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事業のネタ帳 #18 クリエイターファンドと個人向けファイナンスの未来

IDEA

2021年11月、米国のVCとエンジェル投資家がMarina Mogilkoという当時31歳のロシア人YoutuberにUS$1.7M(約2.2億円)を出資しました。Marina Mogilkoは今後30年間、収入の5%を投資家に支払うことになります。

投資家となったのはベンチャーキャピタルファンドのSlow Ventures、シリアルアントレプレナーのLiberman兄弟、a16zのジェネラル・パートナーShiram Krishnanです。

これは売上高の増減に応じて月々の返済額を増減させる企業向け資金調達手段のRBF(Revenue-Based Financing)のクリエイター版であり、プログラミングブートキャンプや看護学校などを中心に利用が進みつつあるISA(Income Share Agreement)の返済総額上限を撤廃し、長期契約化した「ライフスパンISA」とも呼べるクリエイター向けの新たなファイナンススキームです。

金融は経済活動の「血液」と呼ばれますが、経済活動のかたちが変化することで、必然的に金融にも変化が求められます。新しい働き方やキャリア形成が広がることで、伝統的な与信モデルや融資スキームでは適合しない個人の増加は不可避です。

日本においても、テクノロジー・インターネットの普及により、新産業が創出され、リモートワークや複業など人々の働き方が変化することで、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」の三種の神器を中心とした日本型雇用システムは衰退の一途を辿っています。

以前書いた事業のネタ帳「データドリブンファイナンス」ではPipeやThrasioを取り上げて、企業向けファイナンスについて書きましたが、本稿ではクリエイター、個人に対するファイナンスの未来について考えていきます。

目次

  1. Slow Venturesのクリエイターファンド
  2. 若者のエクイティ価値と借金からの解放
  3. クリエイターファンドの投資スキーム
  4. クリエイター投資の課題
  5. シリアルアントレプレナーへのライフスパン投資
  6. 個人向けファイナンスの未来
  7. クリエイターの可能性の解放
  8. おわりに

Slow Venturesのクリエイターファンド

Marina Mogilkoへの出資をリードしたSlow Venturesは、Robinhood、Postmates、Slackなどへの投資実績を持ち、2022年4月に$325Mの新規ファンドを設立、そのうち$20Mをクリエイターファンドとして投資枠を確保しました。
クリエイターファンドの投資方針は、クリエイターに$100K~$5Mを投資し、クリエイターの将来収益の1〜5%を受け取るというものです。

クリエイター投資をリードするのは、2010年にファイル共有サービスDrop.ioをFacebookに売却し、FacebookのVP of Productを経て、Slow VenturesのGPを務めるSam Lessinです。

テクノロジー・インターネットにより、組織から個人へのパワーシフトが進んでおり、将来最も価値のあるブランドは、企業ではなく人になるとLessinは考えます。

Slow Venturesのクリエイターファンドはどのように機能するのか、Mogilkoのケースをもう少し詳しく見ていきましょう。

Mogilkoは今回の調達資金US$1.7Mの資金使途について投資家による制限を受けず、自由に資金を使うことができます。その代わり、彼女は今後30年間、彼女のクリエイター関連の収益の5パーセントと、30年以降も彼女が保有する本やコンテンツIP収益の数%を投資家へ分配することとなります。

Mogilkoが一定金額(数十万ドル)以上の収益を得ていない場合は、投資家は5%の収益分配を要求しません。クリエイターの生活・活動資金を圧迫してパフォーマンスを低下させないためです。

また、Mogilkoがクリエイターを辞めて、弁護士や医者、ハンバーガー店員など別の仕事に就く場合は、投資資金US$1.7Mの返済義務は消滅します。

Mogilkoは資金調達前からYouTubeや語学学習サービス、YouTubeチャンネル運営に関する475ドルの講座などで生活に困らないお金を稼いでいました。

それでも今回の投資を受けた理由は、短期的なキャッシュフローのために企業案件などに依存せずに済むようになり、コンテンツ制作やプロダクト開発、スタートアップ投資や他のクリエイターへの投資などの長期目線の新たな取組みに集中できるためだとしています。

若者のエクイティ価値と借金からの解放

Lessinはベンチャーキャピタル型投資モデルをクリエイターに応用することで、人類の歴史上最も重大な問題の一つである「借金」を解決できるかもしれないと話しています。

若者は、時間と健康、そして夢という将来の可能性(=エクイティ価値)を持っていますが、その夢の実現に必要となる資金を持っていません。
一方で、老人は新しい価値を創造するエネルギーは失われていきますが、社会全体における大きな割合の資産を持っています。

この構造は社会的にアンバランスです。

才能と夢のある若者は、個人のキャッシュフローのためだけに働いたり、借金をする代わりに、エクイティ資金を得て、キャリアへの投資や若者同士でお互いに投資し合うことができるようになります。

借金は返済を前提にしたモデルであり、従来の安定した長期雇用制度においては機能してきましたが、クリエイターのような新しく不確実性が高い仕事においては、そもそも借金がしづらく、できたとしても返済不能となるリスクは高くなります。

ベンチャーキャピタル型のエクイティ投資は、トップ5%がほぼ全てのリターンを創出するというモデルであるため、失敗しても返済は不要です。

個人が借金にしかアクセスできない世界では、大きなバランスシートを持つ老人が優位ですが、エクイティへのアクセスが開かれることで、不均衡が是正され、未来の社会の健全性を高めることに繋がるとLessinは考えています。

クリエイターファンドの投資スキーム

クリエイターファンドはどのような投資スキームになるのでしょうか。

Mogilkoのケースでは、投資家は「investment LLC」に出資し、それをMogilkoがコントロールして資金を自由に利用できます。Mogilkoは、YouTubeチャンネル、タイアップ商品、肖像権や影響力を活かした起業など、クリエイターとしての活動を全て同じ法人格で行います。

投資プロセスは下記の流れで実行されます。VCによるプレシード投資のプロセスと近しいです。

  1. 対話:クリエイターと対話し、現在のファンコミュニティや収益源を把握します。クリエイターのキャリアを加速させるためにどのような資本活用が可能かを議論し、投資スキームがフィットすると確認できた上で、クリエイターにタームシートを発行します。
  2. セットアップ:出資に向けたストラクチャー構築をサポートします。(1)クリエイターのキャリアにおける全ての事業を運営するための会社を立ち上げ、(2)クリエイターのキャリアからの収入を会社に譲渡する簡単な契約書を作成します。
  3. 投資実行:Slow Venturesは、クリエイターの会社に資金を提供します。クリエイターが希望すれば、シンジゲートとして他の投資家からの出資も受けられます。資金使途は、クリエイターの自由です。
  4. 投資後サポート:投資後は、長期的にクリエイターに寄り添い、人や会社の紹介やアドバイス、交渉支援など、スタートアップへの投資と同様にサポートします。

クリエイター投資の課題

クリエイター投資の普及には乗り越えなければならない課題がいくつかあります。

1.法的・倫理的問題

人間個人に直接投資することは、法律的、倫理的、道徳的な観点で論争を巻き起こすでしょう。社会が人間を評価して、30年の契約を結ぶという考え方は、年季奉公(雇用者との契約の下に一定期間働く雇用制度)を想起させるという指摘もありますが、Lessinは明確に否定しています。

投資家は個人に資金を提供し、一定の収入額を下回る場合や契約で定めた以外の仕事に従事する場合は返済義務はなく、個人がどのように資金を利用するかに投資家は介入しないため、個人の自由度は高まると考えられます。

もちろん投資家による搾取的な契約としないため、第三者機関を介在させること含め、クリエイターが納得するフェアな条件を模索する必要があります。

もう一つの課題はこのようなクリエイター個人への投資を想定した法律や投資スキームが整備されていないことにより、投資プロセスが複雑となることです。今後クリプトやDAOなどにより、最適な投資フォーマットが作られていくことが期待されます。

2.投資判断基準とバリュエーション

クリエイターに直接投資するということは、新しい投資判断基準を作るということでもあります。

Slow Venturesでは、2つ以上のソーシャルメディアプラットフォームで数十万人以上のフォロワーがいること、クリエイターがお金を稼いだことがあることの2点を最低条件としています。

Lessinは、年商$100K(約1,200万円)を目安に、「シードステージの有望なクリエイタービジネス」としています。

投資先となるクリエイターは投資資金で何をしたいか明確なビジョンと計画を持っている必要があります。しかし、多くのクリエイターは、数千ドル、数百万ドルの投資を受けることで、自分の仕事の在り方をどのように変えられるかを考えたことがありません。

クリエイターは、資金提供を受けることで、キャリアを収益分配額の5%以上向上させることができるかをよく考える必要があります。

さらに、十分な量のデータセットも流動性のあるライフタイムISA市場も存在していないため、バリュエーションは非常に難しくなります。

全ての人の人生に病気や事故などのリスクがありますが、クリエイターにおいては炎上やバーンアウト(燃え尽き症候群)などの異なるリスクも存在します。

Slow VenturesとMogilkoは、クリエイターをやめる場合、現在のペースで成長する場合、大成功を収める場合など複数のシナリオに確率を設定し、各シナリオのキャッシュフローを予測してバリュエーションを決定しています。

3.ジェフ・ベゾス問題

収益分配の契約期間が30年であると聞いて、ゾッとする人もいるかもしれません。ただ、クリエイターの将来キャッシュフローを高く評価して、将来の収益から大きな割合を取らずに一定規模の資金を提供するためには、長期契約であることが好ましい場合もあります。

一方で、Lessinが「ジェフ・ベゾス問題」と呼ぶケースでは30年でも足りず、投資家は資金回収できない恐れがあります。

ジェフ・ベゾスは保有株式を売却せずに、株式を担保に永遠に融資を受け続けるため、収入の分配が発生しないこととなります。
投資家はこのシナリオだけは避けなければなりません。

シリアルアントレプレナーへのライフスパン投資

Slow Venturesは「ライフスパンISA」の投資スキームをシリアルアントレプレナーへの投資にも活用しています。

Mogilkoへの投資にも参加したLiberman兄弟が経営する持株会社「The Libermans Company」に数百万ドルを投資しました。

Liberman兄弟は今後30年間、起業家としての事業は全てこの持株会社を通じ運営することに合意しています(契約書も公開されています)。つまり、Liberman兄弟が起業した会社の株式と、そこから得られる収入は、全てこの持株会社が保有し、その大部分をLiberman兄弟が、そして一部を投資家が保有することになります。

Liberman兄弟は、2016年に創業したKernel AR社を3ヶ月後にSnapに売却し、SnapではDirectors of Product Scienceを務めていました。

Liberman兄弟は、必ずしも資金を必要としているわけではなく、やろうと思えば簡単にVCから資金調達できるだけの実績を持っていますが、なぜ今回の投資スキームを選んだのでしょうか。

1つ目の理由は単純な経済学です。
Liberman兄弟は、持株会社全体の株式を売却する方が、1社のスタートアップで資金調達するよりもはるかに少ない株式希薄化で、はるかに多くの資金を調達することができます。このスキームにより、これから始めるプロジェクトのシードラウンドを全てスキップして、100%の自社株を保有したままシリーズAラウンドに進むことができます。

2つ目の理由はアラインメントです。
VCは、起業家に対して「同じチームだ」と言いますが、これは厳密には真実ではありません。物事がうまくいっているときは、起業家とVCのインセンティブはほぼ一致していますが、物事がうまくいかなかったり、事業成長が鈍化すると、すぐに乖離してしまいます。Liberman兄弟は、特定のプロジェクトの成功だけでなく、自分たちの人生の成功にコミットしてくれる投資家を求めていました。

個人向けファイナンスの未来

LessinはMogilkoのようなクリエイター個人への投資、そしてLiberman兄弟のようなシリアルアントレプレナーの持株会社への投資が広がっていくと信じています。

不確実性が高まるVUCA時代において、クリエイターや起業家は、ベンチャーキャピタルによるライフスパン投資を活用することで、より多くの人がより大きな機会を求めて、より大きなレバレッジと投資家とのアラインメントのもとでリスクを取ることができ、ダウンサイドも確実に防ぐことができるようになることで、公平な競争環境を作り出すことができます。

また、この投資モデルは最初のプロジェクトが失敗しても投資家は次のプロジェクトの成功の恩恵を受けることができるため、起業家の失敗を許容できます。もちろん資金は有限なので使い方は入念に考える必要がありますが。

一方で、この投資モデルが全ての人に適しているわけではありません。もし予測可能な収入とキャリアアップによる安定したキャリアを歩もうとするならば、伝統的な融資はVCよりも低コストになります。

ただ、伝統的な融資の代替となるファイナンスモデルへの需要は増加し続けるでしょう。テクノロジーは世の中をより不確実なものにしています。住宅価格上昇や定期的な昇進と昇給などの将来価値を容易に考えることができた時代は終わりつつあり、伝統的融資の対応可能範囲は狭まっています。

そして、テクノロジーは中間業者を排除する性質から、個人の成功と失敗のボラティリティを大きく高めます。成功者はこれまでよりもはるかに大きく成功し、逆に中程度の成功の多くを消し去ってしまいます。極端な勝者と多くの敗者という世界は、伝統的融資の枠組みでは対応が難しいです。

そうした未来においては、個人の人生におけるリスク・リターン予測に応じたファイナンスモデルの再設計が必要となると考えてられます。

例えば、マイナーリーグの野球選手やMBA学生が利用しているIncome poolingというものがあります。

野球のマイナーリーガーは薄給ですが、メジャーに行けば大金を稼げます。ただ、誰がメジャーに行き、誰が行かないかは誰にもわかりません。そこで、マイナーリーグの選手たちが、Pando Poolingのような会社を通じて、将来収入の一定割合を収入保険としてプールして、参加メンバーで共有しています。

MBA学生も同様に、起業家やエグゼクティブとして成功する人もいればそうではない人もいます。人生の成功において個人の努力は否定の余地なく重要ですが、運によって左右される部分も大いにあります。そうした場合には、同じ哲学を持つ人々が集まることで、チームとしてアラインメントを深め、リスクを軽減し、より大きな挑戦に向かうことができます。

Web3スタートアップがトレジャリー資金で相互にプロジェクトのトークンを保有することからも、アラインメント強化とリスク分散効果を期待できます。

また、Web3の時代では、誰でも自分の「株式/トークン」を発行することができ、それを応援してくれる人が買ってくれるようになるかもしれません。

クリエイターの可能性の解放

クリエイター向けのファイナンスソリューションは急増しています。

TikTokは2020年7月に「TikTok Creator Fund」を設立しました。初期投資額は2億ドルで、今後3年間で10億ドルに増額するとされています(クリエイターからの批判もあります)。

2021年7月、メタ「Facebook」のマーク・ザッカーバーグは、2022年末までに同社サービス上のコンテンツクリエイターに総額$1Bを支払うと発表しました。

Spotterは、YouTuberのバックカタログ(過去動画の収益権)を取得する代わりに資金提供しており、2022年2月にはソフトバンクビジョンファンド2などからバリュエーション$1.7Bで$200Mを調達しました。

オンラインクリエイターのための銀行アプリCreative Juiceは、2022年4月、$50M(約63.7億円)のクリエイターファンドを発表しました。YouTuberやその他SNSのインフルエンサーは、一定期間(6ヶ月から3年)の収益の一部を渡す代わりに、ビジネス成長のために資金調達できます。

いつの時代も、一般的な生活を選ばずに、自ら何かを生み出すクリエイターとして生きることを選んだ人々は、苦難に満ちた人生を送ることが運命づけられているようでした。
偉大な芸術家、作曲家、哲学者でも、生前には賛同や支持を得ることができず、金銭的にも困難な生活を送った人は少なくありません。

Slow Venturesのクリエイターやシリアルアントレプレナーへの投資スキームが成功するか失敗するかまだ誰にも分かりません。
ただ、世界がより非連続に変化し、不確実性が高まり、個人の人生の歩み方が変わっていく中で、ファイナンスだけが変化しないなんてことは考えにくいです。

ファイナンスが進化することで、ついにクリエイターが真に評価され、必要資金にアクセスし、可能性を解放できる時代が来るはずです。

そして、今はクリエイターと呼ばれない人々も今後クリエイター化していくでしょう。私たちは個人が自分自身のキャリアを設計し、ブランドを作り、仕事をする世界に向かっています。

そうしたニュークリエイターとも呼べる個人も目指すキャリアに応じて、最適なファイナンススキームが選択できるようになることで、最低限のリスクで必要資金にアクセスし、夢の実現に挑戦できるようになります。

今回はクリエイターファンドの事例から個人向けファイナンスの未来について考えてきましたが、個人のキャリアや資産の在り方が変化し、活用可能なデータセットが増加していくことで、新たに実現できるファイナンスサービスのかたちは様々な分野にあります。

その実現におけるクリプト・ブロックチェーンの活用可能性にも強く期待しています。

新しいファイナンスモデルの構築に挑戦している(挑戦を検討している)方々、是非幅広にディスカッションさせてください。もしよろしければTwitterのDMかFacebookまでご連絡ください。

おわりに

参考:
Investing Directly in People Is the Future of VC. Here’s How to Do It.|Earlier this year I wrote about the idea of investing directlwww.theinformation.com
A Former Facebook VP Thinks Investing in Humans Is the Future of VC|She gets $1.7 million. Sam Lessin’s venture firm gets 5% of hwww.vice.com
Investing in Individuals: How it Works|Will investing in people become as commonplace as investing istartupjedi.vc
https://www.youtube.com/embed/mp8t6GKGKiA?rel=0
Forget startups. VC firms like Slow Ventures are now buying equity directly in influencers.|The next venture trend may be investing directly in influencewww.businessinsider.com
Slow Ventures made so much money on solana, it paid for its $145 million fund ‘many times’ over, its cofounder says. It has ambitious plans for DAOs with a new $325 million fund.|Founded in 2011 by early Facebook employees, the venture-capiwww.businessinsider.com
Creator Fundcreatorfund.coAthletes Can Insure Their Careers Via Pando Pooling|Pando offers professional athletes a chance to invest in onewww.forbes.com
Why TikTok stars are complaining about its creator fund | Engadget|High-profile TikTokers have taken the unusual step of publiciwww.engadget.com
Spotter raises $200M to invest $1 billion into YouTubers’ back catalogs – TechCrunch|How do YouTubers make a living? Usually, through a mixture oftechcrunch.com

筆者

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