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【創業の軌跡】Vol.11 Makuake/中山 亮太郎

PODCAST

第一線で活躍している起業家の創業からの歩みについてお話を伺う「創業の軌跡」。第11回目となる今回は、株式会社マクアケの創業者・中山さんをゲストにお迎えしました。本稿は要約版になりますので、フルver.についてはぜひPodcastで聞いてみてください。


・ジェネシア・ベンチャーズ/田島 聡一一戸 将未(インタビュアー)

※本文中は、社名をマクアケ、サービス名を『Makuake』と表記

自己紹介

一戸:

創業の軌跡、第11回目ということで、今回はマクアケの中山さんにお越しいただきました。ジェネシア・ベンチャーズからは、僕と、代表の田島さんにも来てもらっています。
まずは中山さんから簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか?

中山:

株式会社マクアケの代表取締役社長の中山と申します。1982年生まれで、年齢は40歳を過ぎたところです。慶応義塾大学の法学部出身で法律を学んでいたんですが、起業したいと思っていたので、新卒ではサイバーエージェントに入社しました。配属は社長室で、起業家ってどんな感じなのかということを知りたかったので、朝はサイバーエージェントの代表の藤田さんのお迎えの運転手もやってました。あともう一つ、社長室の最初のミッションとして「いい起業家を探しなさい」というものがあったので、いろんな起業家とアポイントを取って、それこそ田島さんをはじめとしたサイバーエージェント・ベンチャーズ(以下「CAV」と記載。現在のサイバーエージェント・キャピタル)の方々を引き合わせるということもしていました。それが入社してすぐの2-3ヶ月の話なので、田島さんとは本当に初期から接点を持たせていただいていました。
 あともう一つのミッションとしてあったのが、クレディセゾンさんとの合弁事業のようなかたちでメディアを立ち上げるというもので、徐々にそちらが忙しくなってきたので、以降は専任になり4年くらい務めました。その後にサイバーエージェント・ベンチャーズに異動して、正式に田島さんの部下になりました。ベトナムでの投資担当というチャンスをいただいたので、ベトナムに移住して、2010年ぐらいから2年半ですかね、ベンチャーキャピタル(VC)で働きました。それから、今のマクアケに繋がるクラウドファンディングという事業を立ち上げる話が持ち上がったので、日本に帰ってきて創業の準備を始めて、今に至ります。

一戸:

CAVへの異動は、ご自分で希望を出されたんですか?

中山:

そういうわけではなかったですね。ただ、起業家になりたいとか事業を作りたいという動機でサイバーエージェントに入っていたので、ありがたいことに最初から事業の立ち上げみたいなことをやらせていただいていた中で、徐々に「規模感」みたいなことに興味を持ち始めたんです。最初は「規模と言ったら世界一」みたいな思考で、世界の隅々まで価値を届けられるような事業をいつか作りたいなと思いつつ、頭の中の地図が路線図くらいの解像度だったので、このままじゃダメかもしれないと思っていたら、たまたま当時CAVの担当役員を兼務していた西條さんからベトナムでの投資の話があると聞いたので、行きたいです!と伝えました。最初にお話ししたとおり、入社してすぐ社長室で少しだけソーシングみたいなことをしていたので、VCの仕事についてはわかっていたしやってみたいと思ったのと、海外で働けるチャンスだったので、英語喋れるって嘘ついて(笑)、行かせてもらえることになりました。

一戸:

田島さんは中山さんと働き始めた頃のことって覚えていますか?どんな印象がありましたか?

田島:

中山さんはすごくポジティブで太陽みたいなキャラクターというか、中山さんのことを嫌いな人は誰もいないというか、すごく好かれていて、ポジティブなオーラがすごく出てる印象でしたね。

一戸:

次に、マクアケで展開されている事業について教えていただいてもよろしいですか?

中山:

基幹サービスが、社名と一緒の『Makuake』という応援購入サービスです。新しい商品や新しいサービスをローンチする前のタイミングで初期の顧客を獲得できちゃう、そういう場を提供しています。これがほぼ全ての事業の中心になっていて、その派生で、サイトのデータを活用して大企業の研究開発部門などと一緒に商品企画に入る『Makuake Incubation Studio(MIS)』という事業や、マクアケでデビューしたものだけを扱うセレクトショップのような場所として『Makuake STORE』というECサイトをやったりしています。

一戸:

ありがとうございます。

起業を意識し始めた経緯

一戸:

次に、中山さんが創業に至るまでのお話をお伺いしたいと思います。新卒でサイバーエージェントに入社した時から起業したいという思いがあったとのことでしたが、中山さんのことを調べると、起業家の家系に生まれたというお話も見かけました。このあたりがやっぱり、起業したいという思いに繋がったんでしょうか?

中山:

振り返ると、そうなのかもしれません。父親も山口県から東京に出てきて一瞬サラリーマンをやった後に起業してましたし、祖父も山口県で林業の物流業みたいなことを自分でやってたみたいなんですよね、そして、母方はずっとお坊さん。だから、会社員としての生き方を親から見ていなかったので、自ずと起業や自営という生き方が染みてきてたのかなと思います。

一戸:

学生時代はサッカー選手だったり、実際に法学部に入って弁護士を目指していたという情報も目にしたんですが、起業を実際に意識し始めたタイミングはいつ頃なんでしょうか?

中山:

正直、高校生の時なんて将来の職業とか全然考えていなくて、世の中にある会社の違いなんかもよく知らないくらいでした。大学入学前にサッカーを辞める理由として、弁護士になるって言っておけばかっこいいかなという、それくらいの気持ちで法学部に入りました。それで友達の親戚がやっている弁護士事務所にアルバイトで入らせてもらっていた時に、たくさんのクライアントさんと接する機会をいただきました。大手企業の顧問や社外取締役も多く手掛けている事務所だったので、クライアントの企業さんが新しい事業や新商品を作るタイミングで、必ず相談に来られていたんです。そういうお話を聞いていたら、そっちの方が面白いなって思うようになりました。
 また、時を同じくして二つのことがあったんです。一つは、小さいことなんですけど、父親とご飯を食べていたら急に「生まれてきたからには価値を残して死になさい」みたいなことを真面目に言われたんです。どうしたんだろう?という感じだったんですが、だったら自分は事業を残したいなと思うようになりました。もう一つは、ちょうどIT起業家ブームみたいなものがあったことです。楽天の三木谷さんだったりサイバーエージェントの藤田さんだったりGMOの熊谷さんだったり、青年実業家と呼ばれていた人たちが起業家という呼ばれ方をし始めて、そういう、ベンチャーを起業することが“胡散臭い”から“かっこいい”に変わっていく空気の中で大学時代を過ごしたので、やっぱり事業を作りたいなと思うようになりました。

一戸:

弁護士を目指していた時期も、結果的には、起業家になりたいという気持ちを育む期間の一部になったということですね。

VCを経て、社内起業へ

一戸:

中山さんはそこからサイバーエージェントに入社、CAVに異動、ベトナムに赴任というキャリアを経て起業に至ったと思うんですが、実際にマクアケの事業アイデアをどのように着想したのかをお伺いしたいと思います。社内起業だったということだと思いますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

中山:

全くかっこつけずに本当のことを言いますね。起業というと、起業家自身の画期的なアイデアから始まったり、社内起業だとしても社内のプレゼンコンテストなどで優勝を勝ち取ったりといったイメージがあると思うんですが、僕の場合はそういうものではありません。「あした会議」というサイバーエージェントの名物会議があって、役員の方々が自分のチームを組成して、新規事業だったり社内の課題を大きく改善するアイデアだったりを徹夜で考え抜いてガチンコで提案するんですが、その中でまさに田島さんがいたチームで提案したクラウドファンディング事業の提案が通った。それがマクアケのDay0でした。ただ、誰もクラウドファンディングのことをよくわかってなかったんです。当時、急に大手のメディアに取り上げられ出したり、大手企業がクラウドファンディングを後押しするみたいな情報が出たりと、話題にはなっているけどよくわからないよねという感じで。そこで田島さんが、ずっと事業を作りたいと言っていた僕のことを思い出してくれて、連絡をくれたんです。ベトナムで休日に髪を切っていた時に突然電話がかかってきて、「中山、クラウドファンディングって知ってるか?」「社長やらへんか?」と。それで、「やります。仕事を引き継いですぐ帰ります」みたいな。

一戸:

田島さんはその時のことを覚えていますか?どういう背景で中山さんに事業を託そうと考えたんですか?

田島:

クラウドファンディングというのは、「応援者」だと思ったんですよね。それで、さっき冒頭でお話ししたような、いろんな人に好かれて人を惹きつける中山さんのキャラクターが、その代表としてすごくフィットするんじゃないかと思ったんです。

一戸:

当時すでにサービスとしては話題になっていて競合も存在していたと思うんですが、そのあたりはどう捉えていましたか?

中山:

実はあんまり意識していなかったです。そもそもクラウドファンディングって何だろう?みたいな時期だったので。ただ一番カジュアルかつスピーディに始められる方法は何だろうということを考えて、とにかく立ち上げました。本当にダメな例だと思うんですが、マーケットのこともユーザーのこともよくわからないまま、とにかく流行り言葉ドリブンで。だから、行間のことを考える暇はなくて、本当のマーケットはどこなんだろう?本当にユーザーニーズがあるんだろうか?みたいなことをずっと考えながらもがいていました。

一戸:

そのユーザーニーズなどを掴む上で、競合調査や競合をベンチマークするみたいなことはやられたりしなかったんですか?

中山:

ほぼしていなかったと思います。どんぐりの背比べみたいな状態だったと思いますし、何が競合なのかもよくわかってなかったんですよね。とにかくどこが大きくフィットするマーケットなのかをずっと考え続けていました。それこそ創業期、毎月1-2回は田島さんに壁打ちミーティングみたいなことをしてもらっていて、思考の整理だったりマーケットの捉え方だったり業務連携のアイデアだったりを一緒に考えてもらって、本当にありがたかったです。

MOATの意識と手数料率へのこだわり

一戸:

田島さんは中山さんと話す上で、競合について意識していたことはあったりするんですか?

田島:

クラウドファンディングを通じて資金調達をするという役務提供に対しての利率— つまりGMVに対してのテイクレートはおそらくは下がっていく傾向だと思っていたので、そこを下げないような付加価値をどう乗せていくかが中長期での『Makuake』のMOATになっていくよね、ということを中山さんを含めた経営陣と話していました。

中山:

すごく覚えています。ただのツールだとどうしてもテイクレートは下がっていくし、機能を真似されてしまえば付加価値もそれまでになってくる。当時の田島さんの「やっぱり最後は送客力― 顧客をどう増やしていけるか、その仕組みを持つことがすごく価値が高い」というお話が印象に残っていて、自分でも意識していました。

一戸:

それで言うと、『Makuake』の20%という手数料率は創業当時からずっと変わってないのかなと思うんですが、その20%という数字はどう決められたんですか?市場自体が新しい中で、ベンチマークする数字を見つけるのも難しかったと思うんですが。

中山:

そこは盲目的に、同業者の料率を参考にさせてもらいました。その上で、これまで変えてこなかったのは、マーケット自体を流通業に近しいものだなと捉えることができたので、流通業が4-5割のマージンを取っている中で2割というのはリーズナブルだと、そこがむしろ本当のマーケットでの競争優位性になると思えたというのが理由です。
 当初は料率を一気に下げて、まずはとにかくたくさんの実績を作った方がいいんじゃないかということも考えたんですが、「マージンを下げればサービスの質も下がるから、絶対に下げない方がいい」という創業メンバーの強いこだわりに、ある種助けられました。そのマージンに見合うサービスにしていこうという想いで進めてきました。

一戸:

スタートアップの初期のプロダクトは整っていないことも多いので、利率を下げるという選択肢を取りやすい一方で、そうしてしまうと安かろう悪かろうになってしまうという懸念を持って、そこの葛藤をチームのこだわりで乗り越えたんですね。

テーマドリブンでの事業立ち上げからPMFに至るまでの苦労

一戸:

次に、初期の事業者獲得とユーザー獲得についてお伺いしたいなと思います。『Makuake』の一番最初の顧客=事業者の獲得にはどれぐらいの時間を要したのか、どのように獲得したのか、このあたりは覚えていますか?

中山:

ローンチの時に掲載されていたプロジェクトは、7件でした。全部、知り合いに紹介してもらった事業者さんでした。

一戸:

事業者の方は、クラウドファンディングをどう捉えられていたんですかね?

中山:

一つは、本当にお金が必要な方が“打ち出の小槌”的な願いを込めて使ってみようというタイプ、もう一つは、とにかく新しいサービスを一度使ってみようというタイプ、あともう一つが、アメリカの『Kickstarter』というサイトを知ってて、その日本版があるなら試しにやってみようというタイプ。そんな感じだったと思います。とにかくもう、人脈人脈の営業でした。インバウンドの問い合わせなんてほぼなし。ジャンルも使い方もバラバラ。その時点では、僕たちもまだマーケットの定義を間違えていたというか、マーケットフィットしていなかったなと思います。
 立ち上げ数ヶ月で400社ぐらいに営業して回ってたんですけど、打率は1割にも満たない。その時はおそらく、「ネットで募金を集めましょう」というニュアンスに捉えられてたと思うんですよね。それこそクラウドファンディングというのは東日本大震災の後に日本に入ってきたキーワードで、その仕組みは素晴らしいけど自社には合わない・・と言われてしまう感じでした。クラウドファンディングというのは本当に、この十数年の中でもトップ3に入るくらい、“願いが込められた”トレンドワードだったと思うんです。最近ならブロックチェーンとかWeb3とか、いろんなトレンドワードがありますけど、その中でもかなり強烈なエモーショナル― 募金だったり資金調達だったりといろんな人のいろんな願いがそこに入っていて、メディアもいろんな切り口で語っていた。そんな中で、恥ずかしながら僕らとしてもそこの定義がしっかりと定まっていなかったんだと思います。

一戸:

ユーザーについては、初期はどういうかたちで獲得されていたんですか?

中山:

本当に初期の初期は、「友達や知り合いからお金集めましょう」ということしか、正直言えていませんでした。

一戸:

友達というのは、その事業者の方の友達ということですか?

中山:

そうです。「知り合いにお願いしてください」と。なので、知り合いが多かったり人気者だったりする人はお金が集まるんですが、そうじゃないと・・・・僕らとしても何の価値も提供できていない感覚ですごく苦しかったです。
 そんな中、僕らはクラウドファンディング=資金調達だと思ってたんですが、違うことを言い始める人がちらほら出てきたんですよ。新しいマーケティング手法だよね、みたいな。でも、その時の僕たちは、クラウドファンディングという言葉を誰よりもエモーショナルに崇拝していて、全員の気持ちやお金の流れがすごく原理主義的になってしまっていたんです。だから、すごく左脳的な言葉が出てきたぞ・・耳心地がよくないぞ・・といった拒否反応が出てしまっていたりしたんです。でも、実際にそういう使い方— つまり新商品のマーケティングに利用されていた事業者さんの方が、プロジェクトがうまくいっていたんですよ。それでお話を聞いてみたら、「中山さんはインターネットの人だから、在庫と流通という概念がないですよね」と言われました。何か新しい商品を出して人に知ってもらうには、お店の棚に幅広く置いてもらわなくちゃならない、そのためには在庫リスクを抱えなければならない、それで売れなかったら地獄なんですよと。そこで『Makuake』を使うと、まだ試作品の段階で先行販売して買ってもらえるお客さんを捕まえてから売ることができると。こういう仕組みって今まであったようでなかったんですよと言われて、目から鱗が落ちました。それから、クラウドファンディングをしませんか?ではなく、無在庫の段階で先行販売しませんか?テストマーケティングをしませんか?というキーワードに一気に変えていきました。そうして概念を変えたら、一気に使っていただけるようになった。何度も何度も営業に行っていたソニーさんにもこの時点で使っていただけることになりました。大企業も地方の中小企業も全然関係なく、とにかく「作る前に売る」という市場を掴んだ手応えがありました。全ての流通のゲートウェイになるポジションで全てが繋がったし、実際にユーザーも楽しんでくれていた。そこからが大きな転換期でした。

一戸:

サービスをリリースしてから、クラウドファンディングという言葉ではなくて、そのテストマーケティングだったり0次流通だったりという言葉に行き着くまではどれくらいだったんですか?

中山:

ローンチしてからちょうど1年ぐらいですね。

一戸:

その1年の間はけっこう事業としてストラグルしていたり、葛藤があったりしたんですか?

中山:

そうですね。主要なKPIじゃなくてもとにかく伸びている数字があればそれをアピールして、1件のプロジェクト実績が出たらそれをユースケースとして紹介して、少しの実績を拡大してアピールするしかなかった状態でした。葛藤していましたね。今だから言えますが、社員に対しては「こういう世界を作っていこう」というビジョンをとにかく言い続けていて、みんな本当に頑張ってくれていました。でも実態としてはほぼマーケットフィットしていない。かなりつらい時期でした。

消費者に対する便益の訴求

一戸:

事業者の方からのお声が一つの転換期になったということですが、消費者側のニーズの特定についても中山さんの中で何か進められていたことはあったんでしょうか?

中山:

事業者さんの言葉で事業者さん側のニーズに気付かせてもらった一方で、消費者の方のニーズも同時に言語化していました。消費者はなぜ『Makuake』でお金を使うんだ?ということですね。事業者さん向けのツールであれば、とにかく先行販売がしやすい機能を提供していればいいですが、事業者の一番のベネフィットは「顧客を獲得できること」だったので、やっぱり送客という便益を提供しないといけない。つまりは消費者側のニーズにとにかく向き合わなきゃいけない。なので、世の中にない面白いものが何かないかなと思った時に『Makuake』を見てくれるような体験を作れないかと考えていました。知り合いのページだけを見に行くんじゃなくて、マーケットプレイスとしての横展開の効くユーザーの溜め方に向き合いました。よく、事業者と消費者の獲得のどちらに力を注いでましたか?という質問をいただくんですが、やっぱりそのバランスはすごく難しかったです。でも、やらざるを得なかった。
 ユーザー獲得に大きく働いたのが、世に流通する前の商品のメディアバリューです。新しいものってメディアさんが記事にしやすいネタだったりするので、かなり初期の段階からPR専任者を入れて、新しいプロジェクトや商品をメディアさんに積極的に紹介しました。それが功を奏して、ユーザーが増えて、徐々にリピーターになってくれる流れができました。

田島:

個別のプロジェクトにファンがつく状態から、『Makuake』にファンがつく状態にしていったということですよね。そこをどう仕掛けていくかをかなり議論していましたよね。

中山:

すごく難しかったんですけど、ここを越えないと価値が弱くなってしまうなとは思っていたので、すごく向き合いましたね。

自分に合った仮説検証の進め方

一戸:

マーケットフィットまで1年ほどかかったというお話でしたが、今振り返ってみて、もう少し早くそこに辿り着けたかもなというような感覚ってあったりされますか?

中山:

半分くらいありますが、もう半分は、同じプロセスを踏んだ方がいいかもしれないなと思っています。マクアケってすごくビジョンドリブンな会社だと自分でも思っているんですが、実際にすごく想いが強くて主体的に自分の考えを持って走りたいメンバーが多かったんです。だから、みんなの試行錯誤を一周しないと、推進力も出なかったんじゃないかなと思ったりします。メンバーの主体性ドリブンで、「鳴くまで待とうホトトギス」みたいなスタイルが僕のリーダーシップのスタイルであり、もしかしたら弱みでもあるかもしれないんですが。結果的には、大きな推進力に繋がった。だからもしそれをショートカットしていたら、みんなのモチベーションが低い状態になっていたかもしれません。

一戸:

僕自身が投資支援先のスタートアップを見ていても、やっぱりその人(起業家)に合ったPMFまでのかたちがあるなということをすごく感じています。まさにリーダーシップのあり方だったりヒリヒリ感の許容度だったり。こうするといいとかこうすべきだという話もたくさんあると思うんですが、究極的にはその人に合ったスタイルやプロセスがあるなと思います。

PMFと同時に市場のポテンシャルを感じた体験

一戸:

PMFを感じた瞬間について、もう少しお伺いできればと思います。ソニーさんの例のように大企業が使い始めてくれたというところが一つあったと思うんですが、さらにそこから、自分たちが頑張ってマーケティングをしなくても事業者さんやユーザーさんが自然と集まってくる状態になったと感じた瞬間はありましたか?

中山:

まさにソニーさんの件もそうですし、もう一つ、岐阜県の金型工場が『Makuake』を使ってくれたことも大きかったです。そちらはBtoBの下請けでいろいろな金型を作ったり金属加工をしたりしている工場なんですが、そういったBtoBの事業者さんが自社の新商品や新事業を立ち上げる時に使ってくれたのを見た時に、裾野の広さを感じました。コンシューマー向けの商品を作っている事業者さんの利用が一つ目のステップだとは思っていたんですが、ほぼ同じタイミングでBtoBの事業者さん― しかも、特別じゃない、普通の事業者さんが普通に使ってくださっていたんです。

一戸:

PMFを感じたと同時に、市場の大きさやポテンシャルも感じられたということですね。

中山:

さらにほぼ同時期に、飲食店さんに使われたことも大きなターニングポイントでした。飲食店がオープンする前に会員権を先行販売するという使い方です。それで、商品だけでなくチケットも先に売れるなと気付きました。タイミングとしては2015年くらいで、この頃にようやく事業の方向性が定まり始めたかなと思います。

非合理性とバリュープロポジション

一戸:

これも一つの事業の方向性を表している施策なのかなと思うのですが、『Makuake』は全ての案件にプロのキュレーターさんをアサインされていますよね。それは一見、非合理な意思決定に見えなくもないと思うんですけど、その背景などをお伺いしてもよろしいですか?

中山:

僕たちは何のスポーツをやっているんだろう?と定義した時に、「作る前に売る」ということを可能にしているんだと思っています。それを実際にやってみてわかったのが、「作る前に売る」ために必要なサポートというのがいくつかあるなということです。まず、実績も口コミも全くない商品なので、しっかりと魅力を伝える必要があるということ。それがないと、ページを訪れても買わないんですよね。そうするとせっかくの集客が無駄になってしまうので、ここはしっかりとコンバージョンレートを上げなくちゃいけない。次に、実際に作れるかどうかの蓋然性を担保する必要があるということ。普通の小売りであれば注文があったら在庫を売りますが、僕らは「作る前に売る」ので、買われた後に確実に作られて届けられるかということを誰かがチェックしなきゃいけない。それはプラットフォームがやるべきだと考えています。そしてもう一つが、商品のページにしっかりとユーザーが訪れてくれる仕組みを作るということ。この三つを用意しなければ、「作る前に売る」という商行為は成り立ちません。その難所をディレクションするために、キュレーターという役割をつけました。

一戸:

先ほどの手数料率の話とも重なるんですが、例えばそのキュレーターさんをアサインしない代わりに手数料率を下げるような別のプランを検討したこともありましたか?

中山:

ありました。でも、そこで歯止めになったのが、消費者側の体験でした。消費者さんは大切な自分の時間を使って『Makuake』を見てくれているのに、よくわからないものが混ざっていたりつまらない商品ばかりだったりしたら、どんどん去っていってしまいますよね。その体験は確実に抑えなければいけないと、歯止めがかかった感じでした。

チームがビジョンを求めたタイミング

一戸:

そういった意思決定においては、企業文化の形成やビジョン・ミッションの策定・浸透といったところがすごく重要になってくるかと思うんですが、そのあたりについてもお聞かせください。初期メンバーというのは、ほとんどサイバーエージェントのメンバーだったんですよね?

中山:

はい、ほぼ100%がそうでした。

一戸:

そういう意味では、企業文化もサイバーエージェントに似ていたんでしょうか?マクアケならではの文化形成みたいことを意識し始めたタイミングやきっかけはあったんでしょうか?

中山:

当時のサイバーエージェントは、社会のために何かをするといったことをあまりおおっぴらに言う文化ではなかったんです。新しい産業を作っていくというメッセージの方が強かったかなと。その中で、僕自身のタイプもそうなんですが、「社会のために」というメッセージを恥ずかしげもなく大きく発信していたので、そのビジョンや社会的価値みたいなところに共感して入ってくるメンバーが多かったです。サイバーエージェントの中でも、そういうところに思考の軸足を置いた、そういう意味では元々独自のカラーのあるチームでした。

一戸:

先ほどの手数料率のお話やキュレーターさんの質の高いサポートのお話などはすごくマクアケらしい意思決定だと思いますし、このあたりはやっぱりその初期メンバーの想いが反映されたものだと思うんですが、そういった想いをしっかりと言語化したタイミングはあったんでしょうか?

中山:

50名か60名くらいになった時だったと思います。創業期から入ってくれていたジュニア社員から、「(事業が)今どこに向かっているかわからないです」みたいな言葉が出てきたんですよ。いろんな人がいろんな言葉でビジョンを語っていて、何が軸なのかわからないと。たぶんみんなの見ている絵はふわっとは同じようなものなんだけど、それを表現する言葉の幅がちょっと広くなりすぎてしまっていたのかなと。それで、ビジョンを言語化しなければと思いました。
 また当時、クラウドファンディングという言葉をもう社内で使うのを止めようというタイミングでもあったんです。マーケットフィットの兆しが見えてきて、自分たちがやろうとしていることはクラウドファンディングというキーワードとはダイレクトにリンクしないよねという流れはそのしばらく前からあったんですが、本格的にそうしようとした時に反対意見もたくさんあったんです。それで、これはもっと上位概念を定義しなくてはみんなが同じ方向を向けないなと感じました。

一戸:

今振り返ると、もっと早くやっておくべきだったと思いますか?

中山:

いえ、ちょうどいいタイミングだったと思います。みんなが心の底からビジョンの必要性を感じていたと思うので。

自分なりのマーケター感覚を失わない

一戸:

それでは最後に、中山さん個人についてもお伺いしたいと思います。まず、中山さんは特に創業期にベンチマークしていた経営者の方などはいらっしゃったんでしょうか?

中山:

身近なところではやっぱりサイバーエージェントの藤田社長です。あとは、サイバーエージェントを一緒に創業された日高さん。あとは西條さんですね。サイバーエージェントの幹部役員のスタイルはすごく見ていました。恵まれた環境でしたね。それぞれが全く違うスタイルを持っていて、すごく勉強になりました。

一戸:

特に意識したり真似したりしたポイントはありますか?

中山:

特に日高さんは、いろんなメンバーが大ヒットゲームを当てまくる環境を作られていたので、そういう、メンバーの主体性ドリブンでどう自分以上の成果を上げさせていくかというチーム作りは、すごく真似しました。藤田社長の絶妙なバランス感覚というか、勝負どころでアクセル踏むという姿勢もすごく意識していました。あとは、クラウドワークスの吉田さんも横目で観察をしていましたね。クラウドワークスはCAVの投資先だったので、アドバイスをいただける機会もあったんです。

田島:

「挑戦者を増やす」という事業的な共通点も、両社にはありますよね。

一戸:

もう一つ、中山さんなりの経営者としてのセンスの磨き方や視座の高め方などがあれば教えていただけますか?

中山:

一つは、経営者の方にとにかく質問するということです。そういった時間と機会を頑張って捻出して、機会をいただけたらとにかく質問攻めにする。質問リストを作っておいて片っ端から聞いていくとすごく勉強になるし、すぐに取り入れられることもいっぱいあるので、やってきて良かったなと思いますし今でもやっています。もう一つは、マーケットに対する想像力をつけることです。僕はけっこう街を眺めます。例えば百貨店に行って、「ここにあるものが全部まだ流通前の新商品だったら、今ここを訪れてる人たちはどんな感情を抱くんだろう」みたいに、勝手にユーザー感覚を妄想して、違和感がないかをチェックしたりします。マーケティングの手法って色々あると思うんですが、僕なりのマーケターとしての感覚みたいなものを失わないようにしています。そのあたりが、事業作りのセンスに繋がるかなと思っています。

次回のゲストとお知らせ

次回のゲストは、中山さんにご紹介いただいたセーフィー株式会社 創業者の佐渡島さんです。皆さん、ぜひ楽しみにしていてください。

また、マクアケは現在積極的に採用活動を行っております。ご興味のある方はぜひこちらからチェックしてみてください。

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