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【Linc】「日本に来てよかった」 ー“多様な自分自身”を最高に生きようー[後編]|Players by Genesia.

PLAYERS

Linc(リンク)は、中華圏の留学生向けのオンライン教育サービス『LincStudy(羚课日本留学)』、インバウンド・タレントに特化した長期インターンマッチングサービス『LincIntern』の提供を通じて、来日外国人材(インバウンド・タレント)を留学からキャリアまで一気通貫でサポートするスタートアップです。

Lincの代表・仲さんと、経営チームのFeiさん、胡さんは、いずれも中国出身の中国人。生まれ育った中国を離れて、全く別のタイミング・別のきっかけで、それぞれに想いを抱き、日本に来た3人。そして今、全員が同じ気持ちで『「日本に来てよかった」を最大化したい』と願っている。そのストーリーについて、担当キャピタリストの田島が聴きました。

日本が持つ、5つの根本的な価値観

田島:

では、(前編の仲さんに続いて)次は、Feiさん。よろしくお願いします。

Fei:

田島さんの質問をメモしながら仲さんの話を聴いていたので、準備ばっちりです。
私は今年42歳になりますので、仲さんとはちょうど一回り違います。中国で過ごしたのは18歳までで、日本に来てから24年になります。18歳から東大に6年、マッキンゼーに就職して6年半。マッキンゼー時代はドイツに赴任していた時期もありました。それから、DeNA@上海で2年弱、メタップスで3年ほどフルタイムで中華圏事業の責任者として働いた後に、パートタイムでいくつかの新規事業に関わってきました。2019年からLincに携わっています。いくつかの国で働いてきましたし、いろいろな仕事をして、たくさんの国の方たちと関わってきた上で、最近感じるのは「(本来の)自分に戻ってきた」ということです。それが、私が日本を好きな一つの理由でもあります。
私は最近のNHK大河ドラマをほぼ全て観ているんですが、そこには日本が持つ根本的な価値観が表れているように感じます。そして、そこに共感します。一つ目は「家族愛」です。大河ドラマの真田丸(真田幸村)も麒麟が来る(明智光秀)も青天を衝け(渋沢栄一)も、いずれのストーリーも家族の絆が根本にあって、そこから生まれる慈しみを、家族だけでなくその先の人や社会に利他的に向けていくという共通点があるように見えます。私自身、今の自分を作っているものとして、やはり家族の影響がとても大きいと感じているので、共感する部分が大きいです。二つ目は「倹約」です。何らかのことに対して最後まで極めるという思想が、物の扱いに対しても、最後まで使い切る、浪費をしない、無駄にしないという部分で表れているようです。そうすると、人に対してもそういう姿勢になり、人を活かすための適材適所について考える、自分の役割に懸命に尽くす、といった行いにつながっていっている気がします。三つ目に「勤勉さ」です。自分が得意とすることや決めたことを何度も繰り返す。あまりあちこちに目を向けるのではなくて、繰り返しの中に意義を見出して糧にする。そういう姿勢です。四つ目は「誠実さ、まじめさ」。誰にでもしっかりと言うべきことを言う。正しいことは正しいと信じて、簡単に流されない。そうしたことを、相手への“礼”や“尊敬”を持った上でする、というところがあると思います。そして最後は「リスクを取る」ということです。日本人はリスクを取らないと思われていることがあると思いますが、全くそんなことはないと思います。しかも、一方的に目の前の利益だけを追い求めるようなかたちでではなく、より大局的かつ長期的な視点でリスクを取っていると思います。
私は日本に対して、本当にこういったことを感じています。日本には、おいしい食事も安全もある、良い友や仲間もいて承認されている、自己実現に向かおう・社会のために役立つことをしようという土台がある。なので、私は今とても幸せだと感じています。

株式会社Linc CSO Fei Lou

自身の価値観を築いた、母の背中

田島:

すごく圧倒されました。今Feiさんが挙げてくれた「家族愛」「倹約」「勤勉さ」「誠実さ」「リスクを取る」という5つの価値観ですが、Feiさんご自身の中での礎はどんなところにあったんですか?

Fei:

家族(Native Family)からDNAで受け継がれている部分はあるんじゃないかと思います。私が生まれた1979年の中国はまだ全然経済が発展していなくて、家族と過ごす時間がとても多かったです。食事だったりゲームだったり遠足だったりと、家族で過ごした時間のことがいろいろなタイミングで頭に浮かんできます。なので、私の中で、幸せや笑顔のありかはどこかというと「家族」にあると思っていますから、今も家族を最優先にしています。
「家族愛」や「愛」という点で言うと、私の父は大学のプロモーションを担当する部門にいたのですが、その前は軍の劇団で役者をしていました。ある時その劇団の友人が肝炎にかかってしまい、他の仲間たちはみんな逃げ出したのですが、父だけはその友人を介護した。その結果、自分も肝炎になってしまい、軍を離れざるを得なくなった。それで大学に勤めることになったんです。あと、母は病院の医者でしたが、こちらもある時、同じ集合住宅の友人の旦那さんが病気にかかって部屋から出られなくなってしまった。そうしたら、母は夜中だろうと何時だろうと、求められればそのお宅に行って注射を打ったりしていた。私も一緒に起こされたことがあったのでよく覚えています。このように、両親には、友人を大切にする、困った人がいたら手を差し伸べるということが当たり前のようなところがあったのだと思います。
「倹約」という点でも、うちは父が大学勤めで母が医者だったので、決してお給料が低すぎたわけではないと思うのですが、それでもお肉はめったに食べられませんでした。あと、餃子をたくさん作り置きしていたことをよく覚えています。お弁当にも餃子が詰め込まれていて、一週間ずっと餃子という時もありました。「勤勉」といえば、母が浮かびます。母はとても綺麗好きで、家はいつも綺麗に保たれていましたし、冬のとても寒い日でも毎日朝早く起きて食事を作ってくれていました。「誠実」という点もそうですね。母は医者として働いていて、主任になるための昇格試験を何度も受けていました。でも、その頃の中国では、試験官に何かちょっと贈り物をして口利きしてもらうことが当たり前で、それをしなければ昇格はできませんでした。母も当然それを知っていましたが、絶対にやらなかった。なので、母は定年退職の時も副主任のままでした。それでも私の目には、母が分厚い本を開いて医学や英語を勉強している姿が焼き付いています。努力は自分のためにすればいい、自分が納得すればいい、という姿勢を学んだ気がします。
私は18歳で日本に来て、20以上のアルバイトをしたと思いますし、マッキンゼーに入ってからはいくつかの国やいろいろな人たちと働きました。DeNAやメタップスは本当に伸びている企業で、私もその中で一生懸命に働きました。ただ、今思えば、当時は少し自分を見失っていた部分もあったような気がします。お酒もものすごく飲んでいたし、華やかなバブリーな世界に浸っていたと思います。今はちょっと落ち着いて、先ほどの5つの価値観を大切にしてやっていきたいなと思っています。まだこれから何があるかわかりませんし、新しい価値観も生まれてくることもあるかもしれませんが、今は「中の自分」を大切にしたいなと思っています。

私の取り組みによって、誰かの状態が良くなると信じて

田島:

コンサルからゲーム業界、フィンテック業界と、さまざまな業界を経験してきていると思いますが、ファーストキャリアとしてマッキンゼーを選んだ理由は何かあったんでしょうか?また、そこから転職の時に考えていたことはあったんですか?

Fei:

新卒の時は、それなりの地位と金銭報酬、それにちやほやされるところで選んでいたかなと思います。あと、外資系は早めにオファーが出るから。ただ、その年は採用人数が多くて、一部の新入社員はフランクフルトアジアハウスという新しいオフィスに出向を命じられて、なかなかプロジェクトにアサインしてもらうことができなかったんです。その時はよく泣いていました。でも、今思えば、無駄なことは何もないなと思います。ああいう経験をしたからこそ、それからは心が強くなって、どこへでも「自分が行きます」と言えるくらい身も軽くなりました。その後はラッキーで、ドイツの自動車関連のプロジェクトに関わることになって、ドイツ・上海・北京・日本などに跨ってダイナミックな仕事ができました。人生万事塞翁が馬というところはあると思います。その後はアソシエイトになって、順調に仕事をこなしていましたが、そこから先ということを考えた時に、コンサルというのはちょっと違うかもしれないと感じていました。靴を履いたまま足を搔くような歯痒さがあったんです。それで、何か次のチャレンジをと考えていた時に、DeNAが上海でゲーム事業を立ち上げるということで声をかけてもらい、行くことにしました。ただ、上海には単身赴任で、僕が上海にいる間に長男が生まれたりしたので、孤独な時期が続いていました。そうしたこともあって日本に帰ってきて、知人の紹介でメタップスへ。DeNAでゲームのプロモーションを担当していたので、ゲームにお金を出す方のロジックやマーケティングがわかっていたことが大きかったです。一から中華圏のチーム作りも担当しました。最終的に、上海・台北・香港と本土で合わせて4-50人くらいのチームを作りました。
転職の軸といえば、それまで積み上げてきた自分の資産(リソース)が活かせるかどうか、その上で新しいことに挑戦できるか、あとはそれなりのお給料がもらえること、でしょうか。過去がある上で、今をちょっと変えたい、という気持ちでした。
メタップスが上場した後は、自分に考える時間を与えました。本当にやりたいことは何か?と、3年くらい考えました。その間は、起業した友達をサポートしたり、インバウンド関連のサービスを立ち上げたり、中国のライブ系アプリの日本進出を支援したりしていました。そうしていろいろチャレンジする中で思ったのは、やっぱり自分にフォーカスがないと何事も立ち上がらない、真剣に没入してコミットしないと問題の本質に気付けない・深層が見えない、そして、そうしたコミットがないと企業の資本である「人」にも何も伝わらない、ということでした。
そんな気付きを得たことにちょうど仲さんから声をかけてもらって、Lincにジョインすることを即決しました。その時に考えたのは、Lincの事業に関しては、過去の経験などに引っ張られずに、ゼロベースのチャレンジであっても自分にできることがきっとたくさんあるだろうということでした。お給料も関係ないし、時間がかかっても成し遂げる意義のあることだと思っていますし、私の取り組みによって誰かの状態が良くなると信じて頑張っています。毎日とても楽しくやっています。

仲:

Feiさんに初めて会ったのは、2019年の5月20日でした。よく覚えてます。近所に住んでいたんですよね。もともとFacebookで共通の友人が多いのは知っていて、お互いの投稿にLikeをし合ったりする間柄ではあったんですが、それまで直接話す機会はありませんでした。その頃、僕はお金もなくて、組織崩壊の直後で、本当に苦しかった時期だったので、誰かに相談したいなと思っていたんですよね。それで、スタートアップ経験もあったFeiさんに連絡したんです。その翌々日くらいにすぐに会って話してみたら、同じ瀋陽の出身、同じひつじ年ということもわかって。共通言語が多くて、すごく縁を感じました。

Fei:

そして5月24日には、入りますとお返事しました。オフィスにはたしかに人がいなくて、寂しすぎるからまずは人を集めましょう!と言いましたね。

仲:

自分の父が中国の大企業を辞めて日本に留学した理由も、国有企業特有の官僚主義や企業文化に嫌気がさしたからだったんです。うちの父も悪いことができなかった人だったので、今のFeiさんのご両親のお話を聴いて、改めて共感しました。
本当に、ご縁ですね。胡さんにも田島さんにも愛さん(編集・インタビュワー)にも感じていることですが、出会うべくして出会うんだなとすごく感じています。

24時間飲まず食わずでも、プログラミングが楽しくて

田島:

では、胡さん、よろしくお願いします。

胡:

仲さんとFeiさんは中国の北の方の出身ですけど、僕は南の方で雲南省の出身です。チベットに接している地方です。経歴も少し二人とは違って、大学まで地元で過ごしました。よく覚えているのは小学生の時のことで、雲南省って北京時間が採用されていたんですけど、実際には北京とは2時間くらいの時差があるんです。だから、朝小学校が始まる時間がまだ真っ暗なんです。その真っ暗の中を一人で歩いて学校に行くんですけど、自分が住んでいたのがちょっと危ない(治安が悪い)地域で、道端に暴力団の人が倒れてる・・みたいなことがあったりしました。暴力団がすごく多くて、僕も学生時代はそのメンバーと一緒に遊んだりするのが普通でした。そっちの道に行く友人もいました。
母は企業の会計係をやっていましたけど、途中でレイオフされてその後は専業主婦に。父はCEOで会社をリードしていました。よく覚えているのは、当時、鄧小平(トウショウヘイ)という人が「中国は、まず一部の人たちにお金持ちになってもらって、それから他の人たちを引っ張っていってもらおう」というような政策を打ち出していたんです。中国全体でみるとその政策はすごく正しかったと思うんですけど、一方で、僕たち一人ひとりのところにその恩恵が届くまでにはやっぱり時間がかかるよなというのが素直な印象でした。というような、自分の感覚に従ったことをいつも考えていたので、正解が用意されている学校のテストでも僕は自分の意見を書いていて、答案はいつも100点中10点とか5点とかでした。自分が正しいと思っていることを書いているのにバツを付けられる違和感はありましたね。だから、大学卒業後はもっと広い世界でいろいろな価値観やモノサシに触れてみたいと思って、ずっと外に出ることを考えていました。
大学生の時はプログラミングをたくさんやりましたね。当時はまだ大学が学生を管理するシステムとかもなくてめちゃくちゃだったんですけど、僕が管理システムを作って、大学に使ってもらったりしていました。深圳や雲南省などいくつかの会社でパートタイムもしていました。

田島:

エンジニアを目指そうとしたきっかけは何だったんですか?

胡:

プログラミングを始めたのは大学生からです。小学生の頃からゲームが好きだったんですけど、パソコンやプログラミングを使ってゲームを作れる・動かせるということを知って感動したんですよね。それで実際に学校にあったパソコンでbasicという言語を使ってみて、パソコンが自分の指示通りに動いてくれることに本当にすごく感動したんです。そうしてプログラミングが大好きになりました。自分が作ったものが実際に学校で使われたり企業で使われたり、そしてちょっと儲かったりもしたし、すごく楽しくて、24時間同じところに座って飲まず食わずでプログラミングをしていても全然疲れなかったです。

「ハートの形の島」

田島:

それで、大好きなプログラミングを使って仕事をしてきたんですね。

胡:

卒業後は、深圳などの会社からもオファーをいただいてたんですけど、自分としてはもっとチャレンジしたいと思って、誰も知っている人がいない上海に一人で出ていきました。志望を外資系企業に絞っていたこともあって、入社したのは日本企業の上海支社でした。そして、1年半くらいその上海オフィスで働いた後、日本オフィスへの異動希望を出して、まずは自己紹介できる程度の日本語を勉強してから、日本に来たという経緯です。当初は言葉も文化も全くわからないので、日本語のミーティングは寝ていたり、定時ぴったりで帰ろうとして怒られたり、いろいろありましたけど、キャッチアップしながら働いていましたね。仕事はエンタープライズ系の開発がメインでした。ただ、だんだんと、将来が見えないと感じるようになったというか、もっとCtoCの経験も積みたいなと思うようになって、転職を考え始めました。それで、mixiとDeNAの選考を並行して受けていたんですけど、先にオファーが出たmixiへ入って、『いいね』や『チェック』の初期の開発をほとんどやりました。それからしばらくして、ソーシャルゲームが一気に盛り上がるタイミングが来て、当初はあまり興味がなかったんですけど、こうなったらゲームにどっぷり浸かってみるのもいいだろうと思って、再度DeNAの面接を受けて、そちらに移りました。
その後、転機が来ました。自分はいずれ世界一周したいと思っていたので、当時まさに世界一周していた(山田)進太郎さんのTwitterを情報収集のためにフォローしていたら、進太郎さんが「新しい事業のメンバーを探している」と投稿していたので、すぐに連絡を取ってカフェで会うことになったんです。初めて会った日に、たぶんお互いにもう一緒にやることを決めていて、次の週には作戦会議に参加していました。そこにいたのは、まだ6人くらいでしたね。サービスの名前も決まっていなくて、私が提案していたのは『ツッパイ』でした。ツッパイ島(Tupai)という島があって、ハートの形をしてるんですよ。

Fei:

『メルカリ』で良かったと思います。

胡:

進太郎さんが一度持ち帰って、翌日「メルカリにします」と言って決まりました。ただ、『メルカリ』で検索すると「メルカリ大地震」が出てきたりとか、.comドメインも取られてしまっていたりとか、大丈夫?って感じだったんですけど、まぁ大きくなったら考えればいいよねって話してました。それで、サービスをリリースして、私はエンジニアのトップとして開発も採用もやってましたね。ただ、当時はサービスのサーバが毎日落ちていて、メディアに出ればホームページのサーバまで落ちていて、一回目のTVCMをやる前にその問題を解決するというプロジェクトがありました。放映当日はサーバは落ちず、プロジェクトは成功しました。

田島:

それから、Lincや仲さんと出会うわけですよね。きっかけは何だったんですか?

仲:

胡さんとFeiさんの共通の友達が二人を繋いでくれて、それでFeiさんが僕に「すごい人がいるよ」と紹介してくれたという経緯です。

田島:

胡さんはどうしてLincにジョインしようと思われたんですか?

胡:

「外国人が日本に来てよかったと思う」というLincのビジョンの通りなんですけど、私自身も日本に来た時にはいろいろとつらいことがあったから、自分よりも後に日本に来る人を幸せにできるようにしたいと思った、ということが一つ。もう一つは、私はその時点で日本に来てから9-10年くらいが経っていたんですけど、日本に対して思っていたこととして、もっと移民を受け入れないと日本は終わってしまうのではということでした。人口や労働力の面でもそうだし、多様性が全くないと思っていて、このままだと国際環境においても負けてしまうと思っていました。その上で、私自身は日本に来てそれなりに成功だったと思っているので、何か恩返しがしたいと考えた時に、その手段の一つがLincかなと思ったというのが理由です。仲さんとFeiさんのこともけっこう好きだなと思いました。この二人とならやっていけるなと。楽しいし、きっと成功できる。

「日本に来てよかった」を最大化させる

田島:

コロナ禍で、こうしてみなさんとオフラインでお話しするのはお久しぶりですけど、仲さんもFeiさんも胡さんも、私達(田島、吉田(編集)、尾上さん(撮影))の名前を呼んで顔をしっかりと見て話をしてくれて、本当にいいメンバー、いいチームだなと感じています。これからさらに強いチームになっていくと思いますが、Lincにとっての強いチームとはどんなチームか、イメージはありますか?

仲:

僕達が目指す強いチームとは、多様性と包容力に溢れ、お互いがお互いのために背中を預けられるチームです。僕達のミッションは『「日本に来て良かった」を最大化させる』ことですが、そのためにはまずLincという会社コミュニティ自体に参画しているメンバー一人一人に「Lincに来て良かった」と思ってもらう必要があります。多様な国籍のメンバーで構成されているTEAM Lincだからこそ、お互いの違いに対しても包容力を持つことが何よりも大切になりますし、これができて初めて、互いのために背中を預けられる強いチームになると考えています。また、強いチームとは同時に強いコミュニティであるとも考えています。強いコミュニティは、共通するビジョンやミッションというアイデンティティを持っており、この共通のアイデンティティは強い共感を生み出し、強い共感は“磁力”になり、更にコミュニティの周りを惹きつけていきます。このチームというコミュニティの輪と質を高め続けることができれば、自ずと強いチームができ上がると考えています。

田島:

ありがとうございます。ここまでお三方のお話を伺ってきて改めて感じているのは、みなさんがそれぞれに強い気持ちを持って日本に来たということ、そして最終的には、みなさん自身が「日本に来てよかった」と心から“信じている”ということです。みなさんの原体験は当然それぞれですが、ここまでの長い年月をかけて培われた「自分自身を信じる」という気持ちにはある意味で共通している部分もあり、そのことが、強いチームの礎を築く上でとても強いDNAになっているのでしょうね。これまで、苦労されたこともあると思います。でも、そんな経験も含めて、みなさんだからこそ、ピュアにLincのミッションである「日本に来てよかった」の最大化に向き合えるし、利他的な精神でユーザに向き合うことができるのだなと。
最後に、そんなLincが実現したいと考えている、「日本に来てよかった」の最大化の先に見据えている“あるべき社会”の姿とはどんな姿ですか?

仲:

Lincが信じる“あるべき社会”の姿とは、国籍問わず多様な個人が主役になれる、多様性と包容力溢れる多文化共生社会です。そのためには、インバウンド・タレントに学習やキャリア、生活やコミュニティといった長期的に日本で活躍する上で欠かせないサービスインフラを構築する必要があります。この役割を担うのが僕たちLincです。僕たちは全てのインバウンド・タレントに「日本に来て良かった」と心から思ってもらうべく日々頑張っています。
現在、日本に長期滞在しているインバウンド・タレントは300万人に迫っており、この30年間で3倍になりました。一方で、総人口に占める割合で見た場合にはまだまだ全体の3%弱と、アメリカやフランスの6%と比較すると決して多くはありません。少子高齢化と深刻な人手不足という抗えない大波が押し寄せる中、いかに優秀層のインバウンド・タレントを獲得し、日本全体の生産性向上に寄与するかは、100年後の日本の競争力を左右する最大のテーマの一つだと確信しています。
Lincはインバウンド・タレントに対し、「Learning(勉学・生涯学習)」「Career(仕事・社会貢献)」「Life(生活・精神自立)」の領域でサービスを展開していますが、今後はユーザーがサービス利用を通じて積み上げた信頼を可視化し、かつ正当に評価される仕組みを築くことで、日本におけるさらなる生活の利便性向上を目指していきたいと思います。

※こちらは、2021/6/14時点の情報です
(デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上恭大さん、聞き手/まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ 吉田 愛)

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