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「イノベーションを科学する」という信念 〜Market iOのリニューアルに寄せて 〜

モデリング

起業家とVCとの間で認識を合わせ切れていないものの一つに、「市場規模」というテーマがあります。

私たちジェネシア・ベンチャーズは、体系的な言語化が難しいとされてきた「市場規模」という概念に奥行きを持たせ、曖昧性や属人性を排除するために、Market iO(マーケット・アイオー)という市場の見極めに特化したフレームワークを内製開発し、過去4年間ほど社内で運用してきました。

このたび、Market iOの全面的なリニューアルに際して(2026年5月中旬から新フォーマットでの運用を開始しています)、その意図と経緯、そしてリニューアル版のMarket iOがアジア4カ国に跨るシードVCであるジェネシア・ベンチャーズの投資オペレーション全体の中でどのような役割を担うのかについて、改めて筆を取ってみたいと思います。

Market iO(初版)公開のきっかけ

コードネームに込めた意味(再掲)

市場を意味する”Market”に、IT業界でよく使われるI/O(Input/Outputの略語。入出力の意)を連想させ、テクノロジー企業のドメインに利用されることも多い”io”を添えることで、型としての市場仮説にスタートアップの事業アイディアをInputすると、より立体的かつより大きなOutputに変わる、という意味を込めています。

InputよりもOutputの方が大きくなることを意図して、iは小文字、Oは大文字にしています。

なぜ今、どのように作り変えるのか

初版のMarket iOは、川幅・船の数・流れの速さという3つの変数を組み合わせて、ある市場を8つの類型に切り分けるフレームワークでした。市場という捉えどころのない対象に共通言語を与え、社内の議論の解像度を一段上げるという意味で、運用開始から4年余り、一定の役割は果たしてきたと感じています。

一方で、運用を続けていく中で、私たちは旧フォーマットが抱える本質的な限界にも向き合わざるを得なくなっていきました。8つの市場類型は、言ってしまえばその市場の「仕上がりの結果」を表すスナップショットです。すでに出来上がった、あるいは出来上がりつつある風景を静的に分類することはできても、その風景がなぜそうなっているのか、これからどう変わり得るのかという、結果の手前にある構造までは射程に入れられていませんでした。

シード投資家にとっての本分は、「いつかは来る市場」がいつ(そして本当に)来るのかを見極めることにあります。いずれ訪れる変化を、誰よりも早く捉える。一方で、早すぎる賭けは外れる。その絶妙な「間」を掴むことに、シードVCの命運は懸かっています。その意味で、初版のMarket iOは、私たちが本当にやりたかった「ベストな参入タイミングを計る」というコア業務を支えるツールにはなっていなかった、というのが正直なところでした。

そこで今回のリニューアルでは、視点を一段手前に移すことにしました。市場の今の姿を分類するのではなく、その市場を動かしている(あるいは堰き止めている)因子とそのドライバー(または除去レバー)を明らかにする。何が需要を生み、何が需要を堰き止めているのか。そして、その堰はいつ・何によって切られ得るのか。市場を形づくる構造そのものを、高い解像度で捉えにいくためのツールへと設計を作り変えています。

川と船から、電気回路へ

具体的には、初版で用いてきた川と船のアナロジーを、電気回路のメタファーに置き換えました。

リニューアル版のMarket iOでは、ある市場を一つの電気回路として捉えます。「電圧(V)」は、その市場で生まれているユーザー需要の強さです。「抵抗(R)」は、需要の流れを妨げている因子の総称です。電圧と抵抗の関係から、その市場における事業のモメンタム —— すなわち「電流(I)」—— がどれくらい立ち上がっていくのかを見立てる、というのが基本的な発想になります。

このアナロジーの肝は、個別の抵抗を十把一絡げに扱わないところにあります。具体的には、以下の4つに分類して見ていきます。

  • R_tech(技術抵抗):技術的な制約による参入障壁
  • R_behavior(行動・慣習抵抗):ユーザーの行動変容のしづらさ
  • R_regulation(規制・制度抵抗):法制度や許認可による制約
  • R_structure(構造・既得権益抵抗):既得権者の構造的優位・需要の顕在化を妨げている堰

シード投資の現場で本当に有効なのは、「抵抗が高いか低いか」という二分法ではなく、「どの種類の抵抗が、いつ、何によって外れるのか」という問いです。リニューアル版のMarket iOでは、その問いをチーム全員が同じ言葉で扱えるように設計しています。

そして、抵抗の正体を俯瞰してみると、ある事業の投資仮説は大きく二つのタイプに整理されることが判ってきます。一つは、市場の電圧そのものを増幅していくことが命題となる「需要主導型(V型)」の仮説。もう一つは、すでに需要は立ち上がっているのに、何らかのボトルネックが流れを堰き止めていて(社内ではこれを「主要な抵抗」= ”Primary R”と表現して特定・深掘りしていきます)、その堰を外すことで一気に流れが立ち上がるという「抵抗除去型(R型)」の仮説です。

どちらが優れているという話ではありません。ただ、その事業の本質的な勝ち筋がどちらにあるのかを投資判断の段階で明確に言語化しておくと、投資後にチームが集中すべきレバーや、私たちが伴走の過程で支援すべき指標が、自ずと定まってきます。Market iOは、そのための思考の補助線でもあります。

シードVCのオペレーションを横串で貫くOSへ

このリニューアルにはもう一つ、外せない狙いがあります。

私たちはいま、AIを活用した独自の事業アイディア創出エンジンである「Ideation iO(アイディエーション・アイオー)」を並行して構築中です。

これはアジア4カ国に根を張るジェネシア・ベンチャーズならではの視座を活かして、有望な事業アイディアを主体的に発掘・孵化していくための仕組みであり、たとえばある国で立ち上がりつつあるローカルビジネスを別の国に持ち込んだときの有望性を見立てる「X for Y」の型や、各国に根を張る私たちだからこそ把握できるその地域の比較優位を起点にグローバル事業を構想する「グローカル」の型などを、アジア各国で収集した一次情報とAIによる推論を組み合わせながらスケーラブルに抽出・育成していくものです。このIdeation iOの土台になっているのが、他ならぬ今回リニューアルしたMarket iOです。

また、旧Market iOからの最も大きな差分として、投資検討時に作成する投資メモの中核として組み込まれるだけでなく(ここまでは旧バージョンと変わらず)、投資後の伴走過程にも同じ情報(例えば”Primary R”とそれを除去するレバー、想定タイムライン等)を同じ粒度で引き継ぐことが可能になった点が挙げられます。

電圧と抵抗で世界を捉える共通の眼があるからこそ、まだ世に出ていない事業アイディアを同じ解像度で見立てられる。そしてその事業アイディアが投資検討のフェーズに進めば、検討から投資後の伴走に至るまで、フレームを切り替えることなくシームレスに議論を繋いでいける。ソーシング、投資検討、投資実行、そして投資後の成長伴走 —— これまで別々のフォーマット・別々のプロトコルで紡がれてきた業務工程が、一つの共通言語によって串刺しにできる。リニューアル版のMarket iOは、ジェネシア・ベンチャーズの投資オペレーション全体を貫くオペレーティング・システム(OS)として機能していきます。

どう使われるのか

抽象的な話だけでは具体像が掴みにくいと思うので、実際の投資検討における使い方にも触れておきます。

たとえば、産業用酵素を独自設計するAI駆動型の酵素開発スタートアップ「EnzymeForge」(仮)を考えてみましょう。プラスチック分解、繊維加工、食品加工——あらゆる産業の現場で、特定の条件下で狙った反応だけを起こす酵素への需要は確かに存在します。つまり電圧(V)は既に顕在化していたということです。それでもこれまで、酵素の新規開発は一部の大手化学メーカーの中央研究所でしか回せない営みになっていました。

それはなぜかということを考えていく時に役に立つのが、R(抵抗)の四類型、中でもPrimary R(需要の顕在化や収益化を妨げている抵抗のうち、最も根強く、事業の0→1や持続的成長に最も強い相関を持つボトルネック)という考え方です。本事業におけるPrimary Rは、構造・既得権益抵抗(R_structure)に他なりません。酵素を構成するアミノ酸配列の組み合わせは天文学的な数に上り、そのうち実際に機能するものはごく一部。従来は熟練した研究者の勘と経験で候補を絞り、実験で一つひとつ確かめる以外に道がありませんでした。探索空間が広すぎて、人間中心のR&Dではそもそも回し切れない——これがこの分野に構造として横たわってきた「堰」なのです。

なぜ今ならこの堰が外せるのか。LLMの台頭によりタンパク質の立体構造を高精度で予測するAIモデルが実用レベルに達し、配列から機能を推定する技術が急速に成熟したからです。EnzymeForge(仮)は、この予測モデルで候補配列を数千分の一に絞り込み、残った候補だけを自動化された実験設備で検証し、得られた結果を再びモデルに学習させる——というループを設計します。アミノ酸配列の探索コストを劇的に下げられるレバーが登場したことをもって、ようやく機が熟したと見立てるわけです。

ちなみに投資後の伴走では、1テーマあたりの候補絞り込みから機能確認までのサイクルタイム、AIモデルの予測精度の改善曲線、そして応用領域の横展開数を、Rの剥がれ具合を映す指標として時系列で追いかけていくことになります。

イノベーションを科学し、その担い手を誰よりも早く信じる

急速かつ劇的な変化が同時多発的に起きている時代に、私たちはあえて変化そのものを科学の対象にしたいと思っています。不確実性に親しみ、リスクを楽しみ、しかしどこまでも構造や因果に忠実であろうとする。イノベーションをアートではなく科学として扱う。Market iOもIdeation iOも、すべてはその姿勢の顕れです。

そして私たちは、こうした一連の営みを通じて、再現性のある投資成果をアジアで継続的に生み出していきたいと考えています。属人性に頼らず、しかしAI任せにもしない。市場の因子を解像度高く捉える共通言語を持ち、ソーシングから伴走までを一つのオペレーティングシステムで貫き、磨いていく。今回のMarket iOのリニューアルは、その第一歩です。

これからもジェネシア・ベンチャーズは、イノベーションの起点となる変化を誰よりも丁寧に、そして大胆に科学していきたいと思います。そして、その変化を生み出す起業家の挑戦を誰よりも早く信じる存在でありたいと考えています。

筆者

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