
「作れる国」であり続けるために ― さくらインターネット田中邦裕が、ガバメントクラウド国産初採択の先に見る景色|Enterprise Frontier vol.2
なぜ日本のデジタル産業は、これほどの経済規模を持つ国でありながら、グローバルで戦える基盤プレイヤーをほとんど生み出してこられなかったのか。デジタル貿易赤字は年6兆円規模(2024年で約6.6兆円・過去最大)に達し、AIインフラの多くは外資のプラットフォームの上に乗っている——この構造を前にした昨今、国産発の「Sovereign(ソブリン)」の言葉を目にする機会が増えてきました。ただ個人的には、海外vs国内の二項対立の切り口では物事の本質は捉えられないと感じています。
2026年3月、デジタル庁が募集した「令和8年度ガバメントクラウド整備のためのクラウドサービス」に国産事業者として初めて採択されたさくらインターネット。その創業社長・田中邦裕さんは、「国産だから使うべき」という議論に与していません。本質は「国産か海外か」ではなく「古いITか新しいITか」だ、と。30年にわたりデジタルインフラ一本に賭け続けてきた起業家が見据えているのは、日本が「ITを作れる国」としてグローバルに価値を発揮する未来です。
Enterprise Frontierは、大企業のAXとスタートアップの共振が生まれる現場を、投資家の視点から深掘りしていく連載です。今回のテーマ軸は Sovereign AI——データ主権・経済安全保障と、それを担うエコシステムの在り方。ジェネシア・ベンチャーズの黒崎直樹が、Sovereign AIの本質、ガバメントクラウド採択の舞台裏、そしてスタートアップとの共振の可能性を聞きました。
ゲスト
聞き手
- デザイン:割石 裕太さん、写真:尾上 恭大さん
- 以下、敬称略
SaaSの意義を問い直す ── AIネイティブ時代の「内製回帰」
今日はよろしくお願いします。本題に入る前にご挨拶させてください。私は富士通で通信キャリア向けの基幹システム営業から始めて、その後Sansanのアーリー期にジョインし7年半ほど在籍し、3年前にジェネシアに入りました。新卒でSIerに入って以来ずっと法人向けソフトウェアの世界で生きていた人間なので、あえてエンタープライズITにフォーカスして10社ほどこれまで投資をしています。大企業とスタートアップの架け橋を作ることで、デジタル赤字の解消に寄与していくことがライフミッションです。
ちなみに最近、足元でエンタープライズITの景気っていいんですか?
今の瞬間を切り取ると、SIerやSaaSベンダー全般的に調整局面で難しい状態が続いています。ただ、国内のユーザー企業のシステム投資やAI対応の実需は、むしろ堅調だと感じています。
SaaSの利用意義が問われている局面ですよね。ソフトを使っていても、わざわざスクショしてチャット型AIに貼ることもある。「その機能、SaaSの中に用意しておいて欲しいな」と思うことが多いので、AI統合されていないソフトは今後なかなか厳しいかもしれない。日本ではこれまで一社一社カスタマイズしてサービス提供するのが(標準化から逸脱するという意味で)良くないと言われていましたが、この日本風のやり方が、今となってはバイブコーディングで復活するんじゃないか、という話もあるんじゃないかなと。
それは内製化の傾向そのものですね。私の投資先にも、企業の内製化を支援してトレーニングする会社があります。
僕は、バイブコーディングのコンサルみたいなのが出てこないかなと思っているんです。お客様のところに常駐してシステムを開発するというより、システム開発をするあり方を教えていく。会社ごとに業務を汲み取ってシステム化して、独自の仕組みを残しておく。そういう時代だからこそ、コンサルはすごく重要になると思います。
一方で、SAPやERPのように他システムと連携し、データのマスターを持つようなクリティカルな領域は残る気もします。
そうですね。逆に人事系や、自社の情報で完結するものは内製化しやすい。だから残るものと、内製に回帰するものとが分かれていくんでしょうね。

「国産か海外か」ではなく「古いITか新しいITか」
ではご用意した質問に。いくつかインタビューを拝見していると、日本国内だと外資のプラットフォームの上に乗る小さなデジタルベンダーが比較的多かった一方で、少しずつ「内製化」や「国産」「ソブリン」という言葉を目にする機会が増えてきました。率直に、この「国産」「ソブリン」というテーマに、田中さんは今、何を感じていらっしゃいますか?
基本的には、この国が強くなるかどうかが中心なんですよ。国産にこだわりすぎてテクノロジーで遅れると、本末転倒な気がします。以前から申し上げているのは、どこまで行っても国産化・海外化という軸ではなく、最新のテクノロジーを使って古いITをいかに置き換えられるかが肝だということです。2021年にガバメントクラウドの話が出てきたとき、ハイパースケーラーに集約するのかという議論もありましたが、国産か海外産かではなく、古いITか新しいやり方かが重要なんです。古いやり方を守るために、国産の古いやり方でもいいというのは適切ではないと思いますね。
優先順位がある、と。
一番理想なのは、国内の事業者が新しいITを日本の企業に届けられる状態。次点で、日本にはいないけれども海外の製品でうまくやっていく方法。国産を守るがために古いやり方を温存し続けることはあまり望ましくないような気もします。デジタル貿易赤字が6兆円と言われていますけど、それ以上の付加価値を日本が上げればいいだけの話です。既に市場規模が大きい業界は難しいかもしれないですが、デジタル産業・AI産業は5倍・10倍になる可能性がある。日本ではまだ小さいからこそ、伸びる余白がある。デジタル・IT・AIをやる会社自体が伸びたら、それ自体がGDPに加算されていくわけですから。
保護を目的にした瞬間に、既存のITの在り方を守る方向に働いてしまう。ちゃんとしたテクノロジーを普及させないと、IT産業以外の人たちも成長できない、ということですね。
日本もGDPで4位・5位のポジションにいるのに、デジタル分野はチャレンジする人が少ない。やってやれないことはないはずなのに、もったいないなと。
その「作る」という視点で言うと、誰かの海外資本が用意したものを使い続けるより、どこかのレイヤーを切り取ってでも自分たちで作る、という発想がすごく重要だと思っています。日本で国産のAIを作っていくうえで必要なものは何だと感じられていますか?
シンプルに、「作れる国」であることだと思うんですよ。日本は車も、トランジスタも、ICも、最初の発明者ではないけれど、20年くらいでキャッチアップして世界で一番強い国になった。クラウドも普及して十数年ですから、あと数年で日本がキャッチアップして、グローバルで設計したっておかしくない。ソフトウェアは資産の積み上げだから難しいという人もいたけど、ここに来て生成AIでソフトウェア資産の価値化が一気に進んでいる。日本の会社が国外の有名ブランドをひっくり返せる可能性は全然ある。国産LLMも出てきていますし、モデルは一定期間でコモディティ化する傾向がありますからね。最新である必要はない。半年、1年待てばいいだけなんです。
多くの業界の歴史を見ても、ソフトウェアが良い意味でコモディティ化している今だからこそ「作れる土台」が整ってきている、というのは私も賛同します。一方で、投資家の界隈には「海外のものに勝てないよね」「そこは筋じゃないよね」という雰囲気が、正直まだあると感じていて。
それは、そういう人と付き合わなければいいだけじゃないですかね(笑)。うちの株を買ってくれている投資家もいるわけですが、リスクを取らないところには、リターンも来ない。

なぜインフラは「ネット企業」が担うべきなのか
昔から資本力のある富士通さんやNECさんが中長期でインフラ投資を強化していたら、さくらインターネットさんの今の在り方は違った景色が見えていたかもしれません。インフラの担い手は、本来どういうプレイヤーであるべきだと考えていますか?
通信キャリア、メーカー、ネット企業の3つがあるとすると、母体になるのは実はネット企業になると思います。ただ日本のネット企業は、広告で目先の売上を稼ぐ会社が多くて、短期的に上場して鳴りを潜めてしまう。繰り返し成長していけるネット企業が中々増えていかない。中長期でインフラ投資をする大規模なネット企業は、当社含めて少ないと思っています。
ネット企業が主体になれるのは、企業文化や動きやすさの違いなんでしょうか。
ネット企業以外は、やらなきゃいけないことが多すぎると思っています。我々はサーバーインフラだけをやっているので、すべての投資をそこに突っ込める。上場すると多角化しないといけなくなって、M&Aを頑張って結局うまくいかない会社も少なくない。我々も新規事業をいろいろやって失敗した結果、本業だけでやろうと振り切ったんです。

ガバメントクラウド採択 ── 2年あまりの賭けと「ホッとひと息」
そうやってインフラ一本に特化してきた結果として、直近で一番大きな話題が、ガバメントクラウドへの正式採択ですね。私もこの分野に思い入れがある人間なので、ニュースを見て率直にテンションが上がりました。条件付き採択から2年あまりが経って、ようやく正式採択された。今、どういう感情で受け止めていらっしゃいますか?
嬉しいというよりは、「ホッとひと息」ですね。この採択を推進してくれていた政治家も官僚も結構な数いましたし、我々も全力で力を入れていた。失敗ができないことだったんですよ。世の中には、失敗ができないことってあるんです。だから、ホッとひと息、という感覚です。
これからは民間側でも、国産を使いたいというニーズが高まってくるのではないですか。
そうですね。民間のデジタル市場全体では兆単位ですから、ガバメントクラウド採択が呼び水になれば良いと思っています。ブランド、開発力、組織力が高まっている。3年前のさくらのクラウドでは提案できなかった案件が、今なら提案できるようになっている。
大企業の投資責任者やCIOの方々に、伝えたいスタンスはありますか?
国産だからというよりは、使えるインフラの選択肢がもう一つ増えた、という風に捉えていただきたいと思っています。性能も品質も、海外勢もきちんとやっている。ただ我々は国内でやっているので、開発者が直接コミュニケーションできる。身近であることの安心感は、何事にも代え難い。そこが一つのポイントじゃないですかね。
AI時代のインフラという意味では、GPUに資本が集まっています。ただGPU単体のビジネスは、少しずつコモディティ化が進んでいる感覚もあります。
SNSの広告で「GPU商材」みたいな運用案件が出てきた時点で、もう飽和の兆候かなと。ただ、最新のGPUを運用まで含めてちゃんと提供できている会社は少ない。当社のGPUクラウドサービスが伸びている背景にはソフトウェアエコシステムがあります。

スタートアップとの共振 ── 「成長の共有」を、もう一度
次はスタートアップやイノベーションというテーマです。福岡のFukuoka Growth Next(FGN)、大阪のBlooming Camp、沖縄のSAKURA innobase Okinawaなど、各地で行っている取り組みにおいて、大切にしていることは何ですか?
5年ほど、オープンイノベーションという形で、スタートアップに限らず繋がりを作ろうとやってきました。今一度、会社としてスタートアップへのコミットを高めていきたいと改めて思っているところです。
かつては、スタートアップとの関係が事業の成長そのものを牽引していた時期もあったのではないですか?
上場した20年前、様々なネット系のスタートアップ企業が、めちゃくちゃサーバーを大量に使ってくれた。彼らが成長すると我々も成長する、という「成長の共有」をしていたんですよ。ここが原点なんですよね。最初は個人向けホームページ、次にネット系、ここ10年はAI、ここ3年は生成AIとガバメントクラウド基盤に注力しています。やっていること自体はデジタルインフラで変わらないけど、市場はどんどん広がって顧客やチャネルは全然新しくなっている。だからこそ今は、東京じゃないスタートアップ、IT・デジタル以外のスタートアップも応援し始めているんです。

2030年へ ── 起業家精神を持ち続けるということ
最後の質問です。創業から、今年の12月でちょうど30年。長い旅路だと思いますが、2030年に田中さんが起業家として見ていたい景色は何でしょうか?
一つの会社が長いって、常にいいこととは限らない気がするんですよ。うちも30年でこれくらいの規模になっているけど、本当は10年でやれるべきだったのかなと。ユニコーンをどう作るかも重要だけど、今ユニコーンになっている会社がなぜそんなに時間がかかったのかを研究するのも大事なんですよ。だから僕自身は、エコシステム全体の視座をもって、しっかりお手伝いしたい。
同じ上場企業の経営者の中でも、田中さんは本当に「起業家」だなと感じます。すごくゼロベース志向ですよね。
そういう人と付き合っているからでしょうね。起業家精神を持ち続ける人が、もっと増えてほしいと思ってます。大企業がスタートアップ思考でやったら、とても大きな成果が出る。エスタブリッシュになっても、経営者がリスクを取り続けることが重要なんです。

結びに ── 投資家視点での示唆
対談の冒頭で田中さんに投げた問いを、結びでは自分自身にも向けてみます。「国産」「ソブリン」というテーマに、投資家として今、何を感じているか。正直に言えば、この言葉が広がっていくことへの期待と、脆さの両方です。ソブリンが「国産だから応援する」という情緒の言葉として消費された瞬間に、田中さんの言う「古いやり方の温存」に転じてしまう。私自身は、ソブリンとは「選択肢を自分たちで持てる状態」と捉えようと思います。すべてを国産にすることではなく、自分たちで作れる能力を手放してはいけないレイヤーを見極め、そこを確実に押さえること。安全保障環境の変化によって、これは情緒論ではなく「依存構造のリスク」という実体的な経営変数になったと考えています。
では、どのレイヤーを押さえるべきか。田中さんが賭けてきたのはインフラ層です。私はその一段上、インフラとアプリケーションの間にあるミドルウェアの層にこそ、日本のプレイヤーが取りにいける白地が残っていると見ています。バイブコーディングによる内製回帰が進むほど、個社ごとに増えていくエージェントやアプリケーションを支える「くびれ層」の需要はむしろ広がっていく。エンタープライズIT投資の主戦場が一段下のレイヤーに降りていくシグナルだと個人的に解釈しています。
「ネット企業以外は、やらなきゃいけないことが多すぎる」という言葉は、スタートアップの成長設計の問いとして持ち帰りました。多角化はステージの関数であり、集中とは大きなリスクを取るための前提条件—さくらインターネットの30年を、私はそう読み替えています。
そして「成長の共有」。その本質は、関係の対価が本業の取引の中で成立している点にあると捉えています。出資でも協業プログラムでもなく、顧客とベンダーの取引だからこそ、担当者の交代や予算サイクルに左右されずに構造が回り続ける。スタートアップと大企業をつなぐ最初の接点は「顧客として使ってもらう」が正しいのではないか——これが、Enterprise Frontierで探している「共振」の最も自然なかたちだと考えています。大企業とスタートアップの架け橋を作ることでデジタル赤字の解消に寄与する。冒頭で申し上げた自分のライフミッションを、より解像度高く言い直してもらったような対談でした。
次回のEnterprise Frontierも、エンタープライズITの最前線に立つ方との対談を予定しています。

※これは、2026年4月10日(取材日)時点の情報です


