結果として失敗も挫折も経験してるんですけど、それでも一歩目を踏み出すことはためらわない。まずはアクションして根拠を作ろう、みたいな。

河野:

その根拠のない自信はどこから来たと思いますか?自由にさせてくれる、でも支えてくれる、そんなご両親や監督の方の存在が大きかったんですかね?

小川:

たぶんですけど、ベースに「承認されたい」って気持ちがやっぱりあるんですよね。その上で、「一番最初に自分で自分を承認できてないと怖い」んだと思うんです。だから、「(根拠はないけど)大丈夫だよ」「おまえならできるよ」って、もう一人の自分みたいな存在が言う。そういう仕組みがあることが良くも悪くも「根拠ない自信」につながってますし、僕のパーソナリティなのかなって思います。少なくとも自分が承認できてれば0じゃなくて1だよってことが、僕にとってすごく大事なのかなって。自分が自分を否定しちゃったら本当に誰にも承認されない状態ですよね。それがたぶんめちゃくちゃ怖い。

河野:

きっと自分の中にも何らかの水準があるんですよね。これはイケる、これはムリ、みたいな。

小川:

そうですね。そのイケる水準、ハードルが人より低いような気はしますね。まずは自分を肯定して、飛び越えてみよう!っていう感じ。

就活時代に出会ったパートナーと、一回目の起業

河野:

学生時代を経て、キャリアのスタート=新卒では、ネットプロテクションズに入られた。

小川:

大学時代にサークルの立ち上げをして、組織づくりの経験をしたんですけど、組織づくりって本当にすごいなってひしひしと感じてたんです。組織をつくる=人と人が繋がる場所をつくるってことだなと。実際に僕もサークルで出会った嫁と結婚してますし、後輩にも友だちができたり、後輩同士も結婚してたりとかして、僕がこのサークルを作ってなかったらこの人たちは出会ってなかったんだって考えると、すごいことをしてるのかもしれないって思ったんですよね。じゃあ今度はそれを社会でやるとしたらどうする?って考えたときに、起業っていう選択肢は就活時代から僕の中にすでにありました。それまでスタートアップに関わったこともなかったし、当時はたぶんまだスタートアップって言葉もなくて、ベンチャーって言葉がやっと出てきたかなって時代でしたけど、そのベンチャーって言われる企業を回って選考を受けてました。就活してたのは2012年です。ネットプロテクションズもその中の一社で、組織への想いが強いところと、”決済”っていう一つの軸を持ってるところに共感して、入社を決めました。「”決済”を通じてどんな世界を作りたいか?」っていう議論がすごく活発になされていた印象があって、そうやってみんなで同じ方向を見て進んでいこうっていう雰囲気がしっくりきたんだと思います。そして、あのときにみんなで描いていたことが今BNPLってかたちで世界のスタンダードになろうとしているのを見ると、やっぱり社会的にも正しい方向に向かってたんだなって、答え合わせできてるような気持ちです。僕自身は一年で辞めちゃったんですけどね。

河野:

辞められたきっかけは?

小川:

一緒に起業しようって言ってたやつが辞めたので、じゃあ一緒に辞めるかってノリでした。結局そいつとは別のことにチャレンジすることになって、僕自身はプログラミングを勉強してサイトを作ったり、就職の支援をしてる中で新しいパートナーに出会って、前職を辞めてから一年弱くらい経って起業しました。

河野:

起業のパートナーとはそれぞれどこで出会ったんですか?

小川:

二人とも就職活動の中で出会いました。当時ベンチャー界隈で就活してた仲間は各所で活躍してて、今でも繋がりがあります。仲の良い当時の友人たちには、業務委託で手伝ってもらうお願いをしたりもしてます。

河野:

当時『ソーシャルネットワーク(映画|Facebookのマーク・ザッカーバーグの創業ストーリー)』が公開された頃でしたよね。ベンチャーかっこいい、みたいな雰囲気があった気がします。
僕自身もベンチャーやスタートアップに興味を持ったのは大学生の頃です。きっかけは2013年、大学3年のときにインドでインターンをしたことでした。実は・・というか、僕も子供の頃から「やる気になれば何でもできる」っていう根拠のない自信があって、「何でもいいから多くの人ができないと思ってることを成し遂げて、自分自身を証明したい」って気持ちから、インドで事業立ち上げのインターンをさせていただいたんです。そこで出会った起業家の方々が、困難に立ち向かいながらも楽しそうにゼロから事業を作ってるのを見て、スタートアップの世界に興味を持ちました。
僕と小川さんの接点も、ベンチャー・スタートアップ界隈っていう共通点からですよね。最初の出会いは大学時代で、僕が2011年に大学に入学して、どこかサークルに入ろうかなって考えてたときに、小川さんが立ち上げたサッカーサークルの新歓に行ったところからでした。そこで、お互いに千葉出身だってことがわかったりして。

小川:

よく覚えてます。

河野:

結局僕はそのサークルには入らず、そのときは本当にその場限りのご縁で、しばらくお会いしてなかったですよね。再会したのは、僕がまだインドにいた2015年の秋ぐらいにサイバーエージェント・ベンチャーズ(現:サイバーエージェント・キャピタル)でインターンをするようになってから。海外で事業を展開する日本人起業家をお呼びしたイベントでしたっけ?

小川:

たしかそうです。「おお!」みたいな感じで。

河野:

本当に偶然。そこからちょこちょこランチしたり飲みに行ったりして、定期的に近況報告する間柄になったって感じでしたよね。

小川:

最初の出会いからは12年、再会してからももう8年ですね。

株式会社ジェネシア・ベンチャーズ Principal 河野 優人

一回目の起業から学んだ「薪をくべ続けること」

小川:

一回目の起業は、それこそサイバーエージェント・ベンチャーズさんからの出資も受けましたけど、最終的には僕は会社を離れる決断をしました。学びだらけでした。河野くんはそのときのことも知ってくれてて、でもずっと付き合ってきてくれて、感謝してます。本当にありがたいです。

河野:

むしろその経験も小川さんの強みだと僕は思ってます。小川さんといえば、「人と組織を大事に」っていうポリシーを強く持たれている印象があるんですけど、それはその一回目の起業のときの学びだったんでしょうか?

小川:

一回目の起業で学んだのはどちらかというと事業の方でしたね。人や組織について学んだのは大学のサークル時代だったと思います。
大学時代、自分が立ち上げたサークルからどんどん人が抜けていくことを経験して、当時流行っていた『もしドラ(小説|「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」の略)』を読んだんですけど、一発目の「顧客とは誰か」っていう言葉にハッとさせられたんですよ。一緒にやってくれてる仲間のことを全然考えてなかったなって。そこからマネジメントのあり方をすごく勉強したんです。それで学んだのは”承認力”というか、やっぱり仕事を任せて「必要としてるよ」って伝えることがすごく大事で、一人一人の想いと組織の想いをガッチャンコさせないといけないっていうこと。今のマネジメントスタイルにも活きてる部分ですね。でも、それだけじゃ足りないってことを学んだのが、一回目の起業でした。ビジョンを語って人を巻き込むことは、ともすれば口がうまければできる部分もあると思うんですよ。でも、巻き込むだけじゃなくて、巻き込み続けることが必要。じゃあ巻き込み続けるためにどうするか。事業を戦略的に積み上げて考えることとか、ビジョンと足元の結びつきをどう見せるかとか、そういうことが改めてすごく大事だってことを学びました。当時はその力がなかったんです。KPIの設計が甘かったりとか、キーアクションが定まっていなかったりとか、ビジョンとアクションを結びつけて考える力があまりにもなかった。だから当時、僕が会社を離れることが会社にとってベストな選択になってしまった。
人も大事、組織づくりも大事、でもやっぱり事業も大事。人や組織の想いに火をつけることはできても、薪をくべ続けて機関車を走らせ続けることが重要。一人一人の生活や人生もありますから、事業をちゃんと作っていくことの大事さを身に染みて感じました。人の想いを大切にしないと事業づくりや組織づくりはできない、同時に、人の想いを大切にするだけでは人(メンバーや顧客、支援者)はついてこない。

河野:

当時すごく苦しんでいた小川さんも僕は知ってます。あのときの学びをそんな風に言語化されているんだということを聞けてよかったです。
その一回目の起業というチャレンジを終えて、そこからDeNAに行かれたのはなぜだったんですか?

小川:

正直なところ、スタートアップが怖かったんですよね。周りの目とか評価とか。改めて、自分ってずっと人の目を気にして生きてるなーって感じましたね。

河野:

人にどう見られるかって、やっぱり怖いですよね。僕も、例えば僕がチャレンジングじゃない選択をしたときに、これまで仲良くしてた人たちが僕をどう思うんだろう?失望するんじゃないか?とか考えます。本当はそんなことないかもしれないんですけどね。僕がどこに行こうが何をしようが、僕の選択を尊重して僕個人との関係性を大切にしてくれるはずだって思うんですけどね。でもなぜか、本当にそうか?と不安に思ってしまうことがある。

小川:

そうですよね。僕も、そのときすでに”失敗した人間”だったので、本当に周りにどう見られてるのかがわからなくて。怖すぎました。スタートアップに行く選択肢もあったんですけど、なんとなく一回離れたいなと。とはいえ超大手企業に行くのもなんとなく違う気がして。言語化が難しいんですけど、やっぱりいずれはもう一回スタートアップに戻ってきたいって想いがあったのかもしれなくて。それで、メガベンチャーでITを使って仕事ができる、新規事業の立ち上げポジションで仕事ができる、そんな条件にしっくりとハマったのがDeNAでした。

失敗と成功から、フィットする事業に辿りついた

河野:

DeNAで働かれている間も副業的にECサイトを運営されてたりして、小川さんはずっと小売・決済(フィンテック)とかクロスボーダー(海外取引)とかの文脈で何か考えていらっしゃる感じでしたよね。

小川:

一回目の起業の経験が実は大きかったです。そのときはフィンテックとは違う領域を選んだんですけど、そこを離れて、改めて自分が価値を出せる領域をとことん考えたんです。今の自分にとってその結果がフィンテックでした。それでRemitAidを創業して、フィンテックにフォーカスすることにしました。河野くんが言うように越境ECとかもトライしてみたんですけど、そこは自分じゃなくてもいいのかなと思って。
DeNA時代、UFJニコスとの合弁会社のペイジェントに出向したんですけど、そこで、大手企業やスタートアップ、国家プロジェクトに至るまで、たくさんのプロジェクトにおいて自分たちが立ち上げたサービスで価値提供できた強い手応えがありました。それが僕の中での大きな成功体験になりました。銀行やクレジットカード業界の構造やどんな方々がどんな実務をしているのか、法的にどうなのかっていったこともある程度は理解できました。その経験を活かすことができるフィンテックの領域なら、自分自身がもう一度起業して事業を作る意味があると思えたんです。
失敗体験で”学び”を得た。それは間違いないけど、それだけじゃなくて、成功体験で”自信”も得た。どっちもあって、今に至った感覚です。

河野:

今回、小川さんがRemitAidを創業されて最初の資金調達ラウンドで、出資機会を得てパートナーにならせていただきました。小川さんのそういったフィンテックにかける想いも知っていたつもりでしたし、RemitAidが目指す『世界に挑む日本を支える』というビジョンと『グローバル取引をフラットに』というミッションも、小川さんご自身のストーリーと密接に結びついているのが素敵だなと思ってます。また、それは僕自身が目指す世界観でもあり、一緒に実現していきたいと強く思っています。

小川:

フィンテックの中でもクロスボーダーの領域を選んだ経緯で言えば、自分の実家が広島の山奥なんですけど、実家の近くにいくつか会社があって、そこで事業をやっている皆さんのすごさを間近で感じたことが大きかったです。皆さんすごいんですよ、広島の山奥からグローバルで事業を展開していて。それで、日本にはやっぱりまだまだ素晴らしいモノやサービスやそれを提供する会社がたくさん眠っている、そういう存在をもっともっと世界に届けたいってシンプルに思って、クロスボーダー×決済の領域にチャレンジしようって考えました。

河野:

これまでの日本の海外輸出は、自動車に代表される非言語商品、つまり、原材料や完成品など機能性で価値基準が統一されたモノが中心で、それ自体は日本を経済大国に押し上げた素晴らしい産業です。一方で、漫画やアニメを除くと、ストーリーを軸にした世界的なブランド商品は実はあんまり多くないかもしれませんよね。でも日本には、文化や観光資源、想いのある生産者や職人による食品や伝統工芸品など素晴らしい商品が数えきれないほどある。僕自身も、そういったものをまだ世界に伝えきれていないと感じています。

小川:

実際、クロスボーダー取引における決済については、ペイジェント時代にも顧客からたくさん相談をいただいていて、課題は大きいと感じていました。一方で、法的な難易度やリスクの観点から、既存の組織で新規事業として立ち上げるには、なかなか取り組みにくいトピックであることも理解しているつもりでした。
だから改めて起業してトライするに至ってるんですけど、チャレンジを決めて実際に蓋を開けてみたら、想像以上にフィンテックだけでは解決できない複雑性にたくさんぶつかっています。それと同時に、これまで以上に顧客課題の根源に対しての理解が深まっていると感じますし、このナレッジをしっかりと僕たちのmoatに結びつけていきたいと思ってます。

河野:

今ではDeepLみたいな翻訳サービスとか越境EC・海外販売支援ソリューションとかの発達によって、中小企業でも海外取引にチャレンジしやすい土壌ができてきていますけど、決済を中心とした海外取引のプロセス自体にはまだ多くの負が残されていますよね。RemitAidはそれらの負を解決して、日本に眠る価値のある商品が世界に届けられる未来を創っていくことができるって信じてます。

「今日もいい日だな」をつくれる経営者に

河野:

ここまで小川さんの失敗と成功、学びと自信、それらを経て今に繋がってきたっていうお話をお伺いしてきて、小川さんのことをこれまで以上に知れたかなって気持ちとともに、その試行錯誤とか小川さんの事業への想いへの共感の気持ちもより強くなりました。その上で、僕自身と小川さんって人としてのタイプも少し近いのかなってことも個人的には感じました。
承認欲求とか、周りの人の目を意識してしまうとかってキーワードにちょっと戻って、もう少し“人”とか“ステークホルダー”についての話をしてみたいんですけど、僕も小さい頃から周りの目をすごく意識してきたんです。そして、これまではその“周りの目”を一つの塊だと思ってきた。でも最近は、“周りの目”の中にもグラデーションがある気がしてるんです。僕を中心とした同心円があったときに、僕のことを名前くらいしか知らないような円の外側にいる人なら僕の真意まで知ろうとせずに勝手なことを言ったりするかもしれないけど、本当に仲がいい友だちとか想いを共にする仕事仲間とか円の中心近くにいる人たちならそんなことないんじゃないかなって。最近はそんなグラデーションを考えるようになりました。正確には、そう信じたいし、そんな仲間を作りたいって思ってます。
小川さんは、そのあたりの人に対する想いとかが過去と今で変化してるって感じるところはありますか??

小川:

河野くんの言うとおり、みんながみんなそこまで他人のこと見てないし気にしてないよね、だからあんまり気にしなくてもいいじゃんって思う一方で、そういうのを気にしてしまう根本的な性分ってあんまり変わらないのかなと思いますね。僕は、“周りの目”のレイヤーを分けるっていうより、例えば耳の痛いことを言われたとしても、僕に何らか関わって興味を持って何かコメントをくれる人のことは、ちゃんと受け止めたいと思ってます。興味を持って、コメントくれているだけで感謝しかないです。

河野:

たしかに、レイヤーを分けるっていうより、お互いに受け止め合える関係性をつくるってことなんですかね。本音を伝えられる関係・・まさに愛みたいな。

小川:

愛!

河野:

しっかりと伝え合って受け止め合うってことですね。小川さんはそのあたりの力がすごく強いように思ってます。

小川:

そう言ってもらえてうれしいです。そうありたいとずっと思ってるので。特にその人の“いいところ”を伝えることは、マネジメントにおいてもすごく意識してます。
ネットプロテクションズの人事の方が言ってた言葉を今、RemitAidの行動指針の一つにも入れてるんです。それが、「オールSのチームこそ最強」って言葉。どんなジャンルでも平均的というか、大体Bランクで揃ってる人たちを集めるよりは、ジャンルによってはCランクとかDランクがあったとしても一つでもSランクを持ってる人たちを集める。そうすれば、「(チームとして)オールS」になるよねってことです。すべてにおいてSランクなんて人はいない前提で、違うSランクを持った人たちを集めることが多様性で、それが重要だよねと。だからやっぱり、メンバー一人一人のいいところをちゃんと見つけて、それを認識して伸ばして活かしていってもらうにはどうしたらいいかってことを一緒に考えることがすごく大事だと思ってます。その人のSランクを伸ばして活かすことが、オールSのチームをさらに強くしていくことにも繋がるかなと。

河野:

僕がずっと考えてることがあるんですけど、人に“幹”と“枝葉”の部分があるとしたら、例えば僕が勉強を頑張って親とか教師に認めてもらうとか、ちょっと目立った行動をして友だちに認めてもらうとかって、どちらかというと“枝葉”のことだと思うんです。つまり、“幹”や“根幹”はパーソナリティみたいなもの、“枝葉”はスキルとかそういうもの。これを両方認め合うことが重要なのかなと思います。例えば、業務上のスキルも認めてほしいけど、それがなくなってしまったとしても僕を認めてほしいというか。その承認があるとすごく安心するんだと思います。だから、スキルにおいてオールSのチームを作っていくのはもちろんすごく大事、一方で、その手前の一人一人のパーソナリティの部分まで認識し合えるとめちゃくちゃ強いと思います。

小川:

「素直でいいヤツを採る」っていうサイバーエージェントの採用方針が有名ですけど、たしかに、人としてその人のことを好きかっていうベースの部分はやっぱり大事ですよね。ただ、その部分ってめちゃくちゃ抽象度も高いじゃないですか。「好きだよ」って伝えるのは簡単かもしれないですけど、好き嫌いの話なのか?ってことも考えちゃいますし、伝え方は難しいですね。そう考えると、いいところを伝えるのはもちろんですけど、逆につらいときに一緒に頑張れるかどうかというか、そこで見捨てないというか、一緒に乗り越えていく覚悟があるよって伝えることが大事なのかも。スキルうんぬんじゃなくて、あなたのことが好きだから助けるんだよ、僕も助けてほしいしねって。そこが前提ですもんね。伝えるだけじゃなくて実際にそうなったときにちゃんと実践するってことも大事ですよね。

河野:

組織において、ビジョン・ミッション・バリュー、その下に戦略・戦術がある、みたいなピラミッドの図がありますけど、あれって個人においても言えることですよね。全然違う会社で全然違うことをしてても同じようなビジョン・ミッションを持ってる人はいるし、バリュー(価値観)とか行動指針が近いから友だちとして付き合いやすいってこともあるし、戦略・戦術が近いから同じプロジェクトに臨むってこともあるし。そういう共通点があるから相手をリスペクトもできるし。だから、そういうパーソナリティや想いの部分の共通点を持ちながら、仕事も一緒にできるといいですよね。

小川:

今うちの父のことを思い出したんですけど、父は一緒に酒を飲むと、毎回「今日もいい日だな」って言うんです。父と僕とではキャリアも違うし考え方も違う。だけど、すごく素敵だなって思うんですよね。もちろん違いはあるけど、やっぱり想いをちゃんと伝えてくれるから、素直に素敵だなと思えるんだと。組織のトップにいると自分の考えを押し付けがちになっちゃうところもあると思うんですけど、その父の言葉を聞くたびに、その人にはその人のビジョンや幸せ・生活がある、その上で会社としてそれをどう応援できるか、その結果としてどう会社に還元されるかーそういうことを必死で考えていこうと、それがマネジメントの役割だなって思います。いろんなビジョンがあるし、その強度とか範囲とかも人によって違いますし、組織においては関わる人が増えてくると共通点ってどんどん薄まっていっちゃうイメージはあります。その中で、会社組織としてのビジョン・ミッション=「この社会をどうしていきたいか」「この事業領域でどんな存在になっていきたいか」を言語化して共有していくことももちろん大事だけど、人としてのその人を認識してしっかり寄り添えるような経営者というか、そういう人になっていきたいですね。

「世界に挑む日本を支える」

河野:

最後に、これから100年後とかの世界を描くとしたら、小川さんやRemitAidとしてどんな世界をイメージしますか?

小川:

前提として日本経済を見たときに、「外貨を稼ごう」っていう流れはもう間違いないじゃないですか。その中で「日本の次の産業は?」って話がよく挙がりますけど、海外から「日本のアニメやゲームが好きで日本に来た」みたいな人たちがすでにたくさんいらっしゃる中で、そのアニメやゲームに並ぶような日本の良いものがもっともっと生まれてくるといいなと思ってます。商品やコンテンツが売れて、その良さが認識されて、その産地=日本に足を運ぶ、この一連の流れが外貨を稼ぐってことですもんね。つまり、良い商品やコンテンツを生み出していくことが、日本の経済をより良くするために必要な要素だと思ってます。
ただ、いくら良いコンテンツを生み出しても海外にトライするハードルはいろいろあると思うんです。規制、価格設定、ロジスティクス、決済、顧客開拓、契約・・と、ヒアリングすればするほど課題が出てきます。そういったことを僕らがよりスムーズにしていくことが、次の日本の産業を生み出していくことに繋がるって信じてます。その中で、僕たちは決済を軸に事業を作っていく。そこは、河野くんも以前言ってましたけど、別の手段でもビジョン・ミッションは同じ、という人たちと、それぞれの役割を担いながら実現していきたいです。

河野:

僕って元々、日本に対する思い入れが比較的薄かったんですよね。別に日本人が金持ちになろうがアフリカ人が金持ちになろうがどっちでもいいっていうか。さっきの“周りの目”の話にも通じるんですけど、自分を中心とした円のような関係性があるって考え始めたのはつい最近で、それまでは“自分”と“他人”しかないって思ってたんです。だから日本人でもアフリカ人でも僕にとっては同じ“他人”であって、それであれば、日本人がどうこうとかなくて、アフリカの方たちの賃金が少しでも上がった方が世界全体が良くなるよねって感じで考えてたんですよね。あと、日本を良くするって考えたときに、日本が良くなったら海外は良くなくなるみたいにゼロサムで考えちゃってたところもあったんです。でも最近は少し考え方を切り替えて、さっきの小川さんの「オールS」の話にも近しいですけど、各国の人がいきいきとポテンシャルを解放した生き方ができていると、結果的に世界全体が良くなるって考えるようになったんです。ポジティブサムになるわけですね。そういう世界がいいですよね。

小川:

このあいだ、ある別のVCの方とも話してたんですけど、今地方が頑張ってスタートアップを誘致しようとする動きがあったりするじゃないですか。でもそれって結局は“地ならし”だよね、東京に一極集中してるものをならそうとしてるだけで全体の数が増えてるわけじゃないよね、って。

河野:

そう、都道府県対決じゃないんですよね。

小川:

それって世界でも同じことで、河野くんも言っていたように、日本が良くなるから世界が良くなるってことだと思うんです。そしてそこで大事なのって、やっぱり売買とか取引だと思うんです。物を売ってお金をもらって、お金がまたものを生んで、っていう循環=経済を回すってことですよね。そこに対して、日本っていうGDP上位国がよりエンパワーメントされることが、世界がより良くなることに繋がるって信じてます。
スタートアップと都道府県の話で見ても、各地域でそれぞれ得意な領域を活かしたスタートアップを作ればいいんですよね。RemitAidも、そんないろいろな強みを持った地方の企業さんの世界進出も支援できたらと思っています。今のクライアントもほとんどが東京以外の企業さんですし。東京が見劣りするぐらいになったら素敵ですよね。

河野:

役割分担ですよね。人類の歴史で見ても、狩猟をやる人と農業をやる人が分かれたように。

小川:

まさにですね。役割分担をしている人たちの間で取引が行われて、経済が生まれていくわけですよね。役割分担でモノを作って、その媒介となる貨幣が動く、その活動が経済だとしたら、ちゃんとモノを作って貨幣を動かしましょうってことに尽きると思うんですよね。そして、日本はたぶんモノ作りの領域ではまだまだ強いと思うので、日本の良いものをちゃんとアウトプットして、対価として海外からお金を引っ張ってこられるような状態をよりスムーズに作れるといいなと。それが日本のためであり世界のためであるっていうことかなと思います。

※こちらは、2023/4/12時点の情報です

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