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【創業の軌跡】番外編 ジェネシア・ベンチャーズ/田島 聡一

PODCAST

第一線で活躍している起業家の創業からの歩みについてお話を伺う「創業の軌跡」。今回は番外編として、弊社ジェネシア・ベンチャーズの創業者・田島さんをゲストに迎えました。本稿は要約版になりますので、フルver.についてはぜひPodcastで聞いてみてください。

・ジェネシア・ベンチャーズ/一戸 将未(インタビュアー)

自己紹介

一戸:

田島さん、よろしくお願いします。僕自身は、田島さんとの出会いとジェネシア・ベンチャーズへの入社から5年強が経ちますが、今日はさらに田島さんの新しい一面を見られたらと思っています。改めて自己紹介をお願いします。

田島:

1975年大阪府の生まれで、ファーストキャリアはさくら銀行(現在の三井住友銀行)です。銀行で8年ほど勤めた後に、サイバーエージェントに移りました。当時、CAキャピタルという金融戦略子会社を立ち上げたタイミングで、最初はそちらに出向しました。同社では、当時社員3-4名で三つの金融事業を手掛けており、それらの立ち上げに関わらせてもらった後に、当時のサイバーエージェント・ベンチャーズ(以下「CAV」と記載。現在のサイバーエージェント・キャピタル)の代表を務め、2016年7月末にサイバーエージェントを卒業しました。そして、2016年8月末、つまり退職の翌月にジェネシア・ベンチャーズを創業して今に至ります。
 現在、僕自身は、日本ベンチャーキャピタル協会の副会長(※インタビュー時点|2023年7月より会長)と、グループ会社の株式会社グランストーリーの取締役も務めており、同社においてスタートアップ・投資家・大企業のキーパーソンが集うプラットフォームである『STORIUM』の開発・運営にも関わっています。

一戸:

ジェネシア・ベンチャーズについても、田島さんから改めてご紹介いただけますか?

田島:

ジェネシア・ベンチャーズは、日本と東南アジアを中心としたプレシード/シードラウンドのスタートアップに投資をしている独立系のベンチャーキャピタルです。投資先の約7割が日本、約3割が海外です。

一戸:

では改めて、創業までのお話を伺いたいと思いますが、まずファーストキャリアに銀行を選んだ理由を教えてください。

田島:

子どもの頃からいつか経営者になりたいと頭のどこかで意識していました。かといってすぐに起業するのではなく、自分が挑戦する分野を見極めたいという思いで、「若くしてさまざまな業種の経営者に出会える職業は何か」と考えて選んだのが銀行でした。銀行員がどれほど若くても、特に中小企業などの場合は、経営者自らがカウンターパートになっていただけるので、数多くの経営者と話ができるからです。また、社会全体を人間の体に例えると、銀行はお金という血液を全身に循環させる心臓のような存在であり、お金には必ず情報が付帯します。それらを扱う銀行に身を置くことで大きく成長できるのではと考え、銀行員を選びました。

一戸:

いつか経営者になりたいと子どもの頃から考えていたとのことですが、その背景にはどんなきっかけがありますか?

田島:

私の家はあまり裕福ではなかったので、自分がしたいことをするためには自分でしっかりとお金を稼がないといけないとずっと思っていました。それが実現できそうな職業は何かと考えた時に、子供ながらに起業が目標になりました。

銀行からITへ、異色の転職

一戸:

銀行からサイバーエージェントへの転職は、特に当時は、かなり異色だったんじゃないかと感じます。そのきっかけや背景を教えてください。

田島:

銀行員時代の後半、当時の金融機関の大半は国から公的資金の注入を受けており、金融庁主導による経営改善化計画の真っ只中でした。だから当時の銀行は、どのようにお客さまのニーズに応えるかということよりも、どのように収益を上げるかということに必死であったように僕の目には映り、それを少し苦しく感じていました。また、自分がお客さまから信頼されるようになればなるほど、新商品の開発や新工場の建設などの新しい挑戦に向けた融資の相談をもらうようになるのですが、先立つ実績がないと行内の稟議はなかなか通りません。それで思うように融資ができず、非常に悔しい思いもしました。新しい挑戦をする会社を応援したいのに、そこに限界があると感じたのが、転職を考えるきっかけとして大きかったと思います。
 加えて、ルールやマニュアルで固められた世界ではなく、自らがルールメーカーになれるような世界でさらに大きな仕事をしたいと思っていたところに、サイバーエージェントとのご縁があったという経緯です。
 当時は『ネット×金融』分野の注目度が高まっていた時期で、サイバーエージェントも西條さん(現Xtech Ventures代表)が戦略金融子会社であるCAキャピタルを立ち上げていました。そこが手掛けていたのが、FX事業・投資顧問事業・ベンチャーキャピタル事業の三つで、私はそれらの立ち上げに関わらせてもらいました。

一戸:

田島さんはベンチャーキャピタルの存在を転職前から知っていたんですか?

田島:

正直に言うと、ベンチャーキャピタルのことはほとんど知りませんでした。実際にCAキャピタルの立ち上げプロセスの中で投資事業に出会い、その楽しさや遣り甲斐に気付くことができました。

一戸:

つまり、最初からベンチャーキャピタル事業をやりたかったというわけではなく、たまたま関わる機会があり、そこから興味を持っていったんですね。

ベンチャーキャピタルとしての独立

一戸:

その後、CAキャピタルのベンチャーキャピタル事業はCAVという投資子会社になり、田島さんが代表に就任されましたが、そこから独立までの経緯を教えてください。

田島:

組織の中で仕事をすることと独立して仕事することのどちらの方がより大きなことができそうか、という不等号を頭の中で常にイメージするようにしていました。つまり、独立はあくまでも、より大きなことをするための手段。サイバーエージェントは本当に良い会社で、大きな権限も持たせてもらっていたので、私は自分の会社のように伸び伸びと働くことができていました。ただ、30代後半になった時に、銀行からサイバーエージェントというキャリアを経てきた私の中で、日本の産業競争力をさらに高めたいという思いが大きくなっていました。
 銀行時代の取引先はITとはあまり縁のないお客さまがほとんどでしたが、東大阪の町工場などの中小企業から誰もが知っているような上場企業まで幅広く担当させてもらった中で気付いたのは、日本の企業が持つポテンシャルの大きさです。しかしながら、日本においてはビジネスプロセスが極めてアナログで非効率、かつ極めて属人的な企業が多く、再現性を持たせられるものになっていないとも感じていました。一方で、サイバーエージェントではインターネットやテクノロジーの持つ大きな可能性に触れました。そこで、それらを既存産業に取り込むことができれば、日本が本来持っている産業競争力をもっと解き放てるのではないかという思いが強くなっていきました。そして、ベンチャーキャピタルとして既存産業のデジタル・トランスフォーメーションに取り組むなら、独立した方が大きな挑戦ができるのではないかと考えたわけです。自分の中の不等号が独立の方向を大きく示したのが38歳くらいだったと記憶しています。
 また、私は父親を50歳で亡くしており、仮に自分が父親と同じ年齢で死ぬかもしれないと考えた時に、残された時間が後10年ほどしかないことも意識していました。そこで、40代はあらゆるリミッターを外し、全力でやりたいことをやろうと決めたことも大きかったです。

一戸:

たしかに田島さんは、僕たちキャピタリストのメンバーに、「みんなが独立するよりもジェネシア・ベンチャーズにいた方がより大きな成果やインパクトを出せるようにしたい」という話をよくしてくれますよね。田島さん自身がそこを意識してきたからこそ、僕たちにもそのような話をしてくれるのだと考えています。ジェネシア・ベンチャーズには、メンバー同士の掛け算やチームでの成果を強く意識しているカルチャーがあり、そこにも田島さんの意識が反映されているように感じます。

「産業創造プラットフォーム」をつくるという精神

一戸:

ジェネシア・ベンチャーズで僕たちが掲げている大きなテーマの一つに、「産業創造プラットフォーム」というキーワードがあります。創業直後、1号ファンド組成時の資料にもこのキーワードは入っており、田島さんが創業当初から掲げていたテーマの一つだと思います。田島さんの、その具体的なイメージや、どのように着想したのかを教えてください。

田島:

まず、「産業創造プラットフォーム」の着想には、サイバーエージェント時代の経験が大きく関わっています。同社では、事業経験や経営経験がなくても意欲の高い若いメンバーに新規事業を任せており、また実際にそうした事業が見事に立ち上がる場面を私は何度も見てきました。優秀な人材を採用し、性善説で大きな仕事を任せる。それによってその人が持つ可能性を最大限引き出すことができ、会社としての成果にも繋がる。身をもってその経営思想の大切さを経験したわけです。
また、私がアイデアの立案から関わらせてもらった応援購入プラットフォームの『Makuake』と、アイデアの提案から投資まで関わらせてもらったクラウドソーシングプラットフォームの『クラウドワークス』という、“個のエンパワーメント”という共通した性質を持つ二つの事業を通じて、情熱を持った人の可能性を解き放つ場の構築に立ち会う経験をしました。そのようなプラットフォームが世の中に生まれることにより、光り輝く個が増え、その背中を見てさらに新しい輝きが増えていくというグッドスパイラル。そのインパクトは本当にすごいなと思いました。
 そのような経験をする中でぼんやりと、持続的に産業を生み出し続けることができるプラットフォームのようなものをつくれないかと考え始めました。新たな価値をこの世の中に生み出したいという志の高い起業家がいて、投資家・事業会社・政府・地方自治体・NPO・NGOなどのステークホルダー、事業立ち上げに必要なナレッジやアセット、そしてファンが集まる場所。普段私たちは、街で人とすれ違っても、話しかけたり、話しかけられたりすることは少ないです。すれ違った相手がどのような人なのか分からないからです。しかし、すれ違う相手が何に興味があり、どのような強みがあるのかが分かれば、そこにはきっと一期一会が生まれると思います。そこからイノベーションの総量が増やせるのではないかと考えたのがベースでした。
 そういった意味では、ベンチャーキャピタルとは、スタートアップに伴走する存在であると同時に、スタートアップの企業価値最大化に向けて、新たな投資家や大企業などの協力者をつなぐことにも積極的に取り組む職業です。起業を検討している人に自分が持つビジネスアイデアを提案し、シードマネーを出しながら共にゼロイチの立ち上げをすることもあります。つまり、ベンチャーキャピタルこそが、「産業創造プラットフォーム」という存在を目指せるのではないかと思ったんです。それが、ジェネシアの創業時から私が掲げており、ジェネシア・ベンチャーズの根底に根付いている経営思想となっています。
 あと、冒頭でもご紹介した、グループ会社のグランストーリーでは、スタートアップ・大企業・投資家の間に存在する情報の非対称性を減らし、一期一会を生み出すプラットフォームとして『STORIUM』を開発・運営しています。これも前述の考え方から事業化に至りました。リリースから約2年、多くのスタートアップや投資家が参加してくれており、日々一期一会が生まれています。少しずつですが、ジェネシア・ベンチャーズ、そしてグランストーリーを通じて、私が描き続けてきた「産業創造プラットフォーム」に近づけているかなと感じています。

創業時のファンド戦略

一戸:

「産業創造プラットフォーム」をつくるという精神がベースにある上で、ジェネシア・ベンチャーズのファンドコンセプトや戦略としては、シード投資に特化している点、日本と東南アジアをはじめ広くアジア地域で投資をしている点、デジタルビジネスに特化している点などが挙げられ、また、国内のシードファンドの中では比較的ファンドサイズも大きいかと思いますが、この辺りのコンセプトや戦略はどのように固めていったのですか?

田島:

なぜシードかと言えば、単純に“わくわくするから”です。前職でも、最初はミドル・レイターステージの投資をしていたのですが、後半はシード投資に寄せていきました。今目に見えているものを評価して投資するよりも、まだ世の中にないものの価値を信じて投資をし、起業家とともに新たな価値を生み出していく方がやっぱりわくわくする。ここに尽きるかなと思います。
 なぜアジアかという話も同様で、東南アジアでは日本のようにアナログをベースとした産業がこれまで十分に育っていなかったからこそ、今まさにデジタルをベースとしたさまざまなサービスがスピード感をもって立ち上がるダイナミズムがあります。それにわくわくしているのが大きいです。さらに、アナログ時代における先進国であった日本が、デジタル時代においてはイノベーションのジレンマにもまれて後進国になりつつある。そのような日本に東南アジアで起こっているダイナミズムを積極的にシェアすることで、日本の産業全体にさらに良い刺激を与えていくことも、私たちの責務だろうと捉えています。

一戸:

このところ新たに立ち上がっているファンドでは、領域に特化したり世代に特化したりと、コンセプトを絞って差別化を図っているところもあると思いますが、ジェネシア・ベンチャーズの創業時には、他のファンドとの比較や差別化といった視点もあったのですか?

田島:

既存産業をより強くしたいという思いがあったので、デジタル・トランスフォーメーションやSaaSに力を入れていこうという考えはありました。

一戸:

やりたいことがベースだったんですね。当時はシードファンドもそこまで多くなかったと思いますし、割と自由に戦略を描けたということでしょうか。

田島:

そうかもしれません。ただ、その分というか、ファンドレイズは正直大変でした。

ファンドレイズとハードシングス

一戸:

まさにそのファンドレイズについて、次に伺えればと思います。まず、ファンドレイズにあたり、最初に何をしたのですか?CAVを退職して一ヶ月後にはジェネシア・ベンチャーズを創業していますよね。そのあたりでは具体的にどう動いていましたか?

田島:

退職前から頭の中に大きな構想はあったものの、独立の準備はほとんどしていませんでした。貯金もほとんどありませんでした。とにかく在職中は今の仕事に集中しようという自分の中でのこだわりもありました。それでも独立に踏み切れたのは、「必ずなんとかなる」という自信があったのかもしれません。
 ベンチャーキャピタルとして独立する場合、先にファンド出資者(LP)の目算をつけてから独立するケースが多いと思うのですが、私はそういったことも全くなく、だから退職後に投資家を回った際、「普通はもう少し目算をつけてから辞めるよ」と何度も言われました。「CAVでの実績があるとはいえ、独立したらそれに再現性はあるのか」「サイバーエージェントの名前があったからではないか」と言われることもよくあり、全く順風満帆ではありませんでした。それでも約三ヶ月後には、みずほ銀行さんから正式に出資の決裁が下りたと連絡をもらいました。そのとき私は電車で移動中だったのですが、連絡を受けて、思わず車内で泣いてしまったのを今でも鮮明に覚えています。その後、東急不動産さんと丸井グループさんが続けて投資を決めてくれました。

一戸:

みずほ銀行さんはなぜ最初に出資を決めてくれたんでしょうか?

田島:

のちにとある方から、「田島くんはCAVに対して、自分が立ち上げた会社のようにコミットしていたよね」と言われました。「子会社の社長だと、雇われ社長のような振る舞いをする人も多い中で、田島くんは違った。その背中を見ていて、非常に良いなと感じていた」と。あぁ・・世の中には見てくれている人がいるんだな・・と思った瞬間でした。

一戸:

そこからファンドレイズも軌道に乗り始めたのだと思いますが、以前田島さんから、その後に大きな「ハードシングス」があったと伺ったことがあります。そのお話についても教えてもらますか?

田島:

ファンドレイズが軌道に乗り始めた頃には、一人目の社員として河野さんが入り、もう一人、ミドルバックも担ってくれる社員が入社してくれていました。その彼からある時、突然「退職したい」というメールが届いていたんですよね。たしか夜中の4時頃でしたが、慌てて飛び起きました。理由を聞くと、彼は会計士のバックグラウンドがある人でしたが、シードファンドでは会計の知識をそれほど使わないため、自身のスキルが錆びついていってしまうことを懸念していたようでした。そのため、会計士のライセンスが使える仕事に戻ろうと思うと。当時は、まさに軌道に乗ってきた1号ファンドのファイナルクロージングのタイミング。スタートアップで言えば、資金調達のクロージング直前でCFOに辞めたいと言われるようなことに等しく、正直かなり焦りました。結局は、彼の退職は止められませんでしたが、ファンド出資者にも正直に話し、なんとかファンドレイズは無事に完了することができました。とはいえ、本当に冷や汗が出た経験でした。スタートアップのハードシングスに比べればまだまだだと思いますが・・

ベンチャーキャピタルの採用とチームづくり

一戸:

続いて、組織と採用について伺います。現在のジェネシア・ベンチャーズは、正社員が16名(2023年7月末現在)おり、ベンチャーキャピタルの中では比較的大きな組織と言えるようになってきたかと思います。一方で、スタートアップと比較すると、まだまだ創業期というか、今のメンバーが創業メンバーに近いイメージかと考えています。田島さんは、ジェネシア・ベンチャーズを創業する際、採用や組織のコンセプトや戦略はどのように考えていましたか?

田島:

採用にあたっては、キャピタリスト経験の有無よりも、誠実であり利他的な欲求の持ち主かどうか、また、起業家を応援することに強い情熱があるかといったあたりを重視しようと立上げ当初から強く意識していました。結果として、チームの2/3以上がベンチャーキャピタルでの業務は未経験というメンバーになりました。
 即戦力を求める採用では、その人の持つスキルを見がちになります。しかし、スキルは何らかの欲求の存在によって努力を継続した結果として得られるもの。そのため、スキルではなく、その上位概念であるその人自身の欲求の存在をしっかりと知ることを大切にしてきました。共感を超えて、ジェネシア・ベンチャーズのビジョンを自らが主体的に実現したいと思えるほどの欲求です。少数精鋭のフラットなチームでビジョンの実現を目指すためには、、共感だけでは足りないと考えているからです。

一戸:

少数精鋭でフラットな組織という形態は、当初から考えていたのですか?

田島:

はい。これもサイバーエージェント時代の影響が大きいと考えています。先ほどもお話ししましたが、同社では経験や実績がない若い社員に事業を任せていて、また、その人たちが本当に楽しそうに事業に取り組み、能力を活かして成果を出していました。そのパワーを目の当たりにして、そういったことを実現する「経営」とは何かと考えた時に、いわゆるマネジメントという言葉によって、上司・部下のような関係性で組織を管理・統率するというよりは、北極星のような目標やビジョンを掲げ、その実現に向けて個人の能力や強みを最大限に発揮できる場をつくること、また、個人同士の掛け算を生み出す場をつくることが「経営」なのではないかと思いました。

一戸:

未経験からベンチャーキャピタリストを育てるというのも大変なことだと思いますが、育成という観点で、もともと手ごたえのような感覚はあったんでしょうか?

田島:

特にシードラウンドのベンチャーキャピタルにおいて、専門的な金融の知識が要るかというと、私はそこまで必要ないかと思っています。当然ながらしっかりと勉強すべきですし、当社のメンバーも皆が一生懸命に学んでいますが、個人的にはそれよりも、事業をつくる力や事業家としての力のほうが極めて重要だと捉えています。そのセンスや意欲があれば、第一線で活躍するベンチャーキャピタリストに育てることは十分可能だと思っていました。

一戸:

事業をつくる力というのは、どのように見極めていますか?

田島:

現場目線やユーザー視点がどれほどあるか、という点を見ています。金融機関や投資家という目線しか持ち合わせていないと、ややもするとマクロ的、俯瞰的になりすぎてしまい、現場感やユーザー視点から乖離しがちな傾向があると考えており、そのあたりのバランスを見ています。

一戸:

たしかにジェネシア・ベンチャーズにはそのバランス感覚があるメンバーが揃っているかもしれませんね。その上で、そういったチームの求心力になるのはやはりGPの存在だと思いますが、2号ファンドからのGP、つまり田島さんと対等な存在として(鈴木)タカさんを迎え入れたのはどのような経緯だったんですか?

田島:

タカとはCAV時代から一緒に仕事をしてきた中で、ベンチャーキャピタリストとしてのセンスや勘どころが合うと感じていました。また、人懐っこい部分や高いネットワーキング能力など、彼は私にはない強みを持っています。特に、投資の勘どころという点は非常に重要で、GPの間でそこがずれてしまうと、お互いに大きなストレスを感じながら10年という長い運用期間を過ごすことになり、持続的になり得ません。
 例えば、投資検討をする際に、あるスタートアップが成功するか否かを判断するために必要な要素が10個あるとします。この10個の要素を“投資判断時に必要な要素”と“投資後に検証すればいい要素”とを振り分けるとして、意思決定者同士でそれらを振り分けるセンスが合うかどうかは極めて重要です。10個すべてが“投資判断時に必要な要素”だと考えていたらシード投資はできません。シード投資を行う上で重要なことは、その“投資判断時に必要な要素”をいかに見極め、いかに少なくできるかだと思います。つまり、パーツが埋まっていないジグソーパズルを前にしていかに投資判断ができるか。そこにはやはり勘どころなど言語化が難しい判断もあると思うのですが、タカとはそのあたりが違和感なく合うと感じていました。今実際に一緒に仕事をしていても、やはりそう思います。

チームのアイデンティティを育てるということ

一戸:

ジェネシア・ベンチャーズとしての実績がない中でのファンドレイズの難しさについても聞きましたが、同様の状態でメンバーや仲間を採用する際に田島さんが意識してきたことや、気を付けていることがあればぜひ教えてください。

田島:

実績で語れない状態だからこそ、ジェネシア・ベンチャーズとしてどんな世界を実現したいのかというところを明確に伝えようと強く意識していました。まさにそれが「産業創造プラットフォーム」のイメージで、世の中に革新的な産業を生み続け、世界の発展に大きく貢献するイノベーション創造プラットフォームを実現していこうという話を何度も繰り返し伝えていました。
 また、ジェネシア・ベンチャーズのビジョンの実現と、メンバーの自己実現の方向性がアラインしていることも極めて重要だと考えているので、ジェネシア・ベンチャーズのビジョンの実現=その人の自己実現につながるかどうかを大切にしたいとも伝えていました。

一戸:

僕自身の印象に残っている話で言うと、採用面談で初めてお会いした時に、田島さんは僕に対しては特に質問をせず、一種のケーススタディのようなかたちで、田島さんが僕の立場であればこのような意思決定をする、このように考える、といった話を伝えてくれていました。今思えば、それこそがジェネシア・ベンチャーズの文化の根底にある精神のような気がしています。
 僕たちには、起業家を評価しないというスタンスが強くありますよね。評価ではなく、自分自身が起業家の立場だったら事業をどのようにして立ち上げるか、あるいはどのような戦略を練るか、といった視点を持ってコミュニケーションをしようと社内ではよく言われています。つまり採用においても、田島さんが僕の視点になって話してくれたことは、まさにジェネシア・ベンチャーズの文化を表していたのだと感じます。
 また、文化の表現というところでは、ジェネシア・ベンチャーズでは、田島さんが2016年の創業時から掲げてきたメッセージを、2019年にその当時のメンバー全員でブラッシュアップする機会を設けました。田島さんが組織文化やビジョン、ミッション、いわゆるコーポレートアイデンティティのようなものを意識し始めたタイミングやきっかけについて伺えますか?

田島:

サイバーエージェントも組織づくりにはかなり力を入れている会社でした。そのため、コーポレートアイデンティティの重要性はもともと理解していたつもりで、もちろん私自身も創業時から掲げていました。しかし、より深くそのあたりに向き合うようになったのは、GPとして加わった直後のタカやリレーションシップ・マネージャーの吉田 愛さんが当時のWEBサイトやコーポレートメッセージを刷新しようと提案してくれたことがきっかけでした。それで、コーポレートアイデンティティを含めたブランドデザインを手掛ける割石さんも交えてプロジェクトを立ち上げたのですが、コーポレートアイデンティティが持つ力の強さや奥の深さに触れることができた、私にとってとても気づきの多いプロジェクトでした。そういった意味では、自社のコーポレートアイデンティティを刷新し、言葉が持つ力の大きさに気付いたタイミングがまさにそうだったのかもしれません。

個人とチームをアラインし続けること

一戸:

組織文化形成において、田島さんが大切にしていることや、この軸はぶらしたくないといったことはありますか?

田島:

ジェネシア・ベンチャーズは、「すべての人に豊かさと機会をもたらす社会を実現する」というビジョンを掲げていますが、おそらくこのビジョンは何百年たっても実現することはありません。つまり、永続的に向かい続けなければいけない壮大なビジョンです。だからこそ、代表者である私が代わろうが、GPが代わろうが、何代引き継がれてもジェネシア・ベンチャーズが持続しうるようにその存在価値を高め続けていく必要があります。そのため、私個人のブランドではなく、ジェネシア・ベンチャーズというアイデンティティやブランドをいかに育てるかといったところは強く意識しているつもりです。
 チームのアイデンティティというのは、例えるなら、大きさや形の異なる多面体のオブジェのようなもので、ビジョン・ミッションやバリューだけではなく、チームで共通言語を持っておくべき概念が数多くあると思っています。そのような概念についての継続的な議論を通じて、オブジェの面の数が増え、チームのアイデンティティが育っていく。そのようなイメージを大切にしています。
 加えて、繰り返しになりますが、個人の能力や強みが最大限に発揮できる場をつくることや、個人同士の掛け算を生み出す場をつくることはやはり強く意識していますし、その場を大きく育てることが私のミッションなのだろうと考えています。

一戸:

今、組織の人数が増えてきて、全体をまとめ上げる難易度は当然上がってきていると思います。メンバーの僕たちからマネジメントチームに対しての意見や要望も出てきます。一方で、特に僕たちを含めたスタートアップのようなチームでは、課題や要望の全てに向き合っている余裕はありません。組織に対してマインドシェアを割きつつも、大局観を持ち、あまりにもささいな事象にフォーカスしすぎないことが重要だと僕は考えています。
 先ほど、初期メンバーの退職というハードシングスについて伺いました。それも田島さんにとって一つの“壁”だったのだと思いますが、それから今に至るまで、他にも組織における“壁”を感じたことはありましたか?

田島:

チーム内で何かを議論する時に、チームとしてのアイデンティティが十分に育っていないと、個人としての価値観の良し悪しの話になり、お互いのパーソナリティを責め合うことにもなってしまいかねません。個人の意思とチームのアイデンティティをアラインするプロセスをいかに丁寧にたどるかというところが極めて重要であり、都度しっかりと向き合うことはこれまでも強く意識してきました。そこは効率化するものではなく、コーポレートアイデンティティという北極星のような共通ゴールを大前提として持ちながらも、個人としての意見を出し合う中で、チームのアイデンティティが育っていき、ようやくチームとしてどのように考えるべきかという段階へたどり着きます。そこまでの過渡期をどれほどなめらかにできるかという点では、今もいろいろと悩みながら取り組んでいるところですが、完成形はないということも理解しています。

一戸:

同感です。主体者意識が強いメンバーが多いと、当然個人の強い気持ちがあるわけですが、一方で、チームとしての意思決定が必要な場面も出てきます。そうした行き来のディスカッションを経て、今の組織文化のようなものができてきたのだと思います。

経営センスを磨く3つのポイント

一戸:

最後に、また田島さん個人についてお伺いします。経営者としての視座の高め方やセンス磨き方について教えてください。

田島:

答えになっているか分かりませんが、三つほど意識しています。
 一つ目としては、非連続な変化が起こる時代だからこそ、大きな時代の変化の方向性を見極めるアンテナを持つこと、そしてそれを磨き続けることが大切だと考えています。具体的には、日々入ってくる情報の中の“事実”だけではなく、その事実を生み出す“因子”を理解することです。事実を知るだけでは点の情報にしかなりませんが、事実を生み出す因子を積み重ねていくことによって、情報は点ではなく線になります。さらにその線を自分の仕事などに実用・応用することで面へと育っていきます。そうした面を数多く蓄積していくことで、さらに面と面が重なり合い、指数関数的に本質的な情報感度を高めていけるような感覚を持っています。
 二つ目は、不可逆な意思決定は慎重に行いながらも、可逆な意思決定は出来る限りアクションしてみるということです。そして、アクションする中で見えてきた景色を取り込み、次の意思決定に活かすことで、精度を高めていくことを意識しています。一つ目とも関連しますが、非連続な変化が起こっている今の時代において、目に見える事実から来たるべき未来を見い出そうとしても決して見つかりません。それよりも、これから起こるであろう変化を見極めるアンテナを持ち、極力バイアスは排除しつつ、自らの意思を答えにしていくぐらいの気持ちで意思決定をしていくこと、そして自らの意思を答えにしていくくらいの覚悟を持つことが極めて大切だと考えています。これは、投資をする上でも大切にしている部分です。
 三つ目は、常に上位概念を捉え直し、形にしていくことです。大抵の場合、対象となる概念自体を生み出す上位概念があります。例えば先ほど、スキルを生み出すのは欲求だと述べました。そのように、あらゆる場面において、概念を単体の概念で捉えるのではなく、その概念の上位概念は何か?と問い直して、上位概念で捉え直すということを大切にしています。具体的には、例えば新規事業を生み出すことをミッションとして持っている場合は、単に新規事業のアイデアを考えるだけではなく、継続的に新規事業が生まれる経営システムを考えるという具合です。そんな感じで、あらゆる場面において、上位概念で捉え直すことが出来ないかを常に考えています。

次回のゲストとお知らせ

次回のゲストは、田島さんからご紹介いただいたマクアケ創業者の中山亮太郎さんです。皆さん、ぜひ楽しみにしていてください。

ジェネシア・ベンチャーズでは、起業を検討している方、これから資金調達を検討している方からのご相談をお待ちしています。ゆるい状態のアイデアでも問題ありません。「Team」のページなどから、自分に合いそうなキャピタリストを見つけて、ぜひお問い合わせください。

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