INSIGHTS
INSIGHTS

【創業の軌跡】Vol.12 セーフィー/佐渡島 隆平

PODCAST

第一線で活躍している起業家の創業からの歩みについてお話を伺う「創業の軌跡」。第12回目となる今回は、セーフィー株式会社の創業者・佐渡島さんをゲストにお迎えしました。本稿は要約版になりますので、フルver.についてはぜひPodcastで聞いてみてください。

インタビュアー:ジェネシア・ベンチャーズ Investment Manager 一戸 将未

※本文中は、社名をセーフィー、サービス名を『Safie』と表記

周りにはやりたいことをやっている人が多かった

一戸:

創業の軌跡、第12回目となる今回のゲストは、セーフィーの佐渡島さんです。よろしくお願いします。
 では早速、簡単に自己紹介をお願いできますか?

佐渡島:

私は今43歳なんですが、大学生の頃に一度自分でサービスを立ち上げるという経験をして、新卒ではソニーグループのソネットというところに入って、ソニーグループの研究所からカーブアウトした会社に入って、その後、セーフィーという会社を起業して9年目になります。

一戸:

事業内容についても教えていただけますか?

佐渡島:

クラウドカメラで撮影した映像をクラウド上にアップロードして、集まってきたデータをもとに新しいアプリケーションを生み出すようなサービスを提供しています。これまでは防犯カメラとか、そういったリアルなモノが前提だった世界をクラウド化することで、より簡単に誰もが使えるものにしようとしています。特に最近は建設現場などでもたくさん使っていただいています。

一戸:

それでは、実際に創業に至るまでのお話をお伺いできればと思います。もともとご親族に起業されていたり家業をされていたりする方が多いというお話も目にしたんですが、そういった、起業が当たり前の家庭環境だったんでしょうか?

佐渡島:

実家が商売をやっているということもあったんですが、特に私は祖母の影響をすごく受けているんです。祖母はいつも「自分のやりたいことを実現しなさい」と言っていました。本当にアグレッシブなおばあちゃんでした。僕が「こういうことをやってみたい」と言うとすぐに電話を取って誰かを繋いでくれたり、僕が大学生の頃に「いろいろなWEBサービスを作ってみたいけどお金がない」と言った時も、保険の事業をやっていた祖母が「生命保険を売ってみたらどうか」と言って、ソニー生命のアルバイトを紹介してくれたりました。それでお金を作ってから自分たちでサービスを作り始めたという経緯があります。

一戸:

それではもうずっと昔から、起業するとか社長になるとか、そういった気持ちが潜在的に根付いてたんでしょうか?

佐渡島:

絶対に社長になるんだという強い意志みたいなものは全くなかったんですが、自分のやりたいことをどんどん実現していきたいなとは思っていました。
 その一つが、大学生の時に立ち上げた『Daigakunote』というサービスです。僕が当時一番欲しかったのが、学校のノートを交換できたり休講情報を共有し合ったりするようなコミュニティだったので、iモードができた瞬間に自分たちで作りました。関西一円の大学でビラを配って、数万人くらいの会員規模にまでなりましたし、事業として黒字化もしました。それはそれですごくおもしろかったんですが、でも、当時1999年とかってまだまだインターネットでサービスを作ることが簡単ではない時代だったので、あんまりスケールしていく実感はなかったんです。それで、鉄鋼のビジネスをやっている叔父さんに相談してみたら、「そういうちっちゃなお山の大将みたいなことは今後もいつでもできるじゃないか。人のお金を使ってちゃんと儲けることを覚えないと大きなビジネスはできないんだから、そういう勉強をしてみたら?」と言われて、納得しました。それで『Daigakunote』は友人に譲って、ソニーグループのSo-netという会社に就職しました。ソニーの看板を使ってインターネット領域で新しいことができるのがおもしろそうだなと思って。

一戸:

叔父さんへの相談をきっかけに、視座が上がったんですね。

佐渡島:

スタートアップとして、また、今は上場企業として、VCやいろいろな方のお金を預かって事業をスケールさせるということをやればやるほど、今考えてもその叔父さんの一言は深いし大きかったなと思います。

一戸:

そういった、実現したいことや経営について身近な人からすぐに助言をもらえるという環境は、やっぱり少し特殊ですよね。

佐渡島:

身近にやりたいことをやっている人が多いというのはそうかもしれません。僕のいとこは佐渡島庸平という編集者で、漫画や文学の世界で仕事をしてるんですが、彼も僕と同い年でおばあちゃんから同じようなことを言われていました。「好きなことをやりなさい」と。そういう環境であったことは間違いないです。

自分自身が欲しいと思ったサービスで起業

一戸:

次に、事業アイデアの着想と、サービスの初期の全体構想などについてお伺いしたいと思います。元々セーフィーの事業アイデアはどのように思いついたんですか?

佐渡島:

僕はソニーグループのSo-netという、本業としてはずっとISP(インターネットサービスプロバイダ)事業をやっている会社にいたんですが、入社初日から「新規事業やってよ」って言われるようなすごく自由な会社でした。それで僕は、携帯電話関連でいろいろな事業を作らせてもらいました。今は上場企業になっているエニグモさんの創業初期のタイミングで出資・協業させていただいたりとかも。そういったいろんなことをやらせていただく中で、モーションポートレートという会社に関わる機会がありました。木原研究所というソニーの研究所があったんですが、そこの人たちが独立してできた会社です。木原研究所というのは、携帯電話やスマートフォンの中に入っているCMOSセンサーの基礎設計だとか、大昔で言うとプレイステーションの中のGPUの性能向上だとか、そういったすごく尖った画像処理系の研究をしていた所だったんですね。僕はその技術をもっと深く知りたいと思って、そちらに移動して事業開発みたいなことをやってたんです。そのうち、2012年ぐらいにディープラーニングが出てきて機械学習がどんどん重要になってきました。それまでの画像処理技術は、優秀なプログラマーがセンスのあるプログラムをすることで発展してきましたが、そこが急激に、大量のデータを集めて筋のいいアノテーション(ニーズに合った意味づけ)をしてあげると勝手にアルゴリズムが出てくるという世界に変わったんです。それを目の当たりにして、「これはすごい世界が来るぞ」という肌感がありました。
 そんな中で、たまたま自分の家を建てたときに防犯カメラという概念を初めて知って、実際に見積もりを取ってみたらスペックの低いカメラがかなり高額だという事実を知りまして・・。だったら、GoProみたいなカメラを簡単に壁に取り付けるだけで勝手にデータを取得・分析して賢くなるようなサービスができないかなと考えました。きっと自分だけじゃなく、たくさんの人のニーズがあるだろうなと。セーフィーのコンセプトである『置くだけポンで賢くなるカメラ』というのは、その頃から今もずっと一貫しています。それで早速、社内プロジェクトをスタートさせました。当初はソニーグループでやる案もあったんですが、ソニーは何年も先のロードマップも決まっているハードウェアの会社。一方で僕らがやろうとしていることはガジェットみたいな世界。そこの時間軸にズレがあったので、外に出ることにしました。社長の吉田さんと十時さんは私の昔の上司だったので、「僕ら独立するので、お金を出してくださいよ」とお話ししたら「いいよ。勝手にやりなよ」と言われてできたのが、今のセーフィーなんです。
今の自分たちがあるのは本当にソニーのおかげです。普通だったら、ソニーグループの子会社でやりなよってなりますよね。でも、さっきお話ししたエニグモさんとか、エムスリーさんやディー・エヌ・エーさんといった本当に大きなスタートアップがソニーグループの中からたくさん生まれていたので、「その事業をやる人が一番やりやすい方法が一番伸びる」ということがグループの考えとしてあったんですよね。最初のシードラウンドで一億円を集めようとしてソニーに相談した時も、「全額出すこともできるけど、途中で事情が変わったら君たちが困るよね。だから半分は自分たちで集めてみなさい。そうしたら半分出してあげるよ」と言っていただいて。そういう形でスタートを切れたことは本当にラッキーだったと思いますし、すごく感謝しています。

三人の思いが重なったプラットフォーム構想

一戸:

佐渡島さんのいろいろな記事を拝見する中で、「自分たちはオープンなプラットフォームを志していたからこそ、ソニー(というメーカー)の中でやっていくことは考えなかった」というお話もあったと思うんですが、初期段階からオープンなプラットフォーム構想というのは緻密に描かれていたんですか?

佐渡島:

そうですね。僕と、元々R&Dの木原研究所にいた下崎と、世界で初めてソニーがGoogleと一緒に開発したGoogleTV(AndroidTV)のプロジェクトをやっていた開発者である森本、(セーフィーの創業メンバーであり現役員でもある)この三人それぞれのアイデアや思いがプラットフォーム構想にすごく寄与しています。僕はもともと単純に「自分の家の防犯カメラを作ろう」というユーザー発想だったんですが、森本は巨大プラットフォーマーであるGoogleでテレビを作っていて、プラットフォーマー(Google) or NOT(ソニー)というジレンマがあったようなんです。「プラットフォーマーになれば自分たちはもっと世界を切り開けるのに・・」という。僕らって大体2002-2003年にソニーグループに入社したので、失われた10年と言われる赤字の世界をずっと生きてきて、しかも全然世界を取れずにボロ負けしていく電気メーカーの中にいたので、やっぱりプラットフォーマーになりたいという思いがありました。下崎はもともと研究開発をやっていたので、「いろんなモノに知能が入っていたらおもしろくない?」という発想の持ち主でした。それで、カメラメーカーが使っているLinuxのアプリケーションを軽くして、クラウドドリブンのOSとしてアプリを配って、簡単にクラウドシステムやリカーリングシステムが立ち上がる形にしちゃえば、物売りから脱却したいと強く考えているメーカーは乗ってきてくれるのではと考えたんです。三人の間で、そうして映像をプラットフォーム化していこうという考えがまとまったのが最初のポイントだったかなと思います。

一戸:

単にプラットフォームというキーワードを掲げただけではなく、ソニーでの苦い経験やお三方の思いを踏まえて、「なぜプラットフォームなのか」というところにしっかりと理由を持たれていたんですね。

佐渡島:

一つのハードウェアで成功するなんて絶対的にあり得ないと思われていたところを、逆の発想で、すでにコモディティだったハードウェアをハックしていこうと考えたんです。ありものの中にアプリケーションを入れていくことで新しい世界ができるんじゃないかと。メーカーでは絶対にできないけれどWEBの会社だったらできると。ただ、最初からWEBだけの会社としていきなりハードウェアに入れるファームウェアを提案しても採用できないのは当然だと思うんです。そこを僕たちは、ちょうどいいとこどりをできたかなと。

耐えた4年間と顧客の「ジョブ」の発見に至るまで

一戸:

次に、事業についてお伺いします。今の立ち上げのお話から約4年くらいストラグルしていた期間が続いたとか、最初に作ったクラウドカメラも不具合が多く使えなかったとかといったエピソードも目にしました。そのときのメンタリティというか、心が折れそうなときにどんなことを考えていたか、チームでどんなことを話していたかって覚えていらっしゃいますか?

佐渡島:

最初に作った機種が数千台、なかなかネットワーク(Wi-Fi)に繋がらないという厳しい状況でした。最初に調達した一億円も、もう半分以上が飛んでいる。そのときにどう思ったかというと、我々はメーカー出身者でハードウェアの難しさは知り尽くしていると思ってたんですが、やっぱり初めて作るものは難しいなということですね。苦節4年くらいかけてやっと出荷が一万台、ARRが一億円に到達するところまでいきましたが、それまではほとんど売上が立たない状態でした。でも僕らとしては、映像をプラットフォーム化してお客さんが欲しいタイミングで新しいアプリケーションが生み出されるという世界は絶対に来るって強く確信していたんです。ハードウェアは、工事などのリアルの問題がものすごくたくさんあって、それらを全部乗り越えないとやっぱりスケールできないところがあります。でも、僕たちはやっぱりソフトウェアとUXをめちゃくちゃ良くしようとしていたので、仮にハードウェアが無理だったとしても、他のハードウェアと繋がっていくことができれば必ずどこかでスケールするタイミングが来ると信じていました。
 あとは、僕たちのサービスはもともと家用のカメラで、最初は『Makuake』でクラウドファンディングもしてたんですが、なかなかうまくいきませんでした。実はセーフィーがすごくスケールしたところは建設現場なんです。ものすごく綺麗に映るからといって、お客さんがLTEのルーターとカメラを無理やりプラスチックのボックスに入れて使おうとしたりしていた。それくらい、建設現場にはものすごい苦労と“不”があったんです。でも当時のLTEって携帯の電波なので、一日2GBとかのパケット制限がある。うちのカメラってすごく綺麗に画像を出すので、一日の通信量が5GBとかかかる。それで、僕が古巣のSo-netに上り回線用のSIMを発行してもらったりということをしていくんですけど・・。ここでさっきの質問にお答えすると、お客さんの現場に何らかの不が見つかる、それを自分たちの技術で解決できる、そういうことが起こったときにホッとするというか楽しいという感覚を覚えました。それで、家用なのか建設現場用なのか、何のカメラを作っているのか途中でわからなくなってくるんですが、それでもお客さんのことを一番に考えて向き合い続けていたら、PMF(Product Market Fit)のためのスケールを“しない”ことを徹底しようという気持ちになりました。もうひたすらに、どうやったらお客さんの不を解決できるかに向き合うことが楽しかったんでしょうね。
 よく言われるんですが、僕たちはお客さんの「ジョブ」を見つけられたのがすごく大きかったです。結局、自分たちはずっとカメラを売っていると思ってたんですが、まず建設現場の方たちは、鉄筋のピッチが綺麗に見えることで現場に行かなくても施工管理や安全管理ができるということを求めていた。牧場の方たちは、真冬の牛のお産をこたつで見られるということを求めていた。カメラではなくて、お客さんはその日常の中にある不の代替・解消手段としてセーフィーを使ってくださっているんだなということがわかってきて、それからはいろいろな用途開発に向かえたという感じです。

選択と集中は、順番が大事

一戸:

佐渡島さんがとある記事で「スタートアップにおいては選択と集中が大切だとよく言われる一方で、セーフィーは、特にPMFまでは選択と集中をしてこなかったからこそ成長することができた」とおっしゃっていたのが印象的でした。このあたりはいかがでしたか?

佐渡島:

集中⇒選択だと思っている人がすごく多いと思うんですよね。でも、選択⇒集中なんです。要は、選択⇒集中ということは、たくさんの中から選択して集中してでかくするということ。例えば、VCの方もよくトラクションの話をされると思うんですが、そのトラクションが本当に意味のあるトラクションかどうかは正直わからないじゃないですか。それって僕らも半分はわからない。だって、家用のカメラだと思ってたけど実際には建設現場に入っていて、しかも何百万という小売りの店舗数に比べたら建設現場なんてたかだか一万とか。
 でも、なぜヒットしたのかを深く追いかけていくと、ちゃんと理由があります。僕らの場合、PMFが見えてきたタイミングというのは、建設現場のお客さんが図面をタブレットで持つようになっていたタイミングなんです。飲食チェーンでのヒットも同じです。タブレットでオーダーする仕組みがすでにあったんです。僕らは最初、賃貸のアパートにカメラは絶対にウケると思っていたんです。なぜなら、オーナーさんが遠隔で管理や防犯をしなければいけないから。むしろそのニーズの方がマーケットが大きいと思っていたし、論理的にも適うと思っていた。でも、実際に意思決定をするオーナーさんはインターネットで何かをするなんて考えてもいない。そうなると、管理会社もオーナーさんにそういう提案はしない。当時は、ですよ。つまりは結局、お客さんがシームレスに使えるリテラシーが必要だというところに僕らは気付かなかったんです。かつ、労働集約型のお仕事の場ということがたまたまヒットポイントでした。今考えればそうだったと言えますが、当時ロジカルに当てられた人がいたかというと、なかなか当てられないと思うんです。そういう意味で、いろいろなところをやってみて、その上で自分の納得する選択をして集中していくことによってスケールするんじゃないかなと思います。

一戸:

以前にPKSHAの上野山さんに伺って印象的だったのが、「事業には大きく二つのフェーズがある。一つが集中フェーズで、もう一つが探索フェーズ。それが交代で来る」というお話でした。それを今思い出しました。これは僕の持論でもあるんですが、特にシードステージのスタートアップにおける一つの大きなKPIは仮説の数だと思っています。例えば、ABCの選択肢があったらその中で決めちゃいがちですが、実はDとかEの方が伸びる可能性が高かったり有望だったりすることもある中で、初期段階でどれだけその仮説を用意できるかが重要だと思うんです。それはまさに探索の中じゃないと気づけないというか、ロジカルには辿り着けない部分でもあるかなと。なので、今のお話はすごく普遍的だと感じました。

新しい市場だからこそのプライシング

一戸:

次は、値決めについてお伺いしたいです。クラウドカメラというのは新しい市場ですよね。そうなるとやっぱり値決めが難しい。どうやって価格を設定したか、そのあたりのことは覚えていらっしゃいますか?

佐渡島:

一番最初はもう、僕が家用として欲しいかどうかでした。まずは徹底的に、自分たちが欲しいかで決めました。でもやっぱりBtoBのときは難しかったです。最初は録画期間で、7日なら1,200円、14日なら2,400円みたいにしたんですが、全然売れなくて。それで、もうこれは「売れた金額が正解だ」と決めて、1万円くらいにしていた30日録画を2,000円くらいにしました。論理的な積み上げも加重平均もない。お客さんが欲しいか欲しくないか、以上、みたいな。

一戸:

ともすると安くしすぎちゃう懸念はなかったんですか?

佐渡島:

そもそも市場自体がなかったわけですが、それでもマーケットのシェアを取らないと話にならんので、安いか高いかよりも欲しいか欲しくないかで完全にシェアを取ろうと決めました。シェアを取っちゃえば、値上げする選択肢もあるわけじゃないですか。逆に『Safie Pocket(セーフィー ポケット)』なんかは月々2万円くらいのレンタル料金をいただいて、売り手の人たちがしっかりとインセンティブが取れる値決めをしています。モノやターゲット、売り手よしの市場か買い手よしの市場かとかによって値段の幅って全然違うと思うので、やっぱり売れるものが正しいんだと信じて設計しました。実は『Safie Pocket』の値決めは、僕と営業部長とでめちゃくちゃ議論したんですよ。僕はスマホくらいの月額料金を提案してたんですが、部長はもっと高くても売れると。それで結局はオープン価格でと約2万円強で出したら、ものすごくヒットして。自分の思い込みじゃいけないなとすごく感じました。

「柱から採る」採用

一戸:

次に、組織についてお伺いします。特に、最初の10名の採用について。創業メンバーが三名から大体10名前後くらいまでの採用について、どういう人を採用したのか、採用する上で意識していたことや失敗などをお伺いしたいです。

佐渡島:

最初の3-4年は本当に全然売上がなかったので、それこそ10人くらいでずっと過ごしていました。三人で創業したことは失敗でもあり良かったことでもありという感じです。失敗だったと思うのは、僕たちは三人とも友達がそんなに多い方じゃなかったので、リファラル採用がなかなかできなかったことです。しかも、前職繋がりの知人でソニーという大企業勤めとなるとなかなか来てくれないですよね。ただそれでも、最初の二人は前職で一緒に働いていたエンジニアとデザイナーが来てくれました。まずはプロダクトを作らないといけないので、とにかく何かを作れる人を採用するというのがミッションで、僕はそれ以外の経理も総務も人事も営業も全部やってました。
 採用においては、「柱から採用する」ということをすごく意識していました。見ていたのは、スキルフィットというよりもカルチャーフィット。その効果か、人が入れ替わり立ち替わり辞めてしまうみたいなことはなくて、創業から7年半、250人くらいでIPOしたんですが、辞めた人は累計20人もいないと思います。とにかく「自分ごと化してくれる人」を採ろうと、「ここを自分の会社だと思うか?」と何度も何度も聞いてました。うちに来てほしいと伝えるんじゃなくて、自分たちの状態を全部さらけ出した上で、「こんな泥沼でも一緒に駆けずり回りたいと思うか?」と。それくらいの気持ちを持ってもらえないと、たぶん耐えられなかったと思うんですよね。

一戸:

ある程度働いてからだったら自分ごと化って比較的できるかなと思うんですけど、正直、働く前の段階でそれを問うのってかなり高度な投げかけだなと思いました。皆さん「はい」って言えるものですか?

佐渡島:

僕らって、いつまでに入社してくださいって言ったことが一度もないんです。つまり、その人が入りたいと思えるタイミングで来てほしいということです。例えば、30人目くらいで人事のメンバーを採用しようとしたんですが、その方も一年くらい考えてから来てくれました。本人が納得したときが吉日だと思うので、それまで待ちました。

一戸:

「柱から採用する」という方針はどういうきっかけで意識し始めたんですか?

佐渡島:

僕たちは、創業メンバーの三人が100%納得するまで採用しないという方針を持ってたんです。価値観が全然違う三人が納得しなければ採用しないとなると、当然ですがすごくハードルが上がるんです。そういう意味では、三人が納得できる人となると、単に営業やプログラミングのスキルがあるとかよりも、やっぱり対話力がある人を採用していました。

妄想の言語化とおもしろさの重要性

一戸:

セーフィーが掲げられている『7つの価値観』ってすごく特徴的なカルチャーだなと思ったんですが、この言語化はいつされたんですか?

佐渡島:

三回くらいのリバイスを経て、今の言葉になりました。以前はもっと違う表現だったんですが、最終的には2019年に今の形に落ち着きました。最初は、社員数が60-80人くらいになっていくフェーズで、みんなの働く意味みたいなもの言語化しようというところから始めました。しどろもどろに働いているときって、バリューもしどろもどろになるというか、泥臭くしかできないと思うんですよね。僕たちは、ちょうどスケールが見えてきたタイミングで、創業期とスケール期と未来という三象限を切って、「映像から未来をつくる」というビジョン(未来)を実現するために創業期を振り返って、目指すチーム像みたいなものをPDCAのサイクルに落とし込んで、バリューとして言語化したという経緯です。

一戸:

組織においてカルチャーが重要だということは元々認識されていたのか、それとも学習されたのだとしたらどのようにインプットしたんでしょうか?

佐渡島:

まず大前提として、ソフトウェアの会社って、誰かの妄想をプログラミングして具現化していくわけじゃないですか。ということは、その妄想をみんなが信じられる言葉やストーリーに落とし込まないと、一つの目的に向かえないですよね。なので、想いの言語化は非常に大事だと思っていました。2030年に「映像から未来をつくる」という状態を実現しているとしたら、まずは一台の防犯カメラをクラウド化する、次にクラウド化したものをSaaSにする、そしてそのSaaSをプラットフォームにする、みたいなことを全部細かく区切り直して、未来の姿と現在地点をロードマップにしている。そこはけっこう論理的に構成してるんです。
 どこでビジョンやカルチャーの重要性に気づいたかと言うと、それはちょっとわかりません。言語化の過程で作ったカルチャーブックは、それこそ庸平(先述の佐渡島 庸平氏)にも入ってもらっていろいろ意見をもらいました。そもそも歴史って、勝った人がおもしろく編纂したものじゃないですか。事実かどうかはまた別。だから、時系列で真面目に編纂するものじゃなくて、読み手としてのおもしろさも意識して作りました。

事業という最大の魅力を伸ばし続ける

一戸:

離職率の低い組織を作られているというお話でしたが、その中でも、特にPMF前後などで、マネジメントに苦労したタイミングなどはあったりしましたか?

佐渡島:

何度もありました。バリューを作った2019年ぐらいにもバラバラになっていた感覚はあります。IPO後の今は、どんどん新しい血を入れていこうというフェーズですが、フェーズが変わるようなタイミングでは、なんとなくみんなの“不“が重なる瞬間がたしかにあるなと感じます。それを繋ぎ止めるという意味では、やっぱり社長が最後までしっかりと話すことも大事だと思います。できる限り、辞めていく人とよく話してお互いの方向性を確認して、結果的にうちを離れた方が良さそうであれば応援するという関係性を作る。次の会社を紹介したりエンジェル投資したりもします。お互いがどんな生き方をしたいのかを話しながら最適解を探っていくということは、した方がいいんじゃないかなと思います。

一戸:

それはずっと意識していたことなのか、どこかでそういうマインドセットに切り替わったのかでいうとどうですか?

佐渡島:

言語化はしていないですが、仲間を大事にするということは僕らの根底にずっとあると思います。やっぱりスタートアップって最初は何者でもないので、例えばそこで働いていた人が中途半端に辞めちゃったら、その人の履歴書にキズがつくじゃないですか。それって本当に迷惑だなと思っていたので、仲間はちゃんと大事にしようと創業期から意識していたと思います。

一戸:

先ほどのお話で、前職のソニーという大企業から採用できた人もいたというお話がありましたが、それはなぜなんでしょうか?創業期のセーフィーのどこが魅力的に映っていたか、思い当たることはありますか?

佐渡島:

それはまさにビジョンとか会社の目指す姿だと思います。それを一緒にやってみたいと思う人を増やしていきたいです。会社によっては社長のカリスマ性が魅力な会社などもあると思うんですが、うちは決してそうではないので、会社や事業の目的に共感してもらったり一緒に実現したいと思ってもらったりすることが持続的成長に一番繋がるんじゃないかと思っています。なので、できる限り事業の魅力度を上げていく。それはお客様であったり成長性であったりパートナー企業の良さだったりTAMだったりすると思うんですけど、最終的にはやっぱり自分たちのを作ったものが支持されるかどうかなので、良いプロダクトをお客さんに届けることに集中することに尽きるんじゃないかなと思ってます。

「最後までやる」ということしかできない

一戸:

最後に、佐渡島さん個人についてお伺いしたいと思います。いろいろなエピソードをお伺いしていて、佐渡島さんの粘り強さを感じました。創業後に約4年ほど売上がない状態で事業を続けてこられたということもそうですし、奥様にずっとプロポーズし続けていたというエピソードもどこかで拝見したことがあります(笑)。その粘り強さの由来で思い当たることはありますか?

佐渡島:

自分の強みってあんまり感じたことがないんです。だから、自分ができることって最後までやることぐらいなのかなと。リスクを取ったら責任が生まれるので、だったら最後までやってみようという気持ちというか。それくらいしかやることがなかったっていう感じはするんですけど・・。

一戸:

幼少期や学生時代を振り返って、そうした粘り強さの大事さに気づいたエピソードなどはありますか?

佐渡島:

そんなにないです。大学のときにサービスを立ち上げた話をしましたが、僕が一番こだわっていたのってビラ配りなんです。要は、何かいいものを作って満足する瞬間って絶対にあるじゃないですか。でも、すごくこだわって何かを作るってほぼ趣味ですよね。作ったものをお客さんに届けてこそ、売上が上がって稼げるわけじゃないですか。だから、自分の作ったサービスを何とかお客さんに届けようと、毎日毎日ビラを配ってたんです。ここの大学を落とせば他の大学の学生もきっと群がってくるだろうみたいな仮説を立てると、絶対にやりたくなっちゃうんですよ。それは今も同じで、ちゃんとターゲットを決めて、そこに一点集中してる感覚です。

これからも未来のインフラを作っていくために

一戸:

会社の創業期、ベンチマークしていた経営者っていらっしゃったりするんですか?

佐渡島:

僕が一番好きな経営者は、阪急電車を作った小林 一三さんという方です。阪急電車は関西にある電鉄会社なんですが、梅田に百貨店を作って、荒野に線路を引いて、その果てに宝塚歌劇団を作った。その宝塚歌劇団の脚本も自分で書く。そして、宝塚周辺を不動産デベロップしていく。そんなビジネスをした人です。すごくクレイジーな感じがするじゃないですか。そういうオリジナルのコンテンツで勝負して、今はそこにない世界を作っていくのってすごくかっこいいなと思っています。それがインターネットにも繋がるかなと。

一戸:

その方からの学びが実際のご自身の経営の中で活かされたことってあったりしますか?

佐渡島:

リアルな世界を全部映像によってデータ化していくことって、いわゆるメタバースというか、インターネット空間に住むという発想のその先の、リアルな空間をインターネット化していくという世界観じゃないですか。それって、まだ誰もやりきっていないことだと思うんです。つまり、インフラの事業をやっているという感覚なんです。インフラを作るのってすごくおもしろいし、僕たちの会社をデータのインフラ企業にしていきたいという気持ちはそこから来ているのかなと思います。

一戸:

事業のコンセプトというか構想のところで大きく影響を受けているんですね。
 佐渡島さんが経営者として、センスを磨いたり視座を高めたりする上で、特に意識していることってありますか?

佐渡島:

いろいろな人と会っていろいろな話をすることは、やっぱり自分のアンテナを高くしてくれますね。経営者だけじゃなくて、例えば小学生の息子もそうだし、その友達もそうだし、若い子たちとたくさん話すことは次の時代を見るためには一番必要なんじゃないかなと思います。

一戸:

経営という視点だけではなくユーザー感覚を持つという意味でも、そこはすごく重要なポイントですよね。
 本日はありがとうございました。

次回のゲストとお知らせ

次回のゲストは、佐渡島さんにご紹介いただいたスマートドライブ 創業者の北川さんです。皆さん、ぜひ楽しみにしていてください。

また、セーフィーは現在積極的に採用活動を行っております。ご興味のある方はぜひこちらからチェックしてみてください。

※こちらは、Podcast公開時の情報です

BACK TO LIST