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【創業の軌跡】Vol.9 アカツキ/香田 哲朗

PODCAST

第一線で活躍している起業家の創業前後からPMF辺りまでのお話を伺う「創業の軌跡」。第9回目となる今回は、アカツキ共同創業者の香田さんにご出演いただきました。本稿は要約版になりますので、フルver.についてはぜひPodcastで聞いてみてください。

出演者
・アカツキ/香田 哲朗
・ジェネシア・ベンチャーズ/鈴木隆宏一戸将未

自己紹介

一戸:

まず簡単に、香田さんの自己紹介をお願いします。

香田:

現在、株式会社アカツキというエンターテインメント会社の代表を務めている香田です。私は筑波大学出身で、人工知能や機械工学、システム工学等を学んでいました。
 私は大学在学中にシリウステクノロジーズでインターンを行い、卒業後はアクセンチュアへ入社しました。そこで1年間コンサルティング業務をさせていただき、2010年6月、塩田とアカツキを創業しました。一昨年、塩田がアカツキを卒業し、現在は私が代表を務めています。
 アカツキは創業してからしばらくソーシャルゲームと言われるガラパゴス携帯のゲームを開発していましたが、2013年頃から、スマートフォンのネイティブアプリのゲームの開発に転換しました。現在、日本では東京と福岡の2拠点、加えて台湾にも拠点があり、そこから世界中にゲームを届ける事業をメインに行っています。
 直近では、Web3特化ファンドやDawn CapitalというCVC等、エンターテインメントの新領域に挑戦するような事業にも積極的に力を入れています。

一戸:

筑波大学からアクセンチュアへ入社した背景を教えてください。

香田:

中高生の頃、二足歩行のロボットやエンターテイメントロボットが非常に脚光を浴びており、そこにエンジニアとして関わりたいと思っていました。
 しかし、産業としてこのような領域が立ち上がってくるまでにはもう少し時間がかかりそうだということが就職活動の中で分かりました。そこで、進路変更をして就職活動をやり直し、外資系メーカーやビジネス系の会社に入社し、修行をした後に起業したいと思っていました。

塩田さんとの出会い

一戸:

まずは創業に至るまでの香田さんについてお伺いします。塩田さんと創業したタイミングでは、香田さんの中で明確に起業したいという思いがありましたか。それとも塩田さんに誘われたことがきっかけでしょうか。

香田:

まず、私がアクセンチュアに入って1年ほど働いた時点で、非常に早いのですが、自分が長く勤めるには向いていないと思いました。起業については、3年ほど社会人を経験した後に行おうと思っていたのですが、飲み会などで、面白いことがあればやってみたいということは塩田に伝えていました。また、塩田はもともとDeNAにおり、モバイル全体の領域について、可能性や参入チャンスをとても良く理解していました。
 定期的に会って食事をしていたので、ブレインストーミングを行い、取りあえず起業してみようというライトなところから始まりました。しかし、やるのであれば魂を込めようということになり、名前もきちんと考えました。
 当時、私たちの世代では資金調達なども全く一般的ではありませんでした。また、大学を卒業してから1年しか経っていなかったので、学生のときの、何か面白いことをしようというノリの延長線上で始まりました。
 私と塩田は、学生のときにインターンで出会い、一緒に起業のことを話したり、当時の先輩の会社を手伝ったりしていました。それで、いつか起業しよう、起業するなら一緒にしようという暗黙の了解のようなものがありました。

一戸:

香田さんが塩田さんをパートナーに選んだのは、どのような点に惹かれたからでしょうか。

香田:

最初にワークスアプリケーションズの同期インターンで1カ月ほど一緒にプロジェクトを行いました。そのときから塩田は、経営に対する情熱や、会社をつくりたいという想いがありました。私は事業やアイデア、テクノロジー等に興味が向いていましたが、塩田は会社を軸として、もっと社会や中長期的な哲学に向いており、お互い、事業や組織にしっかり向き合っていたものの、タイプは違いました。
 一方、お互いに背を預けられるという観点で見ると、一番信頼できる相手だと思っていたので、いい組み合わせだったと思います。

一戸:

そのバランスの良さは、当初から既に感じていましたか。

香田:

はい。また、蓋を開けてみると、塩田は天才的なビズデブ、営業マンで、人的魅力度、エネルギーが非常に高く、人を巻き込むことが得意です。私は当初COOであったということもあり、基盤を作ったり実現可能性を高めていったりするという役割分担ができてきましたが、それは進めていくうちに定着していった部分です。

事業アイデアの着想

一戸:

次に、事業アイデアの着想について教えてください。

香田:

最初はモバゲーやGREEにコンテンツを出すコンテンツプロバイダーとして、ガラケーのゲームを作るところから始めました。長い目で見ると、スマートフォン、SNSといった大きな軸がある中で、日本独特のガラパゴスの中、一番参入しやすい領域としてそのマーケットがあると思いました。
 シリコンバレーで、GoogleやAppleなどで働いている方々と交流する機会があったのですが、そのときに、これからはモバイルだと分かりました。それで、帰ってきてからシリウステクノロジーズでお世話になり、ちょうどiPhoneが出たばかりの頃にアプリ開発などをさせていただきました。
 ただ、日本ではまずガラケーだと思い、そこから始めました。また、当初はここまでゲームをコアとして扱っていく構想ではなく、最初はゲームから始めて、さまざまなモバイルアプリの可能性を模索するつもりでした。
 私もそうですが、初めてPCやiPadに触れたとき、誰もが最初はマインスイーパーなどのゲームをします。ですからデバイスが普及するときに、ゲームは最初のキラーコンテンツになるという直感がありました。単品のコンテンツとして人を熱狂させる、人を動かすという力を持ちやすいのが、ゲームの強みです。

スタートアップとしての有利/不利を意識する

一戸:

モバイルに切り替わるタイミングでそのような地殻変動が生じることはあると思いますが、ゲームという市場で見ると、それなりの競合もいたと思います。そのような中で当時はどのように勝ち筋を描いていましたか。

香田:

参入したのが2010年の秋頃でしたが、新規参入者が非常に多い状況の中で、2010年末頃からが勝敗が付き始めたタイミングでした。
 ガラケーのゲームのときは、参入することには成功しましたが、そこで勝ち抜くのは厳しい状況でした。GREEやドリコム、gumiなど、2010年段階で組織の母体を持って参入した会社と、学生企業と変わりない、ゼロからの立ち上げだった私たちとでは、組織の土台や採用力、資金力などが違い過ぎて、クオリティーの高いものや多くの本数を作ろうとすると、時間的なディスアドバンテージが非常に大きかったからです。また、当時はプラットフォームからして本数が非常に重要視されており、われわれの、少数で丁寧に面白いものを作っていこうという志向性があまり合いませんでした。
 ですから比較的早い段階で、私たちはネイティブゲームに移行することにしました。ブラウザーとネイティブの大きな違いは、表現の自由度です。そのため、本数ではなく、面白い発想を持ったものを作ることが大事でした。そちらにシフトして以降最初のタイトルである『サウザンドメモリーズ』がヒットしましたが、そこからPMFの達成や、組織的にも成長軌道にのせることができました。それが2013年頃です。

市場の特性を踏まえたPMF

一戸:

ゲーム事業に関するPMFをどう捉えるべきかというのは難しいと思いますが、一つのゲーム単体だけではなく連続的にそれらを生み出していく仕組みづくりまでをPMFとして捉えると、当初はどのように考えていましたか。

香田:

PMFではありませんが、私たちが考えている継続性というのは、作り出す力や開発力が土台としてあります。スマートフォンなども含めたメディアは変わっていきますが、開発力は普遍的で、メディアに依らずクオリティーが高いものを作る力は変わりません。
 SaaSのように計算しやすいという特徴がありつつも、エンターテインメントのように大きく跳ねるものがあると良いのですが、そのようなものはなかなかありません。ですから市場の成長フェーズでしっかりと参入し、そこで組織やキャッシュをつくり、ケイパービリティーを高めながらより長く投資できるようにしていくのが、エンターテインメント参入の方法だと思っています。
 また、エンターテインメントビジネスやコンテンツビジネスは、市場の初期段階で早く入り、ホームランを打てそうなところでホームランを打ち、あとは頑張るというもので、ロジックよりも、面白いものは何かという非言語的な、目に見えないものも多いです。
 どちらかというと、当たったときにどれだけ大きく当てて広げられるか、市場で求められるクオリティーも高くなってきている中で、そこに向て挑戦できる土台を、組織としてどのように作るか、そういった部分に再現性を求めます。

海外展開は「nice to have」から「have to do」へ

一戸:

HPを見てみると、2014年6月に台湾の子会社を設立されており、会社の設立が2010年なので、創業から4年後です。
 われわれは日本と東南アジアのスタートアップに投資を行っていますが、日本でも、東南アジアに展開したいスタートアップや起業家は増えています。また、海外に展開する場合は、できる限り早いタイミングでグローバル展開を織り込んだ事業づくり、組織づくりをすることが非常に重要だと思っています。
 アカツキが創業から4年後というタイミングで台湾に子会社を設立し、海外展開を行おうと思ったきっかけなどはありましたか。

香田:

2013年の秋に、『サウザンドメモリーズ』という初めてのネイティブゲームを出し、国内でスマッシュヒットしました。そのタイミングで、海外からライセンスアウトしてほしいという声を多くいただき、結果的に中国の会社にライセンスアウトしました。
 当時、日本だけにモバイルゲームのマーケットが立ち上がり、ARPUも高く、良いマーケットでした。しかし、モバイルゲームが世界に広がっていくことは分かっていました。これをライセンスアウトだけで済ませてしまうと、最も成長にレバレッジがかかるポイントを外に依存することになり、得られる収益も減ってしまいます。一度ライセンスアウトを行ったことで、このことに気付きました。
 また、ゲームはIPホルダーにどのように選んでもらうかというB to Bの観点も大切です。国内だけでなくグローバルにワンストップで運用できることが、IPホルダーにとっても魅力になることは見えていました。
 台湾は、ゲームは盛んですが、人口も多くなくマーケットとしては大きくありません。ただ、台湾は非常に親日で、労働市場として非常に良い拠点だと分かったので設立を進めました。
 また、海外展開については、今は「nice to have」から「have to do」に変わってきていると思います。

一戸:

海外展開を検討していたとき、反対意見はありましたか。

香田:

慎重な声は比較的多くありました。日本から出ていってうまくいかなかった事例も多く聞いています。

一戸:

海外展開で失敗した会社、うまくいかなかった会社は多数ありますが、株式会社アカツキがここでうまくいった要因は何が考えられますか。

香田:

日本である程度経験したことのない人が海外に行って組織をつくれるかというと、それは難しいと思います。日本で組織をつくることも難しい上に、海外では仮に言葉が通じたとしても、文化も全く違います。われわれは、塩田と私が2人で組んでいたので、片方は海外に行くことができました。創業者や経営者でなくても良いと思いますが、経験者でないと難しさは数倍だと思います。

鈴木:

組織をつくれるかどうかということもありますが、国内市場のほうが売上を上げやすい中で、なぜ海外に人を送り、投資もするのかという議論になりやすいと思います。ですから、創業者に近い人などがコミットすることがグローバル展開においては非常に大切だと思います。

香田:

先ほど言ったように、海外は「nice to have」だったところから、「have to do」に変わってきています。エンターテインメントはここ10年で完全にグローバル化しています。NetflixやYouTubeなどのグローバルメガプラットフォームで、あらゆるコンテンツを皆が見ており、そことの競争は避けられません。先方は70億人に対してビジネスをしている一方、われわれは1億人に対してビジネスをしていれば、かけられる予算は大きく変わってきます。

共同創業者の役割分担

一戸:

次に組織面について教えてください。塩田さんと香田さんの共同創業であることは、アカツキの一つの特徴だと思いますが、社内でのキャラクター的な役割分担と、機能的な役割分担を教えてください。

香田:

私と塩田は比較的近い部分が多く、50~60%程度は互いにどちらもできる要素があり、相対的に得意な部分が30~40%程度分かれていました。外から見られているように、はっきりと役割分担や特徴が分かれていたということではなく、その時々で意識的に分担をしながら進めていました。
 被っているのは、サービスを作っていく部分やマーケティングです。一方で、塩田はB to Bの営業や資金調達など、社長としての対外的な役割や、ビジョンの発信などを担い、私はコーポレートの観点で事業を見ていたこともあり、組織や採用、育成、制度設計などを担うことが多かったです。

一戸:

塩田さんの振り返り記事を読むと、塩田さん自身が張り詰めていた時期もあったという話がありましたが、その中で香田さんはどのようなキャラクターでしたか。

香田:

中でバランスを取ることを大切にしていました。塩田が張り詰めているときは緊張感を和らげ、塩田がふわっとしているときはあえて厳しいことを言うように、バランスを見て動いていました。ただ、一貫して仲は良かったです。メンバーから見たときに、政治的な力学が働くことや、不安に思わせるような関係性は全くありませんでした。
 共同創業者に関しては、最終的にゴール地点や目標が違うとコンフリクトしやすいと思っています。例えば、1人は1兆円の会社をつくると言っていて、1人はスモールビジネスで楽しければ良いと考えている場合、全く合いません。それはその人の生き方やリスクの許容度次第だと思いますが、良し悪しは関係なく、その人自身が求めているものがあり、そこが擦り合わないと、一緒に同じ立ち位置で動くことは難しくなってくると思います。
 私自身は当時リスク許容度までは考えていませんでしたが、覚悟があるかどうかを見ていました。あとは私利私欲よりも、責任や結果に対してコミットする姿勢など、広く言うと仕事における価値観が近いかどうかということだと思います。

採用は潜在的な価値を体験してもらうことが大事

一戸:

創業後、最初の10名はどのように採用しましたか。

香田:

最初は、知り合いや友人など、ありとあらゆる伝手をたどり、気付いたら社員になっていたというパターンが多かったです。ベンチャー企業にはよくある話だと思います。社会人3年目頃までの若い人は、キャリアが決まりきっていない人が多く、面白いことをしていると人を巻き込みやすかったです。

一戸:

2010年当時、スタートアップに入社することは今と比べるとかなりリスキーだったと思いますが、口説く際に意識していたこと、心掛けていたことはありますか。

香田:

基本的には、巻き込んで何か手伝ってもらい、それでオフィスに来てもらったり、一緒にディスカッションを行ったりすることで、当事者意識を持ってもらうことができ、それからどこかのタイミングで一緒に働こうという話になることが多かったです。体験してもらうことで口説く感じでした。

一戸:

確かにそうすることでカルチャーフィットなどもわかります。

香田:

会社にも、潜在的な価値と顕在的な価値があると思っています。会社が大きくなり実績が出てくると、価値が顕在化してきます。顕在化すると分かりやすくなり、客観性があるので、数字などで説得力を持って自分たちの魅力を話すことができますが、10人以下で働いていると、基本的には潜在的な価値しかありません。「ここにある熱気が良い」、「私たちは世界を取れます」などと言っても、ばか丸出しのようになってしまいます。そこで、潜在的な魅力は、体験してもらわないと伝わらないと割り切って考えていました。
 今はスタートアップというセグメントがはっきりしていて、アカツキの創業当時から比べると口説かれる側も見る目が形成されていると思います。当時はそういったものがなかったので、目に見えないものを体験してもらい、可能性を感じてもらっていました。

優秀な人を採用する際に意識すること

一戸:

アカツキの印象的なこととして、早い段階から組織づくり、カルチャーづくりに注力していたことがあります。どのような背景、きっかけでそのようにしていたのですか。

香田:

一番大きかったのは、塩田とずっと、自分たちが働きたい会社にしたいと言っていたことです。サービスを作るときに、自分たちもイケてると思えるサービスを作りたいという考えと近いと思います。
 また、私も塩田も学生団体の頃から、ピュアできれいな、教科書に書いてあるようなことをそのまま信じているようなところがあったのですが、『ビジョナリー・カンパニー』などを読み、丸ごと感化され、誰が「バス」に乗るかが大事だと信じ込んでいました。ですから振り返ると、素直にそうしようと考え、型どおりにしていたと思います。

一戸:

私たちは投資支援先の組織づくりに関与することも多く、それに関する情報発信も積極的に行っていますが、その中で感じているのは、まず組織づくりが重要だと気付くことが一番難しいということです。
 そして、投資支援先をサポートしている中で、組織の壁を感じた瞬間や、組織崩壊を経験したタイミングで組織づくりの重要性に起業家が気付くことが多いと感じています。アカツキの場合、組織の壁や組織トラブルについて、印象に残っているものはありますか。

香田:

2014年頃にきちんとしたタイトルが出て、ネイティブゲームがヒットする前段階で、自分たちだけでは作れず、ある程度経験があり少しピーキーな人を採用しないと勝てないと考えたときがありました。そして、そういった方々を数人入れ、新しいプロジェクトを動かしましたが、結果的には成果も出ず、組織にも批判的になり、そちら側になびく人もいて、もともと大事にしていたものが揺らいだことがありました。

一戸:

わかりやすく優秀そうな方を採用したが、カルチャーフィットしていないので、結果的に成果が出ないというのは、多くの会社で起きる問題だと感じています。一方、スタートアップは常に人材が足りず、中長期で考えるとカルチャーフィットしている人を取ることが重要だと分かっていても、短期的にはその判断が難しいことがあります。何人か採用できたら辞めてもらう、このタイミングで辞めてもらうと考えてしまうこともあるかと思います。
 実際に、そういったピーキーな方でカルチャーフィットしていない人に辞めてもらう際にはかなり苦労したと思います。そのときに、塩田さんとどのような会話、意思決定を行いましたか。

香田:

初期にそのようなことが起きたときは、分かりやすく結果も出て駄目だったので、議論の余地もなく、このままでは厳しいという話になりました。
 二つの大きなパターンがあると思うのですが、会社や創業者、経営者ができることを行うパターンと、今の経営者の知識や経験ではできないどうしても必要なことを、中途採用の人に行ってもらうパターンがあると思います。
 後者では、ピーキーな人を採用しても良いのですが、例えば子会社化して責任と権限をセットで与えた上で、駄目なら駄目とみなすなど、リスクがあることを前提として関わっていくほうが良いと思います。そういった人を組織全体の中の取り除きづらい中核に入れてしまうと、本当に大きなダメージを受ける可能性があるので、人材への投資のリスクをどのように取るかを考えるのが良いと思います。

一戸:

採用は不可逆な意思決定ですが、できるだけ可逆な意思決定に近づけるということですね。

視座の高め方の変遷

一戸:

最後に、香田さんの経営者としてのセンスの磨き方や視座の高め方で意識していることや実際に行っていることを教えてください。

香田:

最初の頃は多くの本を読み、多くの知識を身に付けました。ベーシックな部分は本で得られると思っています。次のフェーズでは、業種、業界にかかわらず自分より視座が高い人と会い、視座を高めてもらいます。最近では、生物としての終わりを意識し、覚悟を決め、限られた時間を認知した上で何に時間を投資するのかについて考えています。それを通じて、視座を高めるというより、ものの見方や考え方を養っている気がします。

鈴木:

元気に働けるのはあと20年ほどだと考えると、今までの、2、3年後にどのような成果を残すかという短期的な視点から、少し長期的な視点になりました。私は子どもが2人生まれたので、子どもが20歳になったときにどのような社会になっているかと考え、必然的に思考の時間軸が伸びた面もあります。

香田:

われわれはスタートアップとして立ち上がりましたが、個人で始めて2、3年で一気にサービスがスケールするような時間軸で動く業界があることも理解しながら、私の場合は、エンターテインメントとテクノロジーの接点で何ができるかを、積み上げたものをベースに考えています。

次回のゲストとお知らせ

次回のゲストは香田さんにご紹介いただいたPKSHA Technology創業者の上野山さんです。皆さん、ぜひ楽しみにしていてください。

また、アカツキは現在積極的に採用活動を行っております。ご興味のある方はぜひこちらからチェックしてみてください。

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