INSIGHTS
INSIGHTS

【オリエンタルランド・イノベーションズ】やっぱり自分の「好き」に還ろう ー全社・全メンバーの希望になるチームを目指してーPlayers by Genesia.

PLAYERS

そう、このプロジェクトのタイトルは『Players』だ。

今回のインタビューを振り返って、そんなことを改めて深く実感しました。

さまざまな人をイメージし、「当事者」や「挑戦者」などさまざまな意味を込めてつけた『Players』というタイトル。その一つは間違いなく、「自分自身の人生を全力で生き抜いている(Playしている)人」でした。

そして今回、これからまさに自分の「好き」を大きく実現させようとしているPlayersに出会いました。

「夢・感動・喜び・やすらぎ」という軸で新しい事業・新しい価値を創造しようと、スタートアップとの共創に積極的に取り組む、オリエンタルランド・イノベーションズ。今回は、ジェネシア・ベンチャーズのLP(Limited Partner)でもある同社の代表・豊福さんと田島との対談をまとめました。

いろいろな迷いや葛藤があっても、たくさんの寄り道や回り道をしても、自分の「好き」を信じていれば、
きっと今の私もいい、きっと自分の「好き」につながっている。そんなエールになりますように。

「商い」と「気遣い」というものがずっと身近にあった少年時代

田島:

豊福さん、本日はよろしくお願いいたします。
オリエンタルランド・イノベーションズさんには、昨年のCVC設立後、比較的すぐのタイミングで僕たちの2号ファンドにご参画いただきました。本当にありがとうございます。ただ、コロナ禍ということもあり、こうして豊福さんと対面でお会いしてじっくりお話をするという機会はこれまで多くはありませんでしたよね。今回は、僕たちのメディア『Players』のインタビューを通して、豊福さんのことをぜひもっと知りたいと思っています。
早速ですが、子供の頃の記憶や生い立ちみたいなところを教えていただけますか?

豊福:

今回この機会をいただいてあれこれ思い出してみたのですが、自分の一番の特徴として考えられるかなと思ったのは、「商い」を身近に過ごしてきたということです。うちの両親もそうですし、幼少期は母方の祖母の近くで過ごしていたんですが、祖母自身もそうですし、私の母を含めたその娘三人(伯母と母親)も全員商人で、美容師や飲食や小売や、いろいろな商売をしていました。小さい頃によくお店に行って、A,B,Cというファイルを見て「お客さんをA,B,Cって分けるんだ」とか、「家ではそんなことないのにお客さんの前ではすごく頭を下げるな」とか、「今回はまけてあげて、その代わりまた後でお客さんに戻ってきてもらうっていう駆け引きがあるんだな」とか、お客さんがどうしたら喜ぶんだろう?という洞察とか、いろいろな商売の現場を興味深く見ていました。商人とか商いとか、そういう存在が近かったというのがありますね。

株式会社オリエンタルランド・イノベーションズ 代表取締役社長 豊福 力也
田島:

なるほど、それは何歳の頃の記憶ですか?

豊福:

小学生くらいまでですかね。それが、今の自分につながる一つの大きな経験かなと思っています。
あとは、両親の仲が良くなかったのですが、母が食事の準備ができると私に「お父さん呼んできて」と言って僕が父を呼びに行くんです。けど、父は「食べたくない」と言ってきて。「これどうお母さんに伝えようかな」「どう取り持つかな」みたいな、気を遣ったり様子を見たりという経験も、自分を作る一つの要素だったのかなと思います。
あとは、小学校でも中学校でも塾でもいじめられてたんですね。特に中学校は全寮制だったので、昼夜です。ただ、そのつらい環境の中でも、それをどう乗り越えようかなと考えていました。その答えが「おもしろいやつになる」か「スポーツがうまくなる」かで、いじめられてるのにおもしろいことをしても誰も笑ってくれないので、それだったらスポーツがうまくなるしかないなと考えて、サッカーを頑張っていました。中高一貫の学校で、11の枠に対して12人中12番目だったのでレギュラーにはなれなかったんですけど、高校ではレギュラーになって、当時のいじめっこたちは今はそのほとんどが親友と呼べるまでになりました。

田島:

すごい。ドラマみたいですね。

豊福:

それも裏を返せば、「あいつは何でこんなことするのかな」とか、「自分がこうしたらあいつはどう感じるかな」とか、相手のことを考えるということのきっかけになったと思っています。一つの事象がどんな影響を及ぼすか?みたいなことを考えるようになったのと、あとは、与えられた環境の中でいかにベストを尽くして状況を変えていくか?ということを考える癖がついたことが、自分のコアになっている気がしますね。

田島:

豊福さんにいじめられっこというイメージは全然なかったですが、その経験が今につながってるんですね。

豊福:

就職するときに、面接官に「豊福くんにはどこか影がある」って言われたことがありましたね。

田島:

影というの、少しわかる気がします。影というか・・豊福さんにはきっと、何か大切にしているものがあるんだろうなとずっと感じていました。

株式会社ジェネシア・ベンチャーズ 代表取締役/General Partner 田島 聡一

目標達成の先にあった空虚感と向き合って見つけた、自分の「好き」

田島:

豊福さんご自身としては、どんなところがからかわれる要因になっていたと思われますか?

豊福:

ちょっと出しゃばりというか、自己中心的なところがあったのかなと思います。あとは、祖母が私に「勉強させたい」という感じで、塾に行っていたのであんまり遊びにも行けなくて、友達との間に距離ができてしまったのかなというのもありますね。

田島:

勉強はよくする子どもだったんですか?

豊福:

小学生の頃は、あまりしなかったですね。なので、第一志望の中学校に落ちて、廊下をバイクが走るような近所の公立の中学校か、第二志望の全寮制の中学校か、という選択を迫られて、全寮制の方に入ることになりました。親が高い塾費用を払っていたのも知っていたので、さすがに公立の中学校とは言えませんでした。
両親というよりも祖母が、自分が勉強したかったのにできなかったことに悔いがあったみたいで、僕には商売よりも勉強をさせたがっていましたね。それで小学校4年生から塾に行き始めて、だんだんと自分の気持ちも乗ってきて勉強していった感じです。
そんな風に、周囲の期待を自分のWillに変えて、形にする、実現する、期待を超えるみたいなところは今にも通じているかもしれないですね。

田島:

僕は小学校高学年の頃、なぜかリーダーシップの条件についてよく考えていて、まず「おもしろいやつ」。これは豊福さんと一緒ですね。あと「怒らないやつ」って定義して、けっこう意識してました。あと、僕は大阪の京橋というところの出身で、めちゃくちゃガラが悪かったんです。そんなところにもちょっと豊福さんとの共通点を感じながら、お話を聴いていました。
一方で、中高一貫・全寮制の学校というお話はちょっと新鮮で興味深かったんですが、実際どうでしたか?

豊福:

6時50分の寮内チャイムで起床して6時55分までにグラウンドに整列していないとグラウンド3周走れ!みたいな感じでした。ものすごい缶詰めで、例えば19:00から20:40までと21:10から23:00までは学習時間というのがあったり、部屋は8人部屋で、朝起きると「部屋に酸素がない!」みたいな感じだったり、男子校でしたし、友達は仲良くなりましたけど、失った青春も大きかったですね。家には週に一回帰れるかどうかで、普段は外にも遊びに行けないので、寮と学校とグラウンドをずっとぐるぐると行ったり来たりする感じでした。サッカーばっかりやっていたので成績もあんまりよくなくて、大学も二浪して入りました。

田島:

僕は中学生の頃、生きる意味とか勉強する意味とかをすごく考えていた時期があったんですけど、豊福さんはどうですか?それだけ勉強づくめで、勉強する意味などを考えたりしませんでしたか?

豊福:

考えましたね。ただ、祖母などに期待されている分、それに応えなくてはという気持ちの方が大きかったですね。いじめられていたとか全寮制だったとか人に話すと、「そんな環境だったらグレるんじゃないの?」と言われたりもしましたけど、そんなことはなくて。田島さんがおっしゃるような、なぜ勉強するんだろう?というような自問は、大学に入ってからの方が多かったですね。大学入学というゴールを達成してしまった後ですね。

田島:

目標達成に向いていた意識が、目標が達成されたことによって行き場をなくした感じだったんですかね。

豊福:

達成感は大きかったですけどね。中学受験に失敗していたので、その失敗を乗り越えたいというモチベーションは高かったです。ただ、それを乗り越えてしまった後は、自分はこれから何がしたいんだろう?自分のコアって何なんだろう?と考えるようになりましたね。

田島:

どんな大学生でしたか?

豊福:

サッカーが本当に好きだったので、体育会のサッカー部に入部しました。でも、実力不足でAチームに入れなかったこともあって2年で辞めてしまって・・その、逃げてしまった経験は、今でも月に数回夢に出てくるくらい印象的です。そういうことを繰り返したくないなとずっと思っています。
部活を辞めた後は、留学をしたり普通に遊んだりしていて、その中で東京ディズニーランドに行く機会があって、それが就職活動につながっていく形ですね。

田島:

僕自身は就職の時、給料がいいところはどこだろう?という点と、若くして経営に触れて一番成長できるのはどこだろう?という点を考えて銀行に入ったんですが、豊福さんは就職の時どんなことを考えていましたか?

豊福:

周りの友人は官僚や弁護士になる人が多かったので、当然そういった道も考えたんですけど、それはまたたぶん世の中の基準やレールに乗っていくことになってそこでの競争になるなと思ったら、ちょっとおもしろくないなって思ったんですよね。じゃあ逆におもしろいことって何だろう?って考えたら、福岡から東京に出てきて大学生の頃に初めて行った東京ディズニーランドが楽しかったしすごく感動したなということを思い出したんです。それで、オリエンタルランドの入社試験を受けました。後から考えてみると、やっぱり自分が相性がよかった就職活動先ってメーカーだったりサービス業だったりと、わかりやすく何かしらのモノや体験をお客様に届けるっていうところが合っているなという感覚はありました。

田島:

うちの娘もディズニーランドが大好きなんですが、豊福さんはディズニーランドのどのあたりに感動したんですか?

豊福:

アトラクションとかというよりも、エンターテイメントが提供される空間ですかね。キャラクターのダンス、音楽、パフォーマンス、そういうものがこんなに近くで見られるんだっていう。あとは、すごく個々のお客様に働きかけているなといったことも感じていました。キャストの振る舞いなどを見ていても、笑顔で本当に丁寧に対応してくれますよね。そういう人や場のサポートができたらと思いました。

田島:

ディズニーランドもそうですし、メーカーやサービス業が自分に合っていたというお話がありましたが、そういう仕事を通じてどんなことを実現したい、といったことは考えていたんですか?

豊福:

やっぱり子どもの頃に商いや商人というものを間近に感じていた体験もあって、お客様に直接何かを提供するということがわかりやすいし好きだったんだと思います。だからそういう仕事をしている人たちと性が合う感覚もあったんじゃないかなと。
オリエンタルランドの仕事も僕としてはメーカーと類似した業務と思って入社しました。パーク内だったりそのすぐ裏側だったりで作ったものをすぐにお客様に提供する、一つの大きな店舗みたいなイメージで、お客様の喜びとか反応が目の前でわかる場だと思っています。
あとは、当時オリエンタルランドは新規事業を始めようというタイミングで、そこに絡めそうな採用募集だったことも、入社の決め手になりました。

田島:

先ほど、「世の中の基準やレールに乗っていくことがおもしろくない」というアウトローな発言もありましたよね。お話を聴いてきた感じでは、それまでの豊福さんは周りの期待に応えて自分をレールに乗せてきた印象を受けましたけど、そこから徐々に自分自身が持つ感覚が動いてきたんですかね?

豊福:

大学に入ることで一つの目標を達成した空虚感がきっかけですかね。目標は達成したけど、それって“手段”だよなということに気づいたというか。じゃあその先の“目的”って何かな?自分は何がしたいかな?と考えた時に、周りの友人たちと同じような道を選ぶというよりは、自分の好きなことをしたいと思いました。それが、人と人との商売というか「商い」の場だったのかなと。

田島:

なるほど、そこが幼少期の記憶と関連してくるんですね。

豊福:

そうですね、わかりやすい「商い」が「好き」なんですよね。

ベンチャー企業に大企業のノウハウがブレンドできるという手応え

田島:

オリエンタルランドに入社して、今何年目ですか?

豊福:

17年目です。二浪して、1年休学もしているので、就職は26歳の年次でした。

田島:

休学して留学されていたんですか?どちらに?

豊福:

留学というよりは遊学ですね。ニュージーランドです。英語を勉強したかったので、日本語教師のボランティアをやろうと思って。ニュージーランドって当時は日本語を第二外国語に選ぶ人が多かったんです。何も決めずにワーキングホリデーのビザを取って現地に行って、ユースホステルに泊まりながらホームステイ先を見つけて、さらにホームステイ先の近くの小学校や中学校に電話してボランティアしたい英語も勉強したいと言って学校をみつけました。大学3年のときですね。ただ留学して勉強するよりは、自分も日本語を教えながら勉強した方が切迫感があるかなと思って。結果として、そこまで英語は上達しなかったですけど。

田島:

オリエンタルランドに入ってからはどんな仕事をされてたんですか?

豊福:

キャリアとしては、人事3年、当時オリエンタルランドの出資先であった株式会社スマイルズに1年弱出向、グループ会社の再編関連の業務に2年半、それから社費留学でMBAを取得させてもらって、帰ってきてから農園設立の新規プロジェクト、それからディズニー社との契約交渉を担当、そして今です。

田島:

だいぶ期待をかけられたコースじゃないですか?

豊福:

いわゆるテーマパークに直接関わる業務ではないので、どちらかと言えば傍流なキャリアだと思っています。ですけれど、それはそれで良くて、個人的には、若い頃だったこともあり、株式会社スマイルズへの出向が一番大きかったですね。ちょうど29-30歳くらいの頃です。人事課長として出向したのですが、私含めて3人くらいしかいなかったので、何でもやる感じでしたね。オリエンタルランドでの人事の仕事は評価制度とか昇格制度とかの運用だったのですごく細分化されていたんですけど、出向先では本当にいろんなことをやらなくちゃいけなかったので、わからないことはオリエンタルランドに訊いてやってみるみたいな感じでした。営業とか関連の部署と一緒に進める業務もあったので、そのあたりの折衝やコミュニケーションなどもすごく勉強になりました。全体として100人くらいの組織でしたけど、全体を見ながら仕事しなくちゃいけなかったので、そこで経営目線が養われたというか、すごく視座が上がった感覚はありました。その経験は僕のキャリアの中でもすごく貴重なものですね。スマイルズの皆様には本当に感謝していますし、いまでも遠山さん(スマイルズ代表取締役社長)や松尾さん(スマイルズ取締役副社長)などとは連絡をとらせていただいてます。

田島:

1年弱の出向後はまたオリエンタルランドに戻ったということですよね。

豊福:

そうです。株式会社スマイルズの株主の異動の関係もあり、短い期間での出向となりました。本当はもう少しいたかったですけどね。でも、その時の経験で、ベンチャーのような成長過程の勢いのある組織に出向しても、大企業のノウハウやナレッジをブレンドして貢献できることもある、コラボレーションできることがある、という手応えや自信を掴めた気がしました。それは今の仕事にもすごく活きていると思いますね。

このCVCが全社・全メンバーの希望のチームになるように

田島:

それからもいろいろな部門でキャリアを積まれてきて、そしていよいよ、約1年前ですよね。CVCを設立されたと。その経緯と今後の展望について伺っていってもいいですか?

豊福:

もともと新しいことがやりたくて入社していたので、ずっとそういうことがしたかったというのはあったんです。とはいえ、会社としては20年近く新規事業を作ろうとし続けてきたけど、なかなか大きな事業をつくれていない現状もある。その歴史が重なれば重なるほど、次の代はチャレンジが難しくなっていく。それで、それを乗り越えるために信頼してもらえるだけの社内でのクレジットを貯めないといけないなと思って、僕自身いろいろな実績を積んできたという部分があります。それで今回、CVCがやりたいということを提案して、チャンスをいただいたという経緯です。
というプロセスがあるので、本当に、やり切らないといけないなと、次の世代につなげたいな思っています。もちろん、よく田島さんがおっしゃるとおり、僕たちとしてもToBe(あるべき姿)を考えてCVCとしての活動をしていかなくちゃいけないし、そこでしっかり形にしなくちゃいけないと思っています。そのためのM&Aなども当然あると思っています。今は本当にその過渡期です。一方で、自分たち本位になってしまってはいけないし、ベンチャー・スタートアップと一緒にできることっていうのを考え続けていきたいです。その時に、僕としては出向の経験を思い出して、もしかしたらM&Aなどの形じゃなくても、一緒に新たな事業をつくっていくこと(JV設立)や、出資先のベンチャーの20%程度の株式を保有させてもらい、人も出向させてもらいながら一緒にベンチャーの事業をグロースさせていくことなどで何か一緒にできることがあるんじゃないかとか、パートナーとして選んでくれる会社さんがあれば、そんな可能性も探っていきたいなと思います。
よくオリエンタルランドの人たちとの会話の中で、会社としてコロナ禍で苦しい状況もある中で、僕たちが従業員にとっての光というか希望のような組織になっているということを言われます。そうなったら、しっかりとその期待に応えていきたいなと。そういう強い気持ちがあります。

田島:

次代に向けて、新しい価値を生み続けるという背中を自らが見せていきたいということですよね。とても素敵だと思います。豊福さんとして、TEAM オリエンタルランド・イノベーションズを今後どんなチームにしていきたいと考えていますか?
ちなみに、既存事業とのシナジーを掲げられるCVCの方は多いですが、オリエンタルランド・イノベーションズさんは新規事業を目的にしている。そこは、何か一味違うチームなのかなと個人的には感じています。

豊福:

本体であるオリエンタルランドの、テーマパークの良さを出している根源って、「みんなで何かをつくろう」という気持ちがすごく強いところだと思っています。例えば、裏側ではそれぞれ部門やチームがあるわけですけど、お客様からしたらエンターテイメントもアトラクションもフードも商品も一連の流れなのでそういったところのすり合わせが必要だし、それができる会社です。一方で、新しいものを作ろうとした時にどうしてもそこ(既存事業)とのハレーションを気にして進めなかったりするところがあるので、僕たちが会社に新しい風を吹き込む存在だと期待されているなら、そのポジションを使って実際に新しい風を吹き込む存在になっていきたいと思いますし、それで会社に貢献していけたらと思っています。そういった意味も込めて社名に「イノベーションズ」を入れています。
また、個人的な感覚としては、若い世代は特に既存事業以外でチャレンジという機会があまりなかったかなというところはあるので、僕たちのチームはどんどんチャレンジできるチームにしたいですね。投資領域も、会社からどこの領域に投資しろと言われているわけではないので、自分たちでどんどん見つけに行って、「今のオリエンタルランドにはこんなことが必要だ」と意味づけをして提案していく。そして僕がそれをサポートする。そんなことを実現したいです。

田島:

チームのみなさんは立候補して集まっているんですか?

豊福:

そういう人もいます。本人のWillを踏まえながら、人事部と調整して来てもらった人もいます。

田島:

僕たちがゼロイチで新たな価値の創造にチャレンジするスタートアップに伴走している中で感じるのが、やっぱり一番大切なのはチームだということです。そのリーダーである起業家は、自分自身に光を当てるのではなく仲間に光を当てられる人であってほしいし、お客様やパートナーも含めてワンチームでビジョンの実現に向かっていこうとみんなで考えられる、そんなチームが強いチームかなと思っています。そんな強いチームを創れているスタートアップが持続的に成長し続ける。そんな印象を持っています。
豊福さんにとっての「強いチーム」像ってありますか?

豊福:

田島さんとは普段からよくチームについてもディスカッションさせていただいていて、メンバーたちも僕自身もとても共感します。ただ前提として、やっぱりまだ過渡期のチームなので、より強い個の力も必要だなと、その両輪だなと思っています。CVCを設立してからのこの1年で一番の学びは、ベンチャーキャピタリストが産業を創る仕事だということです。本当にそうだなぁと思います。

田島:

そうですね。僕たちベンチャーキャピタルがリスクを取れなかったら世の中に生まれないイノベーションの種がたくさんあると思うんですよね。

豊福:

その点で、僕たちにはまだ力不足というか、伸びしろのある部分がたくさんあると思っています。その成長の機会は作っていきたいですね。僕たち自身がクレジットを積み上げてきたということもありますけど、今回僕たちがこうしてもらった新規事業創出の機会というのも、先達たちの汗と涙の上に成り立っているものだと思うので、それを次の世代にうねりとして伝えていきたいです。
パイオニアになり後世につなげていきたいという気持ちを込めて、当時の最強リーグのあるイタリアにチャレンジした三浦知良さんのような存在になりたいって僕は言ってるんですけど、やっぱり先達の努力があって後進たちが伸びるということがあると思うので、このチームで、大きなうねりにして面にして伝えていきたいなと思います。そして、サッカーも海外でプレーする選手が皆無だった時代から、海外組で普通に代表チームが組める時代になっているように、オリエンタルランドでもどんどん新規事業が普通に生まれてくるような環境につなげていきたいと思ってます。

期待に応えたい、それが自分にしかできないことだとするなら尚更いい

田島:

豊福さんは人事出身というバックグラウンドがあると思うんですけど、それが今に影響している部分ってありますか?CVCの方でもスタートアップの起業家でも、人事出身や人事経験者ってそんなに多くないかなと思っています。

豊福:

それでいうと幼少期からずっと「人」というものを気にして、常に目と意識を配って関わってきたと思っているので、そういう意味では人事という仕事はばっちり合っていたと思います。そうですね、たしかに人事出身というのは珍しいかもしれないですね。それに、オリエンタルランドは「人」の会社ですから、もしかしたらそういう面でもスタートアップにブレンドできるところがあるかもしれないですね。

田島:

何か提供しようという感覚でなくても、ディスカッション相手になってくれるだけでも、うれしかったり助かったりする面はたくさんあると思います。「人」に向き合うということは、その人と自分の人生に向き合うということですよね。その重みを知っている人は、きっといいチームを作るんじゃないかなと思います。僕自身もそうありたいです。

豊福:

そういえばうちのメンバーから「イノベーションズは本当にいろんな人がいますね。バックグラウンドや得意分野がバラバラで、全体でバランスが取れているチーム、という感じです」と言われたことがあります。これから先、自分もあそこのチームに行きたい!と憧れられるようなチームになれるといいですね。

田島:

これはちょっと今思いついた雑談レベルのお話なんですが、先日「豊かさって何だろう」というブログ記事を書いたんですね。豊福さんにとっての豊かさって何でしょうか?自ら手を挙げてCVCを立ち上げられたという方も本当に珍しいですし、豊福さんのWillがそのあたりにあるような気はしているんですが。

豊福:

ブログ拝見しました。田島さんがお父さんを許せた・認められたというお話が興味深くて、また別の機会に詳しくお話を聴きたいです。
Willや豊かさというところでいうと、正直僕自身はまだ実力不足で、具体的にこの社会課題や社会の負を解決したい!みたいなところまでは昇華しきれていないかなと思っています。それよりも、自分の周りの人たちの期待に応えたい、それが仮に僕にしかできないことだとするなら尚更いい、そういうことをしている時が現時点では豊かな状態かなと。それが今回CVCという形で、僕がやりたかったことでもあり、周りからも期待してもらえていることであり、これはもう、ここで自己実現していきたいなと思っています。そして、メンバーそれぞれも自己実現へのチャレンジができるような文化を作っていきたいです。それが特異なキャリアで生きてきた僕の使命ですし、「好き」ですね。

※こちらは、2021/5/24時点の情報です
(デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上恭大さん、聞き手/まとめ:ジェネシア・ベンチャーズ 吉田 愛)

BACK TO LIST