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マクロに順張り、ミクロで逆張り|相良 俊輔

PHILOSOPHY

ジェネシア・ベンチャーズは2016年の設立以来、「新たな産業の“種”から”最初の芽”を出すこと」を自分たちの役割だと考え、一貫して創業初期のスタートアップの1stラウンドにおいて投資をしてきました。まだ事業アイデアしかない、起業家一人だけのチームで組織もオフィスもない、そんなフェーズのスタートアップに投資し、未来をより豊かにするサービス/プロダクトを広く世の中に届けるために私たちも“チームの一員”という意識で伴走しています。

2022年に、国が主導する「スタートアップ育成5か年計画」が策定され、日本のスタートアップに各方面からの注目と投資マネーが集まり、また、スタートアップを生み出し育てるためのエコシステムも各地・各所で大きく育ちつつあります。

その中で、新しい技術、新しいサービス/プロダクト、そして新しいリーダーたちとともに、「社会に対して大きなインパクトをもたらすスタートアップを生み出すこと」を担うのはやはり、創業初期=シード期から投資をするベンチャーキャピタル「シードVC」であると、そして、私たちがまさにその当事者であると考えています。

本シリーズ『シードVCのシゴト観』では、ジェネシア・ベンチャーズで実際にスタートアップへのシード投資と経営支援に従事するベンチャーキャピタリストそれぞれが改めて考える「シード投資」と「シードVC」についてご紹介します。

  • なぜ「シードVC」に懸けるのか?
  • 「シードVC」としての役割やこだわりは何か?
  • そして、ジェネシア・ベンチャーズで実現したいことは?

本稿の主役は、Head of India Investmentの相良さん(以下:相良)です。

  • 聞き手・まとめ:Relationship Manager 吉田 愛/Intern 夏堀 栄
  • 2024/4/25時点の情報です

非連続なキャリアの転職一年目は、「激動」の一言

interviewer:

中途入社から六年目の相良さん。昨夏、ジェネシア・ベンチャーズのインド事務所の立ち上げが決まり、現地への赴任が決定。今日はインドからお越しいただきました。

相良:

インドから来ました、相良です。インターンから関わり始めて新卒で入社した前職のトレジャーデータには五年いたので、ジェネシアがそれを超えたかたちで、ちょっと変な感じですね。研修カリキュラムどころかOJTのOの字もないような野良な環境でキャリアをスタートしたので(ジェネシアも遠からずですが(笑))、先輩や上司の影響をダイレクトに受けましたし、やっぱりその期間は猛烈に濃く長く感じました。ジェネシアに入ってからはというと、時間が経つのがすごく早かったし、「激動」の一言ですね。

interviewer:

「激動」・・!

相良:

トレジャーデータは日本人が創業した会社ではありますが、本社登記が米国でエンジェル〜シリーズBまではシリコンバレーの投資家中心に資金調達をしていたこともあり、日本のエコシステムの中で成長したスタートアップではなかったので、そういう意味では僕も“スタートアップ村”の外からやってきた感覚でした。それに、スタートアップと言っても僕の担当は“ITサービスの法人営業”だったので、顧客の経営層の視点で課題を洗い出したりそれを解決できそうな方法を考えたりすることはあれど、金融や投資にはまるで縁がありませんでした。つまり、業種と職種という二つの軸をずらして転職したわけです。どちらかの軸が前職と同じだったらもっとスムーズに馴染めたかもしれませんが、意図的に飛び地を選択したこともあり、業務内容にほぼ被りがなかったので、その点は大変でした。こんな素人が起業家/経営者と議論してもいいのかな・・と思いながら、正解がわからないまま、自分の事業経験を話したり共通項を模索したりして、一年目はひたすら人に会っていましたね。・・うん、あんまり記憶がないです。

interviewer:

業種と職種という二つの軸をずらしてシードVCになるのは、覚悟の上ではあったんですよね?

相良:

なぜシードか?というところに繋がると思うんですが、軸をずらしたとはいえ、さまざまなステージのVCの中でもシードって一番金融の色が薄いんですよね。シード投資は、金融だけではなく事業づくりのレンズを持っていないと難しい。そういう意味では、自分が多少なりともその性質を持っていたので比較的入りやすかった側面はあるかもしれません。事業づくりのレンズというと大仰ですが、スタートアップで法人営業をやっていた自分の視点でそのプロダクトを売れるイメージが沸くかどうか、どうやったら売れそうなのかという感覚を持っていることは少なくとも足掛かりになるだろうという、そんな感じです。あとはもうやってみないとわからん!と勢いで飛び込んだ感じでした。

interviewer:

VCになりたいと思ったきっかけは何だったんでしょう?

相良:

トレジャーデータでの経験が大きかったですね。創業者の芳川さんは同社の創業前に三井物産のベンチャー投資部門にいて、シリコンバレーに駐在しながら投資活動をされていたんです。それから起業しているので、投資と事業を股にかけていた。トレジャーデータの会長になって一線を退いた後も自らVCを創業して、後発のスタートアップを育てる活動をされています。そんなロールモデルが身近にいて、酸いも甘いも含めていろんな話を聞かせてもらう中で、連綿と続くバトンリレーに投資家側の立場で参加してみたいという想いを自然な選択肢として持ち得たのだと思います。

interviewer:

転職活動では、VCだけを見ていたんですか?

相良:

VCが第一希望でしたが、大企業の新規事業やDXを推進する部門などに行くことも同時に検討していました。前職で、データ分析や顧客データのマーケティング活用の基盤となるソフトウェアを自身で営業している中で、実際にそれが良い製品であっても最終的に顧客価値を創出できるか否かは結局のところ導入企業側の体制やコミットメント、ひいては担当者の熱意だと感じることが多かったので、ベンダーサイドで首尾よく高単価商材を売ってコミッションをもらってシャンシャン、ではなく、ユーザーサイドに行ってみて、有形無形の障壁と闘いながら「ソフトウェアを運用してビジネス価値を出す」ということの意義や難しさを多面的に理解したいと考えていたからです。実際にお声がけいただいた大手製造業の会社から内定も貰いましたが、その部署の社内的な位置付けやリソースの割き方、デジタル人材に対する考え方などを踏まえて、結果的にジェネシアの門戸を叩くことにあまり迷いはありませんでした。

ちなみに、今言ったのはキャリア選択にあたって「自分が何をしたいのか」というwillの視点ですが、もう一つ極めて重要だと思っていたのが「自分には(他人と比べて相対的に)何ができるのか」というcanの視点です。実際に「できる」かどうかはわからなかったので、canの萌芽といった方がより正確かもしれません。その点でいくと、トレジャーデータには経営、開発、営業、マーケティングと各部門に一線級の猛者たちがいた中で、各々の専門領域を極めたところで、先人たちをごぼう抜きできるかというとそんな未来は全く見えなかったんですね。十数年の経験差をせいぜい数年縮められるのが関の山だろうと。他方で、当時200人くらいいた社内を広く見渡した時に、本当の意味で自らドアノックをしてアーリーステージのトレジャーデータに入社していたのは自分を含めて三人だけだったんです。3/200、確率にして1.5%。猛者たちを分母にした上での数値としては悪くないなと。磨くべきcanの萌芽があるとすればその、伸びる事業や伸びる分野への嗅覚なんじゃないか、というのがシードVCというキャリアを選択する上で大きな理由になりました。ちなみにその三人のうちの他二人もここ数年でスタートアップ投資に関わり始めているので、まぁそういうことだったのかなと思っています。

まだ誰も走っていないところを走る、アウトサイダーの戦略

interviewer:

そもそも新卒でトレジャーデータに入ったのはどんな経緯だったんでしょうか?

相良:

意図したところと意図しなかったところの二つが重なった結果でした。意図したところとしては、「本流から外れる」という戦略です。僕は人口四万人くらいの、のほほんとした岐阜県の片田舎から大学入学と同時に上京してきて、月並みですが都会で生まれ育った裕福な同級生たちとの出会いに刺激を受けました。彼ら彼女らは当たり前のように小学受験や中学受験をして、親族がやれ自由が丘の地主だとか、東証プライム企業の社長だとか、既成のピラミッドの上澄み、それもトップ0.1%のような環境で生まれ育った「本流」のエリートたちでした。僕はそうではない。あくまで亜流であり、野良の人間だなと自覚していました。

そういう異分子が道を切り拓けるのって、やっぱり新しい産業だったり、まだ確からしい正解がないところだったりするんじゃないかということを学生時代から直観的に考えていたんです。ただ、本流から外れるといってもその環世界が小さな溜め池だとしたら得られる釣果は限定的なので、希少な供給と広大な需要が交差する「大河の亜流」に飛び込むことが極めて重要だなと。就職を考えるときには、受験競争、偏差値競争の延長線上に敷かれた本流っぽいキャリアは辿るまいと思いながら、これから本流になりゆくであろう、あるいは本流に合流し得るであろうテクノロジー業界に特化して職探しをしていました。学生時代に社長一人しかいないようなベンチャー企業で長期インターンをしてみたり、大学の友人と一緒にアプリを開発して起業の真似事をしてみたりしていたこともあり、テクノロジー業界といっても手触り感のある規模の会社で濃い時間を過ごしたいというのが職業選択にあたっての軸でした。なので大手ITベンダーなどは見ていなかったんですが、当時すでに2,000人くらいの規模でこれから海外展開していくようなフェーズのソーシャルゲーム企業から内定をもらった時に、失われた20年を過ごしていた「ニッポン株式会社」がグローバルで勝負できる数少ない産業のうちの一つなのではという期待感もあり、そのまま入社するつもりでいました。

でも、この期に及んで、大学の最終学年で非計画的に留年をしてしまうのが僕という人間なんですね。意図的でもなんでもなく、普通に試験勉強をして普通に期末試験を受けて、オーガニックに留年が決まったんです(笑) それで、内定先にも行けなくなった。さてどうしようと考え始めた矢先に出会ったのがトレジャーデータだったんです。出会ったというか、WEBサイトに載っていたinfo@のメールアドレスに入社希望の旨を書き殴ったメールを送りつけて運よく潜り込んだというが実態なんですが。当時シリーズAくらいで、社員もまだ米国本社を含めて十数人しかいないスタートアップだったんですが、日本人がシリコンバレーで作った会社を逆輸入してこれから日本法人をつくるようなフェーズで、未知と希望が織り混ざったような得体の知れない高揚感を抱いたことをよく覚えています。「統計学が最強の学問である」とか、「21世紀に最もセクシーな職種はデータサイエンティストだ」とか言われていた時代に、煌びやかなBI(ビジネスインテリジェンス)ツールではなく、データを集めて加工するという地味な分野に技術的優位性を利かせて参入するという点に強く惹かれました。BIツールのような「可視化」の領域に比べて相対的に混み合っておらず敵が少ないという点も性に合っていたのかなと。ソーシャルゲーム会社の高収益の秘訣が緻密なデータ分析力にあることを内定者時代に認識していたので、ソーシャル、モバイルが普及した直後の10年間に必然性を伴って伸びる分野でグローバルな挑戦ができる機会はまたとないと感じて飛び込んだ経緯です。

interviewer:

「大河の亜流」というのは、相良さんらしい気がします。

相良:

弱者の戦略だと思います。本流への対抗心みたいなものは確かにあって、当初の内定先は煌びやかな商業施設に立派なオフィスを構えていたので、待遇や環境も「本流」の友人たちがいく大手企業と遜色がないという点もどこかで意識していたのかなと。それが留年でパーになり、やはりどこまで行っても野良であり傍流なんだなと吹っ切れた感じで。だから最後はシンプルに、よこしまな意識は全て捨て去って、まだ誰も走っていないところに轍を作ろうと考えました。

interviewer:

当時って、スタートアップという概念は理解していたんですか?中小企業との違いというか、大きなビジョンやスピード感を認識した上でそのルートを選んだのかという意味で。

相良:

なんとなくです。投資家といわれる人たちからお金を集めて、それを人や事業に投資して、大きくなって成功して、みんなで分け前をシェアしたりするんだろうな・・っていうくらいのざっくりとした印象。ただ、自分ともリンクする野心みたいなものはもちろん感じていました。

もっと高くて険しい山を登らなくてはという危機感から、インド拠点の立ち上げへ

interviewer:

話を戻しますが、ジェネシア・ベンチャーズを選んだ理由は何だったんでしょうか?

相良:

転職ストーリー自体は何も華々しくないです。ビズリーチに登録して、声をかけてくれたエージェントさんから最初に紹介されたのがジェネシアでした。田島さんのビジョンに惹かれたのはもちろんですが、個人的に“初物”みたいな出会いや最初の印象や相性などを大切に考えるところがあるので、あまり迷わずに入社を決めました。

interviewer:

入社二ヵ月目くらいの私(吉田(あ))と水谷さんで面接しましたよね(笑)

相良:

ですね、「私たちもまだ入社したばっかりなんですよ~」って言ってましたよね(笑)

interviewer:

当時から海外赴任は目論んでたんですか?

相良:

目論んでましたね。海外拠点をつくっていくという話も、ジェネシアを選んだ決め手の一つでした。

interviewer:

海外に興味があったのはなぜですか?

相良:

もとを辿ると、3歳から18歳まで熱中していたサッカーからの影響が大きいと思います。中田英寿や中村俊輔、本田圭佑や香川真司といった日本人選手達が次々と海を渡っていたこと、朧げながらサッカー選手としての頂きはワールドカップにあると思っていたこと、そして、身近な同級生が実際にアンダーカテゴリのワールドカップに出場していたことなどは自身の職業観の土台形成に繋がっている気がします。

interviewer:

インドへの赴任は、相良さんから希望を出したんですか?どんなタイミングで決断したんでしょうか?

相良:

今では投資先となったある起業家と話していたときに、「これまで20-30人近い投資家と話したけど、事業の話がわかる人、話が通じる人が相良さんしかいなかった」というようなことを言われたんです。そのときに、もちろん瞬間風速的には嬉しく思ったんですが、同時に、何かがおかしい、このままじゃヤバいのでは・・という強烈な危機感を覚えました。シード×エンプラITという自身のメインカテゴリで強い敵がいないとなると、未経験に毛が生えただけのVC3年生かそこらで、大きな競り負けや失敗の経験を積むことなくイケすかない投資家になってしまうのが怖かったんですね。Jリーグで満足していてはダメだ、プレミアリーグ(シリコンバレー)は難しくともラ・リーガやブンデスリーガくらいの競争環境で練度を高めなければ、もっともっと高くて険しい山を登らなければと痛烈に感じたことをよく覚えています。ちょうどコロナ禍で、働く場所に縛りがなくなったタイミングでもあったので、リモートで既存の担当先をサポートしながら、海外で新たな挑戦が出来るんじゃないかと考え始めました。インドに対して強い希望があったわけではないですが、GP陣に「世界戦をやりたい」という話を続けていたところ、気づいたら「インドのシリコンバレー」にいました。

interviewer:

さっき二つの軸をずらして転職して大変だったというお話がありましたが、今回、三つ目のグローバルと言う軸を加えてさらに大変なところに飛び込むという・・相良さんのそういう性質は、やっぱり先ほどの弱者の戦略というか負けん気がエネルギー源になっているんでしょうか?

相良:

そうですね。あとは下りのエスカレーターにおける現状維持は停滞、気持ちよくなったら終わりという意識を常に持っていることもあります。また、環境要因に勝る個体差はないという信条も今回のインド行きには大きく影響したかなと。In the right place at the right time (whoever you are). は僕の人生を形作っている基本的なモットーです。

グローバルを相対化・俯瞰した視点で、国をより良くする投資を

interviewer:

相良さんが投資対象として注目しているのはどんな領域ですか?

相良:

インド投資の観点では、マクロ経済に資する事業に投資したいというのを考えています。
一人当たりGDPが20-30万円のインドに住んでいると、国全体やいろいろな産業が上りのエスカレーターのように成長している姿を目の当たりにします。商業施設や鉄道、ホテルなどが次々に建設され、街並みが文字通り日々変化していくのを体感できるんですね。そして、その中でもスタートアップや起業家が、GDPを増やしたり成長率を継続させたりというマクロのテーマを牽引していることをすごく強く感じます。僕の言葉ではBuilder(更地の上にゼロから何かを築いていく人)とHacker(完成された構造物の隙間を縫って一筋のリターンを見出す人)という表現で社内や投資先によく話したりするんですが、インドでは社会を大きく発展させていくための重要なミッションをスタートアップのプレーヤーたちがBuilderとして担っている。VCももちろんその一部です。投資テーマという観点では国全体に勢いがあるので、基本的には投資に関わる人それぞれが自分の仮説に基づいておもしろいと思う領域に投資をしていけばいいとは思うんですが、僕はせっかく現代の、2024年のインドにいるのであれば、国の成長そのものに資する事業に投資していきたいなと。

具体的には与信の創造や健康寿命の延伸、産業連関効果=雇用の創出やサプライチェーンの強靱化などの骨太なテーマです。雇用の創出という切り口でいえば、インドは今『Make in India』を標榜して国の第二次産業(製造業)を育てる政策に取り組んでいます。日本や中国を含む東アジアの各国がこれまで辿ってきた歴史をみると、製造業の育成が中間層の持続的増加に寄与し、それが国全体の消費性向を刺激してマクロ経済が活性化するという成長ステップが定石として存在することを政府も理解しているからです。中間層というと、一定の所得年収があって、その与信を基に白物家電や乗用車、住宅などを積極的に消費・購入して経済を拡張させる弾み車になる。その中間層を増やすには、やっぱり継続的な雇用を生める企業が必要です。かつて製造立国として名を挙げ、トヨタ生産方式が世界的な知名度を持つ日本由来のVCファンドとしてはそれを下支えする確からしい理由もあります。ただ、単純にマクロに張っているだけでは投資信託と変わらなくなってしまうので、**「マクロに順張り、ミクロで逆張り」**を信条として良い投資を積み重ねていきたいです。インド投資という観点でいえばそんなところで、かたや日本のように成熟した社会においては、良い意味でも悪い意味でも落ち着いた、ある種静的な状態の経済に何かしらの刺激や活力を与えたり新たな火を灯したりするような投資もできたらいいなと。そしてそれは日本に住んで日本だけを見ていては難しいと思うので、日本の外にいる自分がグローバルを相対化・俯瞰した視点でGo global・Born globalが当たり前になるような雰囲気を醸成していけたらいいなと思っています。

確実性に親しみ、飛び込んで、もがいて、やってみる

interviewer:

相良さんがシードVCとして大切にしていることやスタンスなどはありますか?

相良:

シードVCとアーリー以降のVCの最も大きな違いは、データで示された進捗があるかないか、検証された仮説があるかないか、という点になるので、その意味ではまず過去ではなく未来への嗅覚を磨き続けるという努力をした上で、起業家と同じ方向を向くというか、同じ未来を見ようとする姿勢はすごく大切にしています。自分がその事業をやりたい、と言うとちょっと語弊がありますが、喜ぶ人の顔が容易に思い浮かぶ、本当に社会にとって価値があると信じられる事業に張るということが一つと、もし何かがあって自分がCEOをやらなきゃいけなくなったときに殿(しんがり)を務めようと思えるかということがもう一つ。あとは、起業家と同じように、常に不確実性に親しみ続けて、取り得るリスクを取って、自分自身もチャレンジし続けるということを意識しています。卑近なところでいえば『事業のネタ帳』を始めたり、『Market.iO』という探索的な取り組みを社外に公開してみたり。直近で言うとインドへの移住もその一つですね。飛び込んで、もがいて、兎にも角にもやってみるということでしか切り開けない何かがあると信じているので、この姿勢はこの先も持ち続けたいです。

interviewer:

ジェネシアへの転職も不確実性に飛び込むチャレンジだったと思いますが、一年目と今とではやっぱり見えている景色が違いますか?

相良:

挑戦の一年目という意味においては似た境遇ですけど、やっぱりちょっと違いますね。ジェネシアに入った当初は、一日も早く個として自立しなきゃいけないというのを常にどこかで意識していました。ベクトルが自分に向いていた感じですね。今はどちらかというと、ジェネシアがこれまで積み重ねてきたものを自分が積極的に使える立場にいるという認識で、軸足をチームに置きながら、もう一方の足で自分なりのいろいろなチャレンジをしようと思っています。軸足を置ける場所があるという感覚を持てているのが、たぶん一年目とは違うところかなと。自分が個として何ができるかということももちろんですが、ジェネシア全体の資産を使って何ができるか、そして僕がチームに何をもたらせるか、軸足の器をいかにして広く大きくし得るかということも今は常に考えています。

interviewer:

永遠のチャレンジャー・相良さんがこれからスタートアップと実現したい未来について教えてください!

相良:

世界戦に進出しましょう!ということです。どこから始めるにしても、最終的に大きくなる企業や産業はやっぱりどこかで国境を跨ぎますから、その意味では、投資先であるかないかという近視眼的な資本関係に囚われることなく、「株式会社ニッポン・スタートアップ」と一緒にまだ見ぬ未来を考え、自らもDo-erとして事上磨練の精神で行動していきたいです。

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