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【創業の軌跡】Vol.8 ツクルバ/村上 浩輝

PODCAST

第一線で活躍している起業家の創業前後からPMF辺りまでのお話を伺う「創業の軌跡」。第8回目となる今回は、ツクルバ創業者の村上さんにご出演いただきました。本稿は要約版になりますので、フルver.についてはぜひPodcastで聞いてみてください。

出演者
・ツクルバ/村上浩輝
・ジェネシア・ベンチャーズ/鈴木隆宏一戸将未

自己紹介

一戸:

村上さん、簡単に自己紹介をお願いできますか。

村上:

株式会社ツクルバ代表取締役CEOの村上です。よろしくお願いします。1985年生まれで現在36歳です。立教大学を卒業した後、元々リクルートのグループ会社だったコスモスイニシアという不動産デベロッパーに入社しました。半年ほどでリーマンショックの影響がありリストラされ、その後、ネクスト(現LIFULL)に入社し、そこで不動産業界向けSaaS型サービスの企画開発やマーケティング、営業など、何でも行いました。そして、東日本大震災があった年の2011年8月に、株式会社ツクルバを共同創業者の中村と創業しました。
 ツクルバを創業した後、コワーキングスペースの「co-ba(コーバ)」を自分たちでつくり、そこを拠点としてデザイン受託事業を行っていました。当時はグッドパッチの土屋さんたちと意見交換などもしながら交流していました。われわれは空間寄りの仕事が多かったのですが、デジタル領域も含めたデザイン受託事業を行っていました。
 なので、スタートアップではなく、コワーキングスペースも運営しているデザイン会社という立ち位置でした。そこから、われわれが目指す先を考えました。つまり、偉大な会社をつくろうと思い起業したので、偉大な会社とはどのような会社かを考えました。偉大な会社とは、世の中に良い影響を与え、本当に世の中を変革している会社だと思います。そこへ至るためには全く成長スピードが足りないと考えていた際に、資本市場を使っていくというゲームのルールを知り、自分たちもそれにのっとってみようと考えたのが2015年でした。それはつまり、スタートアップになるということですが、気分的にはシリアルアントレプレナーのような、スタートアップを再び起業したような感覚でした。
 2015年に中古・リノベーション住宅の流通プラットフォームである「cowcamo(カウカモ)」をリリースし、そこからその事業を成長させ、2019年に東証マザーズに上場しました。

世の中は自分たちでつくることができる

一戸:

早速、創業に至るまでのお話をお伺いしたいと思いますが、村上さんの起業に対する思いはどのようなものでしたか。

村上:

最初のきっかけは、私が小学生のとき、父がパソコンを持ってきてインターネットに接続したことでした。Windows95が出たとき私は小学生で、パソコンやインターネットをインフラのように当然に使い始めていましたが、家で孫さんとビル・ゲイツさんの記者会見などを見て、これも誰かが作っているのだと思いました。
 当時言語化できていたわけではありませんが、世の中は自分たちでつくることができるんだ、誰かがつくってくれたものに乗るのではなく、自分がつくる側に回りたい、と思いました。その手段として、会社をつくるという方法があるらしいということは知っていましたが、社長になることに対する憧れなどは全くありませんでした。それよりも、自分がつくったサービスやプロダクトが世界中で使われているビル・ゲイツはすごいという感覚でした。そのような思いがあったので、いつかは自分で会社をつくるだろうと思っていました。

一戸:

新卒で入ったコスモスイニシアで共同創業者の中村さんと出会い、その後、村上さんはネクストに入社していますが、それから2人で起業することになった経緯を教えてください。

村上:

私は小学生のときの原体験があったので、何かをつくり、それを多くの人に使ってもらうために起業をするのだと思っていました。私はデザインが好きですが、何かをつくれるわけではないので、クリエイターと起業したいと思っていたときに出会ったのが中村です。
 彼は中学、高校は開成、大学は東京工業大学の建築学科でした。開成から建築学科に行くのは珍しく、建築学科から事業会社に行くのも珍しかったです。このように変わったキャリアを歩んでいたので、とても賢い反面、反骨精神的な部分もありました。そしてクリエイションができる人でした。そのような人と組みたいと思っていたので、組みたかった人と出会えたと感じました。

一戸:

2011年というタイミングは、何かきっかけがありましたか。

村上:

大きかったのは東日本大震災です。私はLIFULLにいましたが、それほど長くいるつもりはなかったので、ものすごく働いていました。短期間でもインパクトを残し、できる人だと思われて辞めたほうが絶対に得だと思っていたからです。それと、会社員で死ぬほど働けないのであれば、起業しても無理だと思っていました。しかし、そうすると結果が出るのでどんどん評価され、やりがいも出てきて、辞める理由がなくなっていきます。
 しかし東日本大震災があって、自分もいつ死ぬか分からないと本気で思いました。そうなると、いつかしようといってもきっかけは一生ないのだからすぐに起業しようと思い、2011年3月末頃、当時の上司に退職を伝えました。ただ、来月辞めますというのは不義理なので、半年後に辞めますと言いました。半年間で、担当しているプロジェクトのKPIなどは全て達成するので、応援してくださいと話しました。

“日本株式会社”の“不動産事業部”

一戸:

起業当初はco-baやクライアントワークを中心とした、今でいう不動産企画デザイン事業を行っていたと思いますが、その事業に至った経緯を教えてください。

村上:

われわれはVCなどを全く知らなかったので、資金調達という概念がありませんでした。なので、信用金庫から300万円を創業融資として借り、それを元手として事業を行うことになりました。そしてまずは元手がかからないデザイン受託事業を行うことにしました。
 さらに、オフィス代を払いたくなかったので、シェアすることにしました。シェアについては、コワーキングスペースという海外事例を中村が見つけてきて、これならコンセプト自体が面白く、オフィス代も他の人たちと共有するので無料にでき、また、ここをショールームとしてデザイン受託事業もできると思いました。われわれ自身もつながりが増えるので、一石五鳥のような感覚でした。自分たちの拠点としてco-baをつくり、co-baを拠点としてデザイン受託事業を行っていました。
 当時、クラウドファンディングのCAMPFIREが出たばかりで、初期の10プロジェクト目程度でco-baを出しました。それがIT界隈のアーリーアダプターの目に留まり、その流れでBASEの鶴岡さん、アカツキの香田さん、グッドパッチの土屋さんなど、現在、同世代で仲の良い人たちとつながることができました。
 その中で、スタートアップというイノベーションを起こす枠組みが面白いと感じ、自分は投資する側ではなく、投資される側としてそれを活用しました。

一戸:

2015年にcowcamoを立ち上げていますが、どのように事業アイデアを着想しましたか。

村上:

コワーキングスペースは家でもオフィスでもない第三の場所、サードプレイスです。オフィスはセカンドプレイスです。そして、もっとエッセンシャルかつ大きな市場を狙いたいと思っていたので、ファーストプレイスの家がテーマとしてはありました。
 何度も言っているとおり、私は多くの人に使ってもらえるサービスをつくりたいという思いがありました。より多くの人が関わるようなエッセンシャルな市場で、自分たちの強みを考えると、住領域だと思いました。そして、住領域の中で課題をいくつも出し、その中からアイデアを絞っていって残ったのがcowcamoです。

一戸:

大前提としては不動産を軸としていたのですか。

村上:

はい。ただ最初から不動産に絞っていたわけでありませんでした。しかし、世の中を知ろうと思って入社したコスモスイニシアがたまたま不動産業でした。それで私のキャリアが不動産領域からスタートしたので、ここを掘ってみようという感じでした。
 そこからITの会社に行きましたが、そこも不動産ITでした。そうして不動産業界の課題などが見えてくると、やるべきことがたくさんあると気付きました。“日本株式会社”に就職し、“不動産事業部”に配属されたから、will-can-mustのうちのmustにまずは取り掛かってみるかという感覚です。

事業はタイミングが全て

一戸:

他の事業案もあるなかで、どのような背景でcowcamoを選択するに至りましたか。

村上:

2015年にはリノベーションという言葉が非常に広まっていて、さらに広がっていくというのは業界の常識でしたが、まだ世間の常識ではありませんでした。インナーサークルの常識で、世間の常識ではない部分にはアービトラージがあると思います。そこで、今だと思いました。
 (起業家・エンジェル投資家の)有安さんはよくタイミングが全てと言っていますが、本当にそうだと思います。われわれがコワーキングスペースに参入したタイミングも良かったです。

大手競合の存在と、バリュープロポジションの磨き方

一戸:

cowcamoを立ち上げた当初、競合はいましたか。

村上:

ユーザー視点だと、SUUMOやホームズなどの不動産メディアのニッチ版という捉え方だと思います。そうすると、SUUMOやホームズと顧客体験を差別化していかないとcowcamoを利用する意味がありません。そこは、どのように軸をずらしていくかを考えていました。
 ポータルサイトをつくってもニッチなSUUMOやホームズになるだけなので、単純にそれらの何分の1かの売上にしかなりません。そうすると、縦に広げるしかないので、垂直統合的なビジネスモデルを考えていきました。ユーザーから見るとSUUMOやホームズなどのメディアが競合ですが、ビジネスモデルを考えると既存の不動産仲介事業者が競合になります。
 現在の言葉で言語化するのであれば、不動産流通業のDXのようなことをしようと思いました。D2Cなどと呼ばれますが、中間業者を減らし、end to endのプラットフォームをバーティカルにつくります。それは不動産流通事業のDXであり、デジタルリアルエステートエージェンシーです。

一戸:

プラットフォームの立ち上げ時は、サプライサイドかデマンドサイドのいずれかの獲得に注力するのが教科書的な立ち上げ方だと思いますが、cowcamoはどちらに注力していましたか。

村上:

不動産業界の定石としては絶対にサプライサイドです。売り物を集めたほうが勝ちます。不動産仲介もずっとそうでした。しかしわれわれはデマンドサイドから攻めました。あらためて考えるとクレイジーですが、買いたい人を徹底的に集めました。デマンドサイドを徹底的に集め、その後、現在はサプライサイドに着手しています。
 デマンドサイドを集めることができたのは、このビジネスの特徴としてサプライサイドに法人がいるからです。古い物件を仕入れて売ることを生業としている不動産事業者が数多くいます。そういった不動産事業者は物件を売ることができれば、相手は当時のわれわれのような小さなサービスでも構わないのです。
 そして、実はオープンになっている情報でも、cowcamoで見せ方を変えユーザー体験を変えることによって、まるでcowcamoにしかその物件がないような家探し体験を顧客に提供することができ、cowcamoでの家探しを楽しいと思ってもらうことができます。その物件は他社メディアにも載っていますが、顧客体験を変えることによってcowcamoで見るという習慣をつくりました。
 そして現在は、デマンドサイドが蓄積しているというのがわれわれのアセットなので、成約データなどのデマンドサイドのさまざまなデータを基に、サプライサイドにソリューションを提供しています。

KSFは、ユーザーに比較させないこと

一戸:

この物件はcowcamoにしかないと思わせるのが初期的なKSFの一つだと思いましたが、どのような仮説検証を経てそこに至りましたか。

村上:

KSFは徹底的に差別化した顧客体験を提供して、ユーザーに他サービスと比較させないことです。ユーザーに比較をさせず、それでデマンドサイドを蓄積していきます。
 ですので、SUUMOやホームズではビジネスモデルの構造上提供できない家探し体験をユーザーに提供することを考えていました。
 分かりやすく言うと、SUUMOやホームズは楽天のようなイメージです。場を提供し、そこにさまざまな事業者が参加し、出店しています。対するわれわれはZOZOTOWNに近いです。ZOZOTOWNは自分たちで写真撮影もしてコンテンツを作り、販売も流通もやるという点で、われわれの事業に構造上近いです。ZOZOTOWNはその中でもモデルの身長や着たときのイメージを見せるなど、ユーザーの服を買うという体験に特化したUI/UXを考えています。われわれも同じで、中古・リノベーション住宅を買う体験に特化したUI/UXになっています。

最初の成約までは半年以上

一戸:

そこからPMFを実現し、スケールしていったと思いますが、cowcamoの事業の特性上、購入頻度や購入までのリードタイムの観点でPMFを感じづらい側面がある中で、今から振り返ってみてPMFとして思い当たるタイミングなどはありますか。

村上:

PMFは後から見るとロジックで説明できますが、そのとき感覚的なものが大きかったです。私がいけそうだと思ってアクセルを踏めたのは、初期はほとんど広告費を使っていなかったのに、自然にユーザーが集まってきていたからです。これは口コミでの流入や、cowcamoのFacebookページにとにかく友達を招待して、そこにフォトジェニックなリノベーションの写真を載せることで、そこから問い合わせが来ていました。そのような中でもユーザー数が伸び続けていたので、これはニーズがあると思いました。資金調達などを行う中で、ロジック上、CACやLTVは計算していましたが、その数字を見てPMFを感じたことはありません。

一戸:

自然にユーザーが流入してくる様子を見て、最適なユーザー体験に近づいていると考え、アクセルを踏んでいったのですね。

村上:

はい。もっと言うと、SUUMOやホームズのほうが圧倒的に物件数は多いです。しかも当時は現在よりも狭くアクセスも悪いオフィスで、店舗もありませんでした。営業もかっちりした接客というイメージの営業マンではありません。それでも成約できていたわけです。

一戸:

最初の成約が出るまでは、cowcamoをリリースしてからどの程度かかりましたか。

村上:

半年以上かかったと思います。最初に反響(問い合わせ)があったのが1、2ヶ月後です。そこから3、4ヶ月は成約がなく、売上が上がりませんでした。ECのようにすぐに売れるわけではなく、問い合わせが来てから成約するまでバッファがあるのでもんもんとしていました。ただ、その間もユーザー数は増えていたので大丈夫だと考えていました。

コマースをメディア化する

鈴木:

私もカウカモは週3で覗くヘビーユーザーですが、いい物件はないかとついつい見に行ってしまいます。日本への一時帰国で滞在する期間が長くなりそうなときに、初めて購入がちらついて見始めました。しかしその後は、いろいろなリノベーション物件が見られるので、メディアとして楽しく見ています。勝手なイメージですが、cowcamoユーザーは何となく買おうと思っている人が何度も見に来るようなサービスになっているように思います。

村上:

見ていて楽しいというプロダクトのこだわりはチーム共通で持っていたと思います。当時、メディアコマースなど、メディアでものを売ることが流行っていました。私は逆で、コマースをメディア化するほうがあるのではと思っていました。メルカリは、買わなくても見ている人が多くいるという話を聞いて、われわれも同じだと思いました。
 プロダクトとしては家のECですが、目的は買うことだけでなく、見ていて楽しいこと、つまりECがメディア化しているということです。そのようなプロダクトは強いと思います。

鈴木:

サプライサイドは現在強化していると思いますが、中古・リノベーション物件を一度買った人は新築にいかない印象があり、大切に扱っていた中古・リノベーション物件をcowcamo経由で流通させ、また新しい物件と出会うようなサイクルが生まれるように感じています。実際にそのようなユーザー行動は既に発生していますか。

村上:

われわれが掲げていることは大きく2点あります。1点目は、ユーザーから見たときに、自分らしい暮らしが手軽に実現できる、手軽にそのような家が手に入る世界を実現しようということです。
 2点目は、社会から見たときの話で、適切に住宅が循環、流通していく社会をつくっていこうということです。サイクルは確かに長いですが、われわれのサービスで買って、われわれのサービスで売るということです。そして、二次流通マーケットがあるからこそ買いやすくなると思います。
 メルカリも同じで、メルカリができてから高級ブランドが逆に売れるようになったという話があります。10万円のコートを買っても、8万円で売ることができるからです。二次流通の価値が保証されています。
 この流れをつくることによって、ユーザーが手軽に家を買うことができ、社会の循環を生み出すこともできます。

最初の10名

一戸:

創業してから最初の10名をどのように集めましたか。また、cowcamoを立ち上げる際には異なる職種の方を採用する必要があったと思いますが、そちらの最初の10名をどのように集めたのかも教えてください。

村上:

ツクルバという会社では地続きですが、実質別の会社を立ち上げたようなものなので、最初の10名が2回あったイメージです。不動産企画事業では、スタートしたてで認知度も無い会社なので、共同創業者である中村や私の大学時代の知り合いなどを巻き込みました。
 cowcamoではスタートアップらしい集め方でしたが、これも最初はとにかく友人でした。アクセンチュアに行った私の友人を誘い、彼が慶應義塾大学の同期でグリーに行ったエンジニアの友人を呼んでくれたので、一緒に食事をして口説きました。あとはリノベーション業界の方に声を掛けたりすることで10人集まりました。
 また、10人強のタイミングで採用担当を入れました。人事も総務もいませんでしたし、経理も私と派遣の方で担当していましたが、採用は非常に重要だと思っていました。

一戸:

採用が重要だと思ったきっかけはありますか。

村上:

リクルート文化に触れているので、徹底的に採用にこだわった会社が勝つと思っています。

一戸:

特に初期の頃、採用で口説く際に意識したことはありますか。

村上:

多くの人に使われる素晴らしいサービスをつくりたいという、会社として目指しているところを話していました。
 事業のドメインとして、われわれのやっていることは、社会的に正しいという自信がありました。人々の生活にとっての負が大きくて、ユーザー価値が分かりやすいので、そこを徹底的に意義として伝えていました。

ミッションドリブンを貫く重要性

一戸:

cowcamoを立ち上げる際、別の会社を立ち上げるようなものだったというお話がありました。デザイン受託事業のメンバーからすると、自分たちが主役ではなくなるような感覚もあったかと推測していますが、社内から反対意見が出たり、メンバーが離れていったりするということはありましたか。

村上:

これはいい意味で、異なる2つの事業は分断して考えたほうがいいです。トップダウンで自社プロダクトをつくると言いました。なぜ今のままでは駄目なのかというと、われわれは偉大な企業をつくり、その企業が生み出すサービスが世の中を変える状態を目指しているからです。そのためにcowcamoを立ち上げ、これをトップダウンで断固としてやり切った感じです。
 当然、途中でメンバーが離れたりしたことはありました。ただ、われわれの目指す世界に行くためにはこれをしなくてはいけないので、ミッションドリブンを貫いたということです。

一戸:

一方で、不動産企画デザイン事業がcowcamoに生きてくる側面もあると思います。その上で、両事業部がコラボレーションしていくことが必要な場面もあったと推測していますが、もちろん一定のハードルはある中で、その辺りの設計で工夫したことなどはありますか。

村上:

シナジーを期待せず、生まれたらラッキーだと考えることです。先ほど言ったように、いい意味で分断します。シナジー前提で設計すると、しなければいけないという状態や、これは何のためにしているのか分からないという状態になります。ベースプランに盛り込まず、アップサイドケースとして考えることです。
 しかし、今だからこそこのように言っていますが、当初はシナジーがあるはずだと思っていて、色々と遠回りをしました。

一戸:

cowcamoを立ち上げてから数年の間に組織の壁はありましたか。

村上:

メンバー目線ではそういったこともあったと思いますが、私の記憶は都合よく(そんなに問題が無かったかのように)上書きされていると思います。笑
 初めて数年はまだ型化ができないフェーズなので、都度都度の問題に対処し、その度にあたふたしていたと思います。しかし、どのような問題が起きても、ミッションドリブンで、このミッションのために向かっているという正義を掲げ続ければ貫けると思います。社長に対する文句は数多くあると思いますが、そもそも何のためにしているのかというと、ミッションのためです。
 「ビジョナリー・カンパニー」でいう、自分に矢印が向いている人がエグゼクティブにいると大変です。社会にどのような価値を提供していくのかという、外にベクトルが向いている人をエグゼクティブに置くことはかなり徹底しました。その中で発生するスタートアップにとってよくあるトラブルは、初期の段階では特にミッションドリブンで突き抜けようという感じでした。

一戸:

創業期からこのような会社にしたい、このようなことをしたいという思い自体はあったと思いますし、一定の言語化もしていたと思いますが、明文化には一定の労力が必要になるかと思います。実際にそこに注力したタイミングはありますか。

村上:

2回ありました。1回目はcowcamoを立ち上げたときです。2回目は代表を交代したときです。
 私と共同創業者の中村は最初からここを目指していたので、cowcamoを立ち上げるのはピボットでも何でもない既定路線でした。それを新しく入るメンバーに対してもツクルバの歴史として明文化したいと思いました。それでcowcamoを立ち上げるタイミングで一定の言語化を行いました。それが以前のミッションやビジョン、クレドです。
 それから2021年に10周年を迎えるにあたり、組織改革と事業改革を行いましたが、創業体制から新経営体制に移行して、私が1人代表になりました。このタイミングで意識したことは、この会社と社長は何をすべきかという観点に立つことでした。これまでは自分がファウンダーで、何をしたいかというほうに寄っていました。
 具体的に言語化されているものではありませんが、何をしたいかではなく何を成すべきかを起点に考えています。

一戸:

ビジョンやミッションの捉え方は人それぞれですが、村上さんはそれらをどのように捉えていますか。

村上:

存在意義だと思います。何のためにこの会社は存在するのかというよりどころ、日々のマネジメントのよりどころです。存在意義であり、企業成長のよりどころになるべきだと思います。ポエムだけ語っても意味がありません。それは組織マネジメントや事業成長に寄与するものでないと、有効なものではないと思います。
 われわれの定義において、ミッションとは、変わらず目指していくものです。ビジョンとは、実際に具現化したい世界なので、もう少し目標らしいものです。それが日々の事業マネジメントや組織マネジメントに生かされています。それによって成果が出て、事業や会社の成長に結び付く背骨のようなものです。

”型無し”ではなく”型破り”であること

一戸:

村上さんは経営者としてのセンスを磨いたり視座を高めたりする中で意識していることはありますか。

村上:

私は経営の天才ではないので、型を知る必要があります。型を知らずに型破りになろうとするのはただの型無しで、形無しと型破りは全く違います。型を知り、それをアップデートして自分流にしていくのが型破りだと思います。
 既に経験している人に話を聞き、本を読み、それを徹底的に自分の中に入れることを意識しています。自分のやり方や思い付きに固執せず、柔軟に変えていきます。その中で自分の型ができてくると、ようやく崩せるようになると思います。
 視座の高め方としては、常に自分が一番下のコミュニティーにいるということを意識しています。

一戸:

自分より視座が高い人に囲まれるようにするということですか。

村上:

そうです。そうすると、自分はこれでは駄目だと考えることが当たり前になっていきます。

次回のゲストとお知らせ

次回のゲストは村上さんにご紹介いただいたアカツキ創業者の香田さんです。皆さん、ぜひ楽しみにしていてください。

また、ツクルバは現在積極的に採用活動を行っております。ご興味のある方はぜひこちらからチェックしてみてください。

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