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【Linc】「日本に来てよかった」 ー“多様な自分自身”を最高に生きようー[前編]|Players by Genesia.

STORY

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国境は一時的にとても大きな壁になりました。
それでも私たちの、世界の融合は止まりません。デジタルの力の貢献も大きく、世界は真に多様性を手に入れようとしています。
その上で私は自分自身に問います。

多様性とは何か?私は多様性を知っているのか?多様性と付き合う覚悟はあるのか?

知らないこと・体験したことがないこと・わからないことがある、だから容易に手を伸ばすのがためらわれる。そんなふうに少し頑なになっていた私の気持ちは、今回のインタビューで少しずつほぐれていきました。

・多様とは外側(他)にあるものではなく、前提として自分自身こそが多様であると認めるということ
・自分自身の今までとこれから、そしてその価値観に向き合うことこそが、多様と向き合うということ
そんなことを、3人のPlayersに教わった気がしました。

Linc(リンク)は、中華圏の留学生向けのオンライン教育サービス『LincStudy(羚课日本留学)』、インバウンド・タレントに特化した長期インターンマッチングサービス『LincIntern』の提供を通じて、来日外国人材(インバウンド・タレント)を留学からキャリアまで一気通貫でサポートするスタートアップです。
Lincの代表・仲さんと、経営チームのFeiさん、胡さんは、いずれも中国出身の中国人。生まれ育った国を離れて、全く別のタイミング・別のきっかけで、それぞれに想いを抱き、日本に来た3人。そして今、全員が同じ気持ちで『「日本に来てよかった」を最大化したい』と願っている。そのストーリーについて、担当キャピタリストの田島が聴きました。

父の姿は、まさに自分たちのサービスのターゲット

田島:

仲さん、Feiさん、胡さん、今日はよろしくお願いします。私たちのメディア『Players』のこのインタビューでは、みなさんそれぞれが持つストーリーと想いについて聴いていきたいと思います。私たちジェネシア・ベンチャーズもTEAM Lincの一員として、原風景を共有させてもらいたいという想いです。
それでは、仲さんからお話を聴いていきたいと思います。仲さんはどんな子どもでしたか?出身は中国ですよね?

仲:

生まれは中国の瀋陽(シンヨウ)です。
僕の父親は、僕が生まれる3日前に日本に来ているんです。僕の名前「思遥(シヨウ)」は、「遥か彼方にいる親父のことを思い出せ」という意味で付けられました。そして、母親も僕が3歳の時に日本に来ています。なので、僕は幼少期、母方の祖父母のもとで育ちました。
幼稚園の頃はガキ大将タイプで、暴れ回ってましたね。祖父は校長先生で、僕たちは大学の教師寮のようなところに住んでいたんですけど、本当は入っちゃいけない大学の敷地に塀を乗り越えて入り込んだり、木で作った剣を振り回して遊んだりしてました。

田島:

ご両親はどんな方だったんですか?

仲:

父は今からおおよそ30年前に、日本に留学した人でした。ちょうど私たちLincのサービスのターゲットユーザのような感じです。たくさんアルバイトをして仕送りをしてきてくれていました。通っていた語学学校の長期休みには中国に帰ってきて遊んでくれました。ただ、僕としては、祖父母との関係の方がやっぱり圧倒的に深いですね。両親と住むために僕は6歳のとき初めて日本に来たのですが、その時も祖父母と離れるのがイヤすぎてめちゃくちゃ泣いてました。

田島:

おじいさんおばあさんはどんな方だったんですか?

仲:

祖父は大学の校長先生だったこともあって、絵本というよりも西遊記みたいな本を読んでくれたりとか一緒にラジオを聴いたりとかしていました。あとは、もともと軍人で中国の内戦に参加していた経験などがあったので、そうした話をよくしてくれましたね。その影響か、僕も小さい頃から歴史には興味がありました。祖母は、めちゃくちゃ厳しかったです。祖父がおおらかな人だったのに比べて、祖母はもう本当に、めちゃくちゃ厳しくて。4,5歳の頃ですかね、祖母が僕の木の剣をへし折ったり、僕はそうしたことにキレて家出したりしていました。

田島:

なるほど、2人は対照的な性格だったんですね。
仲さん(子ども)が生まれるというタイミングでお父さんが日本に留学した経緯について訊いてもいいですか?

仲:

父は中国でけっこういい仕事に就いてたんですけどね。当時の中国における仕事って、分配性っていうんですかね、政府が「あなたはここで働け」って指定するんですよ。父は南の方の出身なんですが、中国石油という会社に配属になって、石油が採れる東北の方で勤務していて母と出会ったそうです。でも、より良い生活を夢見て日本に来たという経緯だったそうです。
日本では福岡に住んでいて、僕の知る限り、3つや4つのアルバイトと語学学校への通学を掛け持ちしていたようですね。語学学校って、今もそうなんですが、午前と午後のクラスが選べるので、父は午前のクラスを選択して、午後は博多港で船の清掃アルバイトをして、夜は居酒屋、深夜はガソリンスタンド、休憩中に勉強、という生活をしていたみたいです。そういう苦労話をたくさん聞きました。

田島:

聞けば聞くほど、私たちLincのサービスのターゲットユーザのイメージですね。起業のアイデアには、お父さんから聴いていたそうしたお話からのインスピレーションもあったのでしょうか。

仲:

そうかもしれないですね。ただ、その当時から中華圏の人たちの生活はどんどん裕福になってきているので、アルバイトをかけもちしたり、外国人留学生に課せられている週28時間までというルールを破って働いたりするような人はもう全くいないですよね。

田島:

そんなお父さんのもとへ、6歳で日本に来てからはどうでしたか?

仲:

僕の小学生時代は、日本で4年間ほど、中国で2年間ほど過ごしました。1年生の時に日本に来たんですが、2年生の時には父の仕事の都合で中国に帰ることになって、日本と中国の差に驚いたりしていました。6歳で初めて日本に来た時、日本の空港で自動販売機を初めて見て、「光ってる!」「お金を入れたら勝手に出てくる!」しかも「冷えてる!」みたいな。中国では売店でビンの飲み物を買って、飲んだらビンを返しに行くシステムだったので、初めて自動販売機を体験した感動は今でも覚えてます。小学校でも、中国は人口が多いのでグラウンドとかも狭いんですよ。バスケのハーフコートに15-20人くらい集まってゲームしたりして。3年生でまた日本に戻ってきたんですけど、日本では福岡の田舎に住んでたので、けっこうのびのびしてました。ただ、子どもって言語を覚えるのも早いけど忘れるのも早いんですよ。なので、最初はちょっと苦労しました。それから6年生でまた帰って、そこから高校卒業までは中国で過ごしました。

株式会社Linc Founders&CEO 仲 思遥

日本と中国の間で経験した、アイデンティティクライシス

田島:

日本と中国での教育の違いって何か感じていましたか?

仲:

中国は、とにかく詰め込み式の教育なんですよね。学んでることも難しいですし。今でも覚えてるんですけど、小学校の入学テストで、英語8点・数学30点・国語15点とか、そんなレベルでした。日本では小学校で英語なんて勉強しなかったじゃないですか。でも、中国の小学校では英語もありますし、数学もxとかyとか出てくるんですよ。何この記号・・って感じでした。日本では中学校でやるような問題を、中国では小学校でもガンガンやってましたね。日本では学校終わったらサッカーしたり公民館でマンガ読んだりとのびのび過ごしてたので、中国の学校はすっごくきつかったです。親も、あんまりこういう教育は合わないかもね・・という感じで、中学からはカナダ系のインターナショナルスクールに行かせてもらってました。そこは無理やり勉強させるような感じではなくて、のびのび過ごせましたね。高校の数学なんて中国の中2くらいのレベルで、それはそれで驚きました。
ただ、中学の時はちょっとアイデンティティクライシスみたいなこともあったんですよね。日本から帰ってきて、中国の学校に全然慣れなくて、みんなは英語とかもすごくできるのに、自分だけ日本語英語の発音で、爆笑されたりして。なので、朝早く起きてグラウンドの脇にあった森の中で一人で英語の発音ニュアンスやイントネーションを練習したりしてました。バカにされるのがすごく悔しくて。ただ、努力は知られたくなくて、こっそりと。負けず嫌いだったんですね。僕は日本のことも好きだったので、日本で学んできたことが否定されたような、アイデンティティが否定されたような感じがして、すごくつらかったですね。そこからは、何があってもバカにされないように、英語も中国語もけっこうがんばって勉強しました。
ただそれ以上に、自分の将来について考える時間が多かったですね。朝から晩まで勉強、みたいな生活ではなかったので。とはいえ、インターンや大学の申請(出願)は高2の時には始まって、高3の時にはどこへ行くかほぼ決まってるっていう環境だったんです。なので、将来のことはけっこう早い時期から考えざるを得ない状況でした。友人たちはみんな優秀で、9割が欧米の大学への進学を決めていきました。でも当時の僕は純粋に、欧米の大学とかに行ってもあんまりおもしろくないなって思ってたんです。自分の強みとかポジショニングを考えた時に、欧米に行って周りの友人たちと競争してもあんまり強みがないなって。だったら日本に行きたいなと思いました。日本が好きだったし、語学などの強みも活かせるし、と。マーケット選定というか、かなり戦略的に考えていましたね。そして結果的に、その決断は正しかったなと思っています。欧米の大学に進学・卒業した優秀な友人たちが、大学を卒業してもあんまりいい仕事に就けなかったり、就業ビザがとれなくて中国に帰らざるを得なくなったり、やっぱりアジア人というフィルターにさらされて苦労していたり、だんだん埋もれていくというか存在感を失っていく状況を見ていて、本当につらかったんです。その中で、僕自身は、自分の弱みを理解した上で強みを活かす環境を選べたかなと思いました。そして同時に、日本のオポチュニティの多さにも気付いたことが、Linc創業のきっかけの一つにもなっているかもしれません。

田島:

中学からインターナショナルスクールに通って、詰め込み式の教育から脱却したことが、仲さんの一つのターニングポイントだったのかなと感じました。ご両親がその決断をされた背景って何かあるのでしょうか?必要性に気付いていたんでしょうか?

仲:

気付いていたような気がします。親父は農村部の出身で、教育があまり整っていなくて、仕事や留学の時に英語ができなかったことにけっこうつまずいていたみたいでした。だから、子どもにはしっかりと英語を習得してほしいという気持ちが人一倍あったみたいです。あとは、僕自身があまりにも詰め込み式の教育が肌に合わないということに気付いて、だったら無理しなくてもいいよね!と判断してくれました。

田島:

その結果、自分自身と向き合う時間もできたってことですよね。

仲:

すごく目的志向があって何かを考えていたわけじゃないんですが、ある程度時間もありましたし、まずは好きなことをやろうと思ってバスケや勉強をしたり、あとはスクールには中国人も日本人も韓国人もいましたから、そういう意味でも、その中で「自分は何者なんだ」「これからどう生きたいんだ」と考えたりするきっかけにはなりましたね。

日本独自の「豊かさ」という強み

田島:

結果的には幼少期から過ごした時間は中国の方が長かったんだと思いますが、日本とはどんな結びつきがあったんでしょう?

仲:

中国に帰ってきてからも長期休みには日本に遊びに行ったり、行き来は頻繁にしていたので、忘れたことはなかったですね。文化的なところがやっぱり好きというのもありました。マンガを読むのも好きでしたし、あとは、僕には7歳年下の弟がいるんですけど、両親が共働きで夜も遅かったので僕が面倒を見なくちゃいけなくて、そういう時はテレビで日本のアニメを見せたりしていました。
あとは、日本のゆるさですかね。ゆるさというのは、豊かさだと思うんです。悪い意味ではなくて、例えば、これから日本の会社に中国のIT系企業のように8時間労働の3交代制で働け!みたいなことは無理だと思うんですよね。アメリカや中国みたいに経済をがーーっと発展させてGDPをばーーっと上げて・・みたいなことは無理だというより違うというか、それって、自分の弱みで相手の強みと勝負しようとしているというか、合っていないと思うんです。豊かさって、お金をたくさん稼げばいいっていう時代ではもうなくなってきているので、最近は、「自分にとっての豊かさとは何だろう」みたいなことを考えている海外の優秀な人たちが、日本を目指したりもしているんですよね。だから、そういった強みを使って勝負していく必要があると思っています。日本では海外の人材というと技能実習生とか単純労働と結びつけがちなところがあると思うんですけど、絶対にそこだけじゃないんです。
AIの父と言われているジェフリー・ヒントンというトロント大学の教授がいて、最近お世話になっている方から教えてもらった、その教授のスピーチが印象に残っています。彼もヨーロッパからの移民だそうなんですけど、彼が「移民とは意志のある人たちだ。豊かさを求めて来ているのであって、決して単純労働をしに来ているわけではない」と言っていたんです。それがすごく印象に残っています。
Lincの一つのテーマに地方創生があって、Lincのユーザの50%くらいも地方にいるんですけど、地方って本当に強みとか魅力にあふれてるんですよ。そういう特徴とインバウンドタレント(海外人材)が重なり合った時に、人手不足の解消だけではなく、もっと大きなことができると思っています。例えば、日本の企業の99%は中小企業で、しかも地方に多いですよね。そこに対して「DXしましょう!」と言っても、導入のところをできる人がいない。そこにインバウンドタレントが入ったら、経済はすごく循環するようになるんじゃないかと思うんです。しかも、詰め込み式ではなくて、その場所その土地の特徴を活かしてやるということが大事。そういう、土地の魅力に惹かれて地方に行くインバウンドタレントの方々はたくさんいるので、もっと啓蒙してもっとマッチングが生まれればすごくいいんじゃないかなと思います。Lincのビジョンの実現にも近づきます。

田島:

強みを活かそうというお話、すごく納得感がありますね。仲さんが自分自身の強みを活かして価値を発揮できる場を選んだ進路の考え方もそうですし、お話を聴きながら、スタートアップの採用や仲間集めにも強みや特徴を活かした戦略やPRが必要不可欠だということも改めて実感していました。

仲:

日本という国も同じで、オリジナルな強みを活かした戦いをしていけば、本当の意味で高度に日本にカルチャーマッチしたタレントが集まると思います。
優秀なIT人材を引き込むためにアメリカや中国みたいに高額な報酬を出したり、シンガポールみたいに税金優遇したり、ということもなかなか難しいと思います。それでもアメリカから日本に来た優秀なエンジニアに「なぜ日本なの?と訊いたら、「安全で安心。子どもを連れて公園に遊びに行くこともできる」と言っていました。日本人からしたら当たり前のことですけど、海外からしたら全然当たり前じゃないんですよ。誘拐とかは極端なケースですけど、やっぱり怖いんですよ。中国では、学校や塾の送り迎えも絶対に親が付き添います。どこでも送り迎え用の大きなスペースがあります。そういう心配が全くないところなんかも、日本の精神的な豊かさにつながっている気がします。
あとは、好きなコンテンツとかが受け入れられる懐の深さみたいなところもありますよね。僕の高校時代のルームメイトは、キャラクターの抱き枕を抱えて寝るようなアニメオタクだったんですけど、中国ではやっぱり白い目で見られたりバカにされたりするんですよ。でも、日本ではそんなことないと思います。そのルームメイトを秋葉原に連れて行ったことがあるんですけど、めちゃくちゃ感動してました。こういうところなんだな、こういうところが日本のカルチャーであって差別化を生んでいくんだな、とすごく思いました。

田島:

私も日本の経済成長率の低さとか、そんな部分にのみ目を向けがちなところはあったかもしれません。仲さんが挙げてくれた部分は、見えていなかった日本の側面だなぁと感じます。勉強になります。

株式会社ジェネシアベンチャーズ 代表取締役/General Partner 田島 聡一

もう、ちょっとやそっとのことじゃ動じない

田島:

少し話を戻して、日本に来てから起業までについても聴かせてください。

仲:

大学でまた日本に来て、あんまり深く考えずに法学部に入ったんですけど、初日から、ミスったなぁ・・と思っていました。必修授業のガイダンスで、週に2回憲法の授業がある、憲法の成り立ちや各条項を学ぶ、って説明されて、「俺そんなこと学んでどうするんだろう」と。ただ、2年で欧米に交換留学に行きたいという目標があったので、1年の時は割とまじめに勉強していました。ちなみに、僕は中国から日本へ留学していたかたちだったので、さらにそこからアメリカ・カナダに留学するというかたちで、こんなの初めてだよと学生課の人に言われましたね。留学先では、就職活動とかもしてみたんですけど、やっぱり見えない壁を感じたり、みんなめちゃくちゃ勉強しているし英語もペラペラが当たり前の上で競争が激しかったり、やっぱり自分はここで勝負するタイプじゃないかなと感じて、日本に帰ってきました。それからは塾で教えたり、いろいろな企業でインターンしたりして過ごして、そのままの流れで就職活動もしました。
ただ、起業するということだけは決めていました。僕が大学生だった2011,12年くらいって、中国が国策として起業を奨励して、今で言うユニコーン企業とかが一気に出てきた頃だったんです。ちょうどその頃に北京のスタートアップ村に行ったことがあったんですけど、インキュベーション施設は熱気がものすごくて、カフェに行けば「FounderとCEOと投資家しかいない」と言われていました。そんな空気に少なからず影響は受けていました。とはいえ、当時の自分のリソースやスペックじゃ何もできない、知識も金も人脈もない。それで、社会勉強も兼ねて就職しよう、一番成長できる業界で働こう、と考えて、投資銀行(野村證券)に入りました。当時2013,14年くらいというのはソーシャルゲームが大きく盛り上がっていた時期で、IT企業のIPOなどにもたくさん関わらせてもらいました。自分とそんなに年齢が変わらない若い社長たちの姿を見て、たくさん勉強させてもらいながら、猛烈に働きましたね。3年間でしたけど6年間分くらいは働いたんじゃないかなと。忙しいかつ厳しい会社でもあったので、ちょっとやそっとのことじゃ動じない、図太い性格になったと思います。田島さんや愛さんはご存じですが、Lincは一度、組織崩壊も経験しています。メンバーがほとんど辞めてしまって、Feiさんが入社してきた時には、広いオフィスフロアに2.3人しかいなくて、びっくりさせたんじゃないかなと思います。友人には、「俺だったら会社たたむわ・・」と言われたりもしました。たしかにすごく悲しくて自分を責めたりもしたんですけど、一方で、やり直すチャンスだとポジティブに考えている自分もいました。

田島:

あの時はつらかったですね。何度も話しましたよね。でも、落ち込んではいたと思いますが、仲さんの目が全く死んでいなかったことをよく覚えています。だから、私も迷わず信じられました。野村證券での経験は、そういった仲さんのマインド面での糧にもなっていたんですね。

海外から来た人たちのアクセス先をつくる

田島:

働いたのは3年ですか、その野村證券を卒業して起業に踏み切ったきっかけは何だったんでしょうか?自分の強みを活かせる事業領域をどんな風に選んだかも教えてください。

仲:

留学生として日本に来ていた頃から、やっぱり自分がマイノリティであることによる生活の不便さや閉塞感はずっと感じていたんです。僕たちの知人でも、仕事のスキルも経験もある人が急に日本に来ることになった時に、就職先や転職先の探し方がわからなかったり誰に相談していいのかもわからなかったりという課題があることも知っていました。そしてそれが、日本で暮らしてきた外国人の誰もが感じてきた課題であるとも考えていました。そういう問題意識も持ってましたし、起業するんだったら自分の強みが活かせる領域、そして今後大きなトレンドがある領域でやりたいと思っていて。じゃあトレンドって何かというと、不可逆的なもの。その上で、当時報道もされ始めていたのが、日本の人手不足や労働人口の減少というテーマでした。2020年はコロナ禍の影響があったと思うんですけど、2018年時点で日本で働いてる外国人って145万人とか、翌年には169万人とか、リアルにすごく増えてるんですよ。これは大きな波だなと思いました。でも、まだその中心にいるような企業や成功事例はない。とはいえ、人のライフイベントに関わる領域は複雑性も高くて参入障壁が高い。そんなことをぐるぐる考えながら、でもそこをやりたい、どんな切り口でやろうか、ということはずっと考えていました。
野村證券時代に関わらせてもらったリクルートさんの上場にも影響を受けました。当時、(リクルートの)社員並みに社内に入り込んで働いていた中で感じたことがいくつかあって。まず、ビジネスモデル自体には特に革新性があるわけではないと思うんですけど、働いている人がみんな優秀で、本当に組織力の会社だなということ。そして、社会的意義があるということ。誰も来ないお店って社会リソースの無駄だと思うんです。その課題に対して、人と場の出会いを作って無駄を解消するという取り組みは、かなり素敵だなと思いました。でも、じゃあ海外から来た人材はそういった情報にアクセスできているのか?どこにアクセスすればいいのか?という問いには、僕は答えられなかったんです。だったら自分で作ろうと思いました。
リクルートさんの上場に関わったのが社会人2年目。その頃からなんとなくイメージは練って心構えはしていました。それから、3年目の後半になってきたタイミングの2015,16年くらいに、中国でe-ラーニングとか教育のDXみたいな領域がすごく伸びてきたんです。実際にその領域に関わっていた友人からも話を聴いて、これはインバウンドタレント向けにも使えると思いました。モバイルも普及してきていたし、4Gの話もその頃に出てきていて、やるなら今だなと。当時関わっていたプロジェクトが終わった瞬間にスパッと辞めました。会社を辞める時って普通3ヶ月くらいかかると思うんですけど、僕は一週間くらいで。みんなポカンとしてました。
目標額までお金が貯まったことも背中を押しましたね。資本金と、2年は生活できるかなという金額です。それでも、起業した1年目は無給だったので、そこに住民税の請求が来た時には本当にびっくりして、すごく細かく分割してもらって支払ったりしてましたね。

田島:

そんなエピソードがあったんですね。仲さんに初めて会ったのは、起業2年目の頃かな。日本における労働人口の減少と海外人材の活用というマクロの課題やトレンドは言わずもがなでしたけど、そこを攻められる起業家ってすごく限られていると思っていて。その点、日本のことも中国のこともよく知っている、ITのことも知っている、そして人を巻き込むパワーがある、その三位一体で「仲さんならできる」と思ってすぐに投資を決めましたね。ちなみに、パワーと言っても剛腕さとかだけじゃなく、仲さんてチャーミングなんですよね。言語化が難しいですが、そういう部分で、仲さん自身のこともすごく好きになりました。

尾上(撮影):

僕も今日のお話を聴いていてすごくファンになりました!

仲:

わっ!ありがとうございます!
お金のことでちょっと苦しかったみたいなお話もしましたけど、基本的にはそんなに苦しむこともなく、楽しんでやってたんですよね。Feiさんとも話してて思うんですけど、お金があるから自由とか豊かとかってことは全くなくて、やっぱり精神的な自由こそが大切なんだなと感じます。野村證券時代は、キッチンにまで箱が積み上がるほど靴を買ったりとか、たくさんお金を使っていたんですけど、特に満たされるという感覚ではなかったですね。起業して、最低限しかお金を使わずに節制するようになると、なんだかちょうどいいなって思いました。この金銭感覚というか生活感覚は、Feiさんや胡さんと共通する感覚でもあるんですよね。

田島:

欲求がもっと先に向いているんでしょうね。

仲:

SDGsが叫ばれる時代に、一方的に何かをディスラプトするとかゼロサムゲームでどちらかだけ・誰かだけが儲かるとか、そういうことはもう受け入れられなくなっていますよね。ブログにもちょうど「全勝」という言葉で書いたんですけど、みんなが丸く円満なかたちでやっていかないと持続的ではないですよね。しっかりと社会全体を見て価値を発揮して、そしてしっかりとその対価をいただいて、利益を再投資して会社を持続させる。そういういいサイクルを生み出していきたいって気持ちは、本当にFeiさんや胡さんと共通しています。
さっきの話とも関連しますけど、Lincはもともと「インバウンドタレント版のリクルート(ライフイベントに寄り添う企業)」を目指してたんですけど、最近は、ビジネスモデル然りカルチャー然り、何よりもまずはインバウンドタレントというユーザーのことを第一に考えながら、そこに僕たちの想いを乗せて、Linc独自の発展を目指していきたいなと思っています。

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